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JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆記事1:5弱以上「可能性ゼロでない」=震度4以上は92回観測―気象庁(時事通信 4月7日(木)20時31分配信) 気象庁の土井恵治地震予知情報課長は7日の記者会見で、「震度5弱より強い揺れが起きる可能性はゼロではない。 ◆記事2:宮城で震度6強 一時津波警報(NHK 4月8日 4時13分) 7日夜遅く、宮城県沖を震源とする大きな地震があり、仙台市宮城野区と宮城県栗原市で震度6強の激しい揺れを観測しました。 ◆コメント:7日夜の地震、東京の揺れは大した事が無かったけれども実に嫌な気分でした。 ちょうど4週間前、3月11日(金)14時46分に東日本大震災(4月1日の閣議で正式名称となりました)が起きました。 本震から30分後の茨城県沖、M7.4が最大余震とは限らないぞ。 との見解を表明しました。このところ、東京で大きな余震は殆ど感じなくなり、 人々が警戒心を解き始めている雰囲気があったので、気象庁は注意を喚起したかったのかも 知れません。 気象庁の真意がどうであれ、兎にも角にも正にその夜に、宮城県で震度6を記録する 余震が発生しました。 東京の揺れの大きさは、本震は震度5、4月7日は震度3で、いずれも震源に近い東北各県に比べれば ずっと弱いのですが、本震の際、誰もが思ったのは、 一体、いつまで揺れ続けるのだ? ということでした。ウィキペディアの「東北地方太平洋沖地震」(←地震当日、気象庁の命名)を読むと、 「本震の揺れは東日本全体で約6分間続いた」そうですが、気象庁が分析して後に分かったのは 3つの地震が連続して発生したためで、それであのような不思議な揺れ方が長く続いたのです。 4月7日23時32分の地震は、揺れ方の大きさは東京では大した事はありませんでしたが、 「長い時間揺れ続ける」ところが3月の地震に似ていて、それが、私個人としては 「せっかく、気分が落ちついてきたところだったのに、また元に戻るのか?」と思いました。 いい加減にしてくれ、といいたくなります(いっても仕方が無いのですが)。 「実に嫌な気分」とは、そういうことです。 ◆地震から派生する不安。 地震の後に、自宅近くで開業するドクターや、薬局のおばさんや、商店主など、 また、何時間もかけて歩いて帰宅する状況に陥るかもしれないリスク への「恐怖心」です。「不安感」ではなくて敢えて「恐怖心」と書きます。 3月11日、私は東京都千代田区神田から、杉並区荻窪まで、約14.5�劼瞭擦里蠅� 4時間半かけて歩いて帰りました。歩いて帰宅出来ることが分かったのはいいのですが、 私は地震の前から、いつも思い鞄を持って通勤しています。 どうしても、そうしなければならないわけではないのですが、あれもこれもいつも持ち歩かないと 不安になる、という性質(たち)に起因するので、完全に私固有の事情なのですが、 多分の両手の荷物の重さを合計すると10�垓瓩い里任后�こんなモノをいつも持ち歩いている方が悪い というのは結果論で、勤め人になって27年間、重いことは確かに重いけれど、そのまま「何時間も」 歩き続けることは、普段ありませんから、特に不自由には思わないのです。 ですが、「徒歩帰宅」をせざるを得なかったあの日は、この荷物が裏目に出ました。 靴はこういう場合に備えて、会社から全職員に支給されたスニーカーがあったのです 各自の靴のサイズを予め申告してそれに合わせて揃えたので、準備をした総務部は 大変だったと思うのですが、これは有難かった。 このおかげで足(foot。複数形ならfeet)の部分は全然痛くならないし、軽いので歩きやすい。 しかし、約10キロの荷物を持って4時間以上歩くと次第に脚が棒のようになり、 短い距離なら問題ない腕(肩)にも負担となり、自宅が近づくにつれ、一歩歩くごとに 脚の付け根と肩に痛みが走ります。最後の数キロは、殆ど100メートル歩くたびに 一旦休み、次第に歩く歩幅も狭くなり、最後は一歩が50センチ無かったと思います。 「這うようにして」とは、あのような状態でしょう。何とか自宅に着いたときには ホッとしましたが、同時に「こんなのは、二度とご免だ」と思いました。 その思いが強烈なのです。 この話をすると、自宅と職場が遠く離れていない方は、 そんなの(注:荷物のこと)、会社に置いてくればよかったのに。 といいます。これが「分かってないな」と私が思うことです。 それは結果論で、3月11日、首都圏のJR東日本は、早々と「終日運休」を宣言したのですから、 週明け月曜日以降、会社に行けるかどうか分からなかったのです。 実際、3月14日(月)、JR、私鉄、地下鉄、全て大幅な「間引き運転」となったため、 鉄道各線の各駅は、物凄い混雑で、入場制限が行われ、駅構内に入るまで3時間待ちでした。 会社に連絡したら、このような状況では会社に着くまで何時間かかるか分からず、 仮に会社に着いても、また、帰宅時には同じような混雑となるのはほぼ自明だから、 自宅待機せよ。と言われました。この日の混雑に懲りて、各企業は時間差通勤を認めたり、 多くの社員に「当面自宅待機」を命じたりしたのでした。私は自宅待機にはならず、 火曜日(15日)以降は出勤したのですが、「計画停電」が実施され、鉄道は間引き運転のまま。 さらに3月17日(木)には気温が下がり電気使用量が増え、一方東京電力は福島原発が使えなくなり 電気供給能力が大幅に低下していたため、午後2時頃に海江田通産省が、 このままでは、予測不可能な大規模停電の恐れがあるので、節電せよ。 との談話を発表し、それをうけて国土交通省は夕方の帰宅時間帯にもかかわらず、 鉄道各社に運行本数の削減を要請した、との報道があったので、多くの企業は社員の早退を 許可し、大勢の人が一刻も早く電車に乗ろうとしたので、パニック的な混乱が起きました。 計画停電は、4月8日を以て終了、と海江田経産相が宣言しましたが、 この1ヶ月、我々、電車通勤をしている勤め人は、頭の何処かで、「帰宅出来なくなるかもしれない」 ことを意識してきました。 地震の後、流石に荷物はできる限り軽くしましたが、大きな余震があり、 再び「徒歩で帰宅」するハメになる可能性は、常にあるのですから 大袈裟に言うと、毎日自宅を出るときに「覚悟」をします。 他にも、ストレス要因が色々ありましたが、挙げたらキリがありません。 7日の余震は23時32分ですから、既に自宅にいたので、問題は無かったのですが 気象庁は、まだ最大余震の可能性があるといい、これを受けて官房長官は 8日(金)の記者会見で今後とも震度5から震度6の余震の可能性があるから そのつもりでいろ、という趣旨のことを言っていました。 ◆政治家やテレビでコメントを述べる連中は、「徒歩帰宅」したことがないだろう。 一般人でも自宅と職場が近接している人には、「徒歩帰宅トラウマ」を理解して貰えないのです。
2010年04月07日(水) 【翻訳】海外紙の鳩山政権評(1)ウォール・ストリート・ジャーナル 「日本には補助輪なしの政府が必要だ」 |