JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆記事:耳かき店員ら殺害 無期懲役の判決(NHK 11月1日 18時19分) 東京・港区で、耳かき店の従業員だった女性と祖母を殺害した罪に問われた男の裁判員裁判で、 ◆コメント:訳の分からない判決理由。 私は、裁判員制度が話題になり始めた頃から、この制度には反対でした。2004年のことです。 2004年03月02日(火)国民が刑事裁判に参加へ、裁判員法案を閣議決定」←止めた方がいいと思います。 今日の判決で無期懲役になったのは、要するに裁判員がビビッたのでしょうね。 「自分達の判断で、殺人犯とは言え、人が1人、国家によって殺されるかも知れない。」と、素人がその場にいたら、 やはり、怖くなるのですよ。だから裁判員制度なんてダメなのです。裁判によって事実認定がなされ、 適切な量刑が下されるためには、多くの犯罪者を見てきて、判例も十分に知っている法律の専門家が判断を下す、 ということが、近代的裁判の基本ですよ。職業裁判官とて、死刑判決を下した後は、顔色が悪いそうです。 それだけのプレッシャーとストレスがかかるけど、死刑にすべき時は「エイッ」と死刑に出来るのはプロだけです。 無期懲役になったのは、素人が混ざっているからです。自分が人を死刑にすることに関与することをおそれたのです。 そうは言えないから、裁判長は、判決理由で訳の分からん事を言っています。
これほど、被告人の落ち度、を指摘しておいて、 結局、極刑がやむをえないという結論には至らなかった って、誰が読んでも納得出来ません。犯人は、江尻美保さん(当時21歳)のクビを刺したばかりではなく、 祖母の鈴木芳江さん(当時78歳)のクビを、刃物で16回も刺しているのですよ? 近代刑法の原則に「自力救済の禁止」という概念があります。 要するに、被害者の遺族らが、「敵討ち」をしては、いけない。それをやったら社会が混乱する。 専門家に任せなさい。貴方達(遺族)の無念は、代わりに司法が晴らしてあげます、ということです。 しかし、こんな判決では、被害者の関係者、そして社会全体の犯人に対する「応報感情」が充足されません。 物騒な事を言うようですが、仮に私が江尻美保さんの父親ならば、 今日、傍聴するときに何とかして鋭利な刃物を法廷に持ち込み、死刑ではないことが分かった瞬間、 法廷に飛び出して、その場で犯人を滅多刺しにして、殺さなければ気が済まない、と思います。 その場で殺せなくても、無期懲役の途中で弊の外に出て来た瞬間に何としてもこの手で娘の敵を討とう とするでしょう。その結果、自分は当然殺人の罪に問われるても、そんなことは問題ではない。 後がどうなろうが知ったことではない。警察に捕まる前に自殺するかも知れない--- あくまでも仮定上の話ですが、つまり、応報感情が満たされなくては、刑事裁判として、 機能していないと思います。 判決後記者会見に応じた裁判員のひとりは、 「人(この場合、犯人のこと)の生命の重さを考えた」 と、述べたそうです。 私はその「重い生命」を二つも自分勝手な理由で永遠に奪った林被告人の生命の重さなど、ない。 ヘリウムガスよりも軽い、と思います。 無期懲役になれば、毎日刑務所で食事がでます。何十年も、この人殺しを 我々が額に汗して働いて納めた税金で、食わせてやり、雨風をしのげる刑務所という 立派な建物の中で生き続けさせるのでしょうか? また、本件については検察側が控訴し、さらに死刑が出なければ最高裁に上告すると 思われます。そうなったら、専門家だけによる判断で死刑判決が下る可能性が高いです。 結局、「無期懲役」を選択した裁判員の判断は無駄となります。 裁判員制度を導入し、続ける事に、意味があるのでしょうか? 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2009年11月01日(日) 御愛読御礼。
JIRO
|HomePage
|