JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆本来、昨日書くつもりでした。今日から夏休みです。 来週月曜から金曜まで休暇を取りました(会社の規定で連続して一週間休まなければならないのです)。 終わりよければすべてよし なので、最後まで気を抜かないで働いた、ということを書こうとしたのですが そこから、思考が横道に逸れました。 ◆「終わりよければすべてよし」はシェークスピアの戯曲(の題名)である。 「終わりよければすべてよし」を日本の諺だと思っている人が結構いるが、 詰め込み教育反対。 とか、 欧米では丸暗記ではなく『考える力』を育てることに教育の重点をおいている。 と声高に叫ばれるが、私の見た限りでは間違っている。 後者に関して。 日本人よりもガイジンが論理的であるということは無い。 ごく一部のエリートはそうなのかも知れないが、殆どは馬鹿だ。 思考力が優れているのではない。知識もなく、ただただ、ひたすらパワー全開の自己主張を繰り返すばかりである。 そもそも、知識が無ければ思考も出来ない。 日本は「ゆとり教育」であまりにも馬鹿が増えて、慌てて元に戻そうとしているが、 それ以前から「詰め込み不足」であったと言っても過言ではない。子どもの頃に覚えた事は忘れない。 小学生〜中学生の間は問答無用で、詰め込めるだけの知識をこれでもか、と詰め込むことが大切である。 芸術の世界でも同じようなことがあるらしい。 ずっと前に「バンド・ジャーナル」(音楽之友社が発行する吹奏楽専門雑誌)に、 ある日本のサクソフォーン奏者がパリのコンセルヴァトアールに留学していた時の話をしていて、先生から 「音楽的」などということは、後で考えればいい。今は持てるだけのテクニックを身につけることだ。 と言われ、やや反発したい気もしたが、今から考えると、いいことを教えて頂いた、と述べているのを読んだのを思い出す。 ジュリアード音楽院の伝説のヴァイオリン教師で、パールマンらの師匠である、故・イワン・ガラミアン(通称「イワン雷帝」)の "Cry now. Play later."(今泣いて、後で弾け) も、同じ意味であろう。 なお、"Cry now. Play later."に関しては、まだブログ(JIROの独断的日記ココログ版)のアカウントを開く前に、 一度書いたことがある。 2004年01月07日(水) Cry now. Play later."―今、泣いて、後で弾け。― イワン・ガラミアン=ヴァイオリン教師 今でも誤字脱字は多いし、決して読みやすく無いので読者諸氏にはご不便をお掛けしているが、 この頃はHTMLタグなど全然知らず、関心もなく、ただベタ打ちで、一層読みづらい。 ただ、よろしければ、お読み頂きたい。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2009年08月21日(金) 景気底打ちと言いきって良いか疑問が残る。今週発表された経済指標から。
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