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2005年08月21日(日) |
選挙はゲーム(遊び)ではない。勝敗予想を立てる前に、政策を検証しろ。 |
◆マスコミの政治ニュースはいつも「政治家(又は政治家になりたがっている奴)ニュースだ。
新聞には、各党のマニフェストが載っているが、自民党のあの120項目をただ並べても仕方がない。
その中で何が要点か、国民が判断する指針(本当は国民が自分で全部やるべきだが)、を可能な限り客観的、中立的に提示するのが新聞屋の仕事である。
しかしながら、この点において及第点を与えられる新聞は、少なくとも全国紙には、現時点では、存在しない。
新聞が載せているのは、相も変わらず、どの選挙区で郵政反対派にどの刺客が振り分けられ、これが、民主党票をどれぐらい食うか、という類の記事が中心である。
これは、政治記事、政治ニュースではない。「政治家」ニュースである。
そんなことは、選挙が済んでからコメントをすればよろしい(それですら、選挙報道の本質ではない)。
徒(いたずら)に、ある選挙区では自民現職が有利だとか、そのたぐいの記事を載せるのは、一種の大衆心理操作であり、行うべきではない。
日本人はもともと「他の人たちと同じように行動すること」が行動規範となる民族である。失礼ながら、地方において、この傾向は一層顕著である。
したがって、他の有権者の思惑などは知らない方がよいのである。
◆では、何を報道するべきか:本日は、とりあえず2点。まず、環境。
この日記では、過去何度も取り上げたとおり、地球環境は危機的な状況にある。
国連環境計画が1999年に発表した、地球環境概況2000「概況と提言」を読めば分かるが、「地球温暖化を防ぐのは恐らく既に手遅れ」とのことである。
この結果、淡水資源が不足するのが直接的には最も大きな問題である。
また、大陸における砂漠化の進行により、作物の収穫が漸減する。海洋資源(食料としての魚)の減少が進む、と、同レポートは指摘している。
つまり、水と食い物が無くなるということだ。 そして、言うまでもなく、水と食い物が無くなると言うことは、人類が絶滅するということだ。
郵政民営化も、景気も、年金も、人類が存続することが大前提であることは、あまりにも当たり前だが、その大前提が危機にさらされているというのに、どの政党も、これを認識していない。
そして、マスコミも指摘しない。
◆国家安全保障:集団的自衛権を認めてはいけません。
環境の次は、「国家の安全を如何に守るか」という問題を各政党(及び、選挙が公示されれば候補者)がどのように考えているのかを、良く見極めるべきだ。
日本国が無くなってしまったら、他のことを論じても意味がないからである。
私は今までに何度も「日本に集団的自衛権の行使を認めてはいけない」と書いたが、そのたびにメールを頂く。
「現実に北朝鮮という脅威が存在するのであるから、お前の言うことは、空想的平和主義だ」とか何とか書いてある。
何を言っているのか分からない。というか、書いている人が基本的なことを理解していない。
北朝鮮が攻めてきたとして、それに反撃するのは、日本の「個別的自衛権の行使」というのである。集団的自衛権は関係ない。
私は、自衛隊が不要だ、と書いたことは、一度もない。
国家を防衛するために必要な軍事力(本当は、「必要最小限の実力」と書かなければいけないのだが、それはどうでもよい)の保有とはいえ、第9条2項に照らし違憲だから、ダメだ、と書いたことは、過去全ての日記を読んでいただければ分かるが、ただの一度もない。それほど単純バカではない。
仮に北朝鮮が攻めて来たら、黙ってじっとしていて、殺されなければならないという理由は無いからである。
個人の家庭に例えれば、自宅に強盗が入ったら、撃退しようとするのが当然で、そのときに、多少相手を殴るのは仕方がない。これを国家に当てはめたのが、「個別的自衛権」だと思えばよかろう。
日本国憲法第9条第2項に「戦力は一切保持しない。国の交戦権を認めない」と書いてあるじゃないか、と激烈な「平和主義者」は反論するかも知れないが、それは、もう少しよく考えて下さい。
日本国憲法は、当然個別的自衛権を認めていると思われる。その根拠は何か?
日本国憲法は、前文で、国民の「平和的生存権」は守らなくてはいけないと謳っている。したがって、その目的を完遂するための個別的自衛権、及びその手段としての武力の保有は当然の前提として想定していると解釈できる。当たり前なので、明文化していないだけであると思われる。
◆集団的自衛権の行使を認めるとどうなるか。
「国の交戦権を認めない」というのは、防衛ではなく、自分から外国に攻めていってはいけないという意味である。
これが「憲法は集団的自衛権の行使を禁止しているという、長年の政府の公式見解である。
「集団的自衛権」とは、「自国そのものが、何者か(どこかの国)の攻撃・侵略を受けていなくても、同盟関係にある国が攻撃されたら、自国の領土が攻撃されたものと同等に見なして、反撃する権利」である。
日本が、戦後60年、ただの一発も武力行使をせず、外国の国民を殺傷しないで済んだのは、9条第2項が集団的自衛権を禁止しているおかげである。
韓国は、これに相当する条文がないから、ベトナム戦争の時に、アメリカに「命ぜられて」大勢、ベトナムに出兵して、ベトナム人を大勢殺した。
日本は第9条があったからこそ、ベトナム戦争に巻き込まれずに済んだのである。
私は、今のイラクへの自衛隊派遣ですら違憲だと思うが、それでも、鉄砲を撃たないで済んでいるのは、日本国憲法第9条の歯止めがあるからである。
9条がなかったら、サマワの宿営地でじっとしていることなど、外国が認めない。
◆海外のインテリ層は、「日本は憲法で武力行使を禁じられていること」を十分承知している。
海外の新聞を読むと大変良く分かるのだが、世界の主だった国のインテリ層は、いずれも、「日本は憲法で禁止されているので、武力行使はできない」ということを完全に所与の条件として認識している。
これは、The Economistも、Financial Timesも、アメリカの新聞も、アルジャジーラも、同様である。
そして、少なくとも私は、日本国憲法第9条をを批判し、改正すべきだという海外の論説は読んだことがない。
世界も認めるこの画期的な規定をわざわざ放棄するべきだという人の気が知れない。
但し、今の自衛隊法、自衛隊法施行令、自衛隊法施行規則、内閣法などを厳密に解釈すると、どこかの国から先制攻撃を受けてから、反撃に出るまで、殆ど喜劇的に馬鹿馬鹿しい、時間を要する手続きを必要とするので、これら行政法を改訂して、迅速に対応できるようにすればよいのである。
◆アメリカの言うことに従って集団的自衛権を持たないと、いざというとき守ってもらえないというのは、大笑い
アメリカと日本は、安全保障条約を締結している。
日本が攻撃を受けた時に、アメリカに守ってもらうために、日本もアメリカの云うことを聞いて、集団的自衛権の行使を可能にするべきだという人が多いが、甘い。
日本が集団的自衛権を行使出来るようになったら、アメリカの小間使いになるだけだろう。
そして、有事の際、アメリカが日本を守ってくれるというのは、さらに甘い。
2003年、当時のアーミテージ国務副長官(あの、スキンヘッドの、熊みたいな大男ですよ)が来日して、日本に対してイラク復興から逃げるな(Don't walk away) とか、「これはお茶会じゃないぞ」とか散々日本政府を恫喝し、それに震え上がった小泉首相がイラク派兵を一も二も無く決めた。
◆アメリカの忠実な番犬になってもアメリカは日本を守らないだろう。
このときのアーミテージ国務副長官の言葉を、私は鮮明に記憶している。
「日本への攻撃(北朝鮮やら、イスラムテロ組織のこと)は、アメリカ本土への攻撃と見なす」
一見、頼もしい。だが、良く読んで下さい。彼は「日本が攻撃されたら、それは、アメリカが攻撃されたと同等に見なす」と言っているが、
「日本を第3国の攻撃から守ってみせる」。
とは、絶対に言わない
アメリカは、パールハーバーも実は全部暗号を解読していたのに、ルーズベルトはわざとハワイの太平洋艦隊には知らせず、日本に奇襲攻撃をさせて、「汚いジャップ」のイメージをアメリカ国民に植え付けることに成功した。
この、「相手に先に攻撃させておいてから、猛然と反撃する」のがアメリカが大好きなやり方なのだ。
だから、テポドンが飛んできても、元々技術的にも無理だし、アメリカは放っておくことはほぼ、間違いがない。
先に攻撃させて、わざとらしく、「よくも、やりやがったな」といって、北朝鮮に反撃する、というだけのことだ。
だから、アメリカが日本を守ってくれるだろうというのは、甘いというのだ。
大体、見れば分かるでしょう。何の証拠も実は持っていなかったのに、「イラクは大量破壊兵器をもっている」と言って戦争を始め、後になって「あれはウソでした」と平気で言う奴らなのだ。
どうして信用するのか。
◆各党はどういう安全保障構想をもっているか。
上で述べたことを知った上で、各党はどのような構想を持っているのかをよく観察・検討することが肝要である。
マニフェストだけでは、分からない。新聞社から、各党に質問状を出すなりなんなりして、突っ込んで取材して欲しい。しないなら、私がする。
環境と防衛しか取り上げられなかったが、長くなったので、今日は、ここまで。
2004年08月21日(土) 「衆参175人外遊ラッシュ バカンスで相手不在でも」 イラクへは誰も行かないのだね。
2003年08月21日(木) 「北朝鮮へ風船でラジオ送る=22日にドイツ人医師らが実行」上手くいくといいのだが。