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2010年01月27日(水) |
【国会】鳩山内閣は集団的自衛権の行使を容認しない、と1月26日参議院予算委員会で首相が明言した記録。 |
◆【会議録】1月26日、参議院予算委員会における、舛添要一と鳩山首相、岡田外相の質疑応答
(参議院インターネット審議中継1月26日参議院予算委員会、1時間10分15秒付近から)
舛添要一君:じゃ、別の角度から質問しますけど、わが日本国には集団的自衛権はありますか、ありませんか。
委員長:内閣総理大臣、鳩山由紀夫君。
鳩山由紀夫君:集団的自衛権、正に個別的であれ集団的であれ、自衛権というものを所有する、というのは憲法でも認められ・・・自然権として認められている、そのように解釈します。
委員長:舛添要一君。
舛添要一君:私も全く同感であります。しかしながら、先ほど来、議論になりました内閣法制局の見解は、「集団的自衛権は保有しているけど行使できない、というものであります。総理はこの考えはどう思われますか。
委員長:外務大臣、岡田克也君。
岡田克也君:従来の政府の考え方、 舛添委員も与党としてその考え方のもとでやっておられたと思いますけれども、日本国憲法は集団的自衛権、ま、それは自然権として自衛権、持っておりますけど、しかしその行使は認めていないと、こういうことであります。
委員長:舛添要一君。
舛添要一君:総理に同じ質問を致します。
委員長:内閣総理大臣、鳩山由紀夫君。
鳩山由紀夫君:岡田外務大臣が申したとおりでございます。私ども、個別的であれ集団的であれ、その固有の自衛権としての権利として持っておりますが、 憲法の中で 武力行使を禁止するという思いの中で、集団的自衛権の行使というものに関しては、禁ずる、ということになっております。
委員長:舛添要一君。
舛添要一君:要するに「禁ずる」という立場を鳩山内閣においても堅持する、ということでよろしいですか。
委員長:内閣総理大臣、鳩山由紀夫君。
鳩山由紀夫君:そのとおりであります。
文字に起こした部分の音声。
1月26日、参議院予算委員会 集団的自衛権
◆コメント:読みましたね?聞きましたね?鳩山内閣は集団的自衛権の行使は違憲であると公式に発言したのです。
私の日記で過去何度取りあげたか、分からないが、
憲法第9条は、集団的自衛権の行使を禁止している。
というのが、従来の日本政府の公式見解であり、これは実際は内閣法制局が答弁するのだが、
鳩山内閣は、例によってバカの一つ覚えのように「政治主導」を持ち出し、内閣法制局長の答弁も禁ずる、
というので、参議院予算委員会で、舛添委員が
「内閣法制局の答弁を禁ずるなら、首相自ら集団的自衛権をどう考えているのか説明してくれ」
と詰め寄っている場面である。国会の会議録(これは参議院予算委員会)には一言一句もらさず記録され、
やがてWeb(参議院ホームページ)に掲載されるだろうが、時間がかかるので、私が先に最も重要な部分を
文字に起こしたのである。
本当は、議論を評価する場合は全体を聞かないと分からない。文脈の中で聞くべきであるが、予算委員会全体を
文字に起こすほどのエネルギーも時間も私には無いので、最も重要な部分を文字に起こし、そのエビデンス(証拠)である
音声ファイルを添付する。
◆個別的自衛権と集団的自衛権
大事なことなので何十回でも何百回でも繰り返し説明する。
個別的自衛権とは、自分の国が他国の武力攻撃を受け、又は侵略行為に遭遇した場合、自国民の生命や財産を守るために、武力を行使する権利である。
これは、どの国も当然保有する、自然権と考えて良い。日本も同様である。日本国憲法に「個別的自衛権」という文言はどこにもないが、
憲法前文に
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
と記されている。
「全世界の国民」には、当然日本国民が含まれている。そして、その平和的生存権を保障するという趣旨なのであるから、
憲法9条が武力行使を禁じているからといって、他国の攻撃・侵略が有った場合に、黙って何もしないで、殺されなさいというのが、
憲法の意図するところでは無いことは余りにも明らかである。
一方、集団的自衛権とは、
「自国が、他国から攻撃を受け、又は侵略行為を受けていなくとも、自国と密接な関係にある国が武力攻撃を受けた際、これを自国への攻撃と同等と見なし、反撃する権利」
である。
◆国連憲章は武力の行使を原則として禁じている。
参議院予算委員会での質疑応答を読むと、鳩山首相、岡田外相、舛添委員全員が、集団的自衛権は、国家ならば当然保有する固有の権利だ、
と考えているようだが、それは間違っている。
彼らに法的根拠を尋ねると、国連憲章を持ち出すに違い無い。
国連憲章は国際法であり、国内法と混同してはいけないが、実は日本国憲法と大変よく似ているということもできる。
国連憲章第1章「目的及び原則」を見る。
第1条〔目的〕国際連合の目的は、次の通りである。
1 国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。(第1条 以下略)
第2条〔原則〕この機構及びその加盟国は、第1条に掲げる目的を達成するに当っては、次の原則に従って行動しなければならない。
(前略)
4 すべての加盟国は、その国際関係において、武力よる威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。
即ち国連憲章は、加盟国に対して「武力による威嚇又は武力の行使はまかりならぬ」と言っているのだ。
日本国憲法第9条第1項そっくりではないか。
繰り返すが国連憲章において、原則的に、武力による威嚇又は武力の行使は「違法行為」なのである。
しかし例外がある。例外的な事態を規定しているのが、
第7章 平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動
である。政治家が皆集団的自衛権は国家が当然保有する自然権だ、と主張する一つの根拠は、
国連憲章第51条である。
第51条〔自衛権〕
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
加盟国は、他国の攻撃を受けたり、侵略をされた場合には、国連平和維持軍か、多国籍軍が助けに行くまで、
個別的自衛権・集団的自衛権を行使し、自国や同盟国を守って良い、という意味である。
これを読んで、「集団的自衛権は国家が当然保有する自然権だ」というわけだが、それは違う。
◆「集団的自衛権」は自然権ではなく、国連憲章を定めるときにアメリカが後から押し込んだ概念である。
51条の「集団的自衛権」はアメリカの都合により、後から追加されたのだ。
国連憲章の原案は、1944年に作られた「ダンバートン・オークス提案」である。
ダンバートン・オークスとは、ワシントン郊外の地名である。
ダンバートン・オークス提案では、集団的自衛権に関する今のような規定は無かったのである。
ダンバートン・オークス提案原案では、同盟国が攻撃・侵略されたときに、
自国への攻撃と見なして武力行使をするためには、全て国連安全保障理事会の許可が必要とされていたのだ。
米国とラテンアメリカ諸国がダンバートン・オークス原案に反対した。
これらの国々は、1943年、チャプルテペック規約という条約を締結し、米州諸国間での集団的自衛権行使を可能にしていた。
ダンバートン・オークス提案のまま、国連憲章が成立したら、米国とラテン・アメリカ諸国は、集団的自衛権を行使するために、
国連決議が必要になる。それは、嫌だ。面倒臭い、というので、
最終的に国連憲章を採択した、1945年のサンフランシスコ会議において、
普遍的に集団的自衛権の行使を認める51条を挿入させたのである。ゴリ押しだ。
この歴史的経緯を知れば、お分かり頂けると思うが、本来、集団的自衛権は自然権ではなく、
一部の国々にとって都合がいいように、普遍化された権利である。
だから、鳩山首相たちの、
私ども、個別的であれ集団的であれ、その固有の自衛権としての権利として持っておりますが、
という認識は、誤っている。
日本は個別的自衛権しか認めていないのに、イラク戦争を勝手に始めたアメリカから、
プロレスラーのような、当時のアーミテージ国務副長官が来日し、誠に勝手な言いぐさだが、
"Show the flag."(旗幟を鮮明にしろ=どちらの味方かはっきりしろ)とか、
"Boots on the ground."(戦場に兵隊(自衛官)を送れ)
といったら、たちまち真っ青になって震え上がり、イラク特措法を当時の小泉率いる与党・自民党が
強行採決し、イラクに自衛官を派遣した国である。
この上、集団的自衛権の行使を認めたら、どこまで、あの人殺しが大好きなアメリカに
付き合わされるか、分かったものではない。
日本に、集団的自衛権の行使を認めてはならない。
2010年、少なくとも鳩山内閣は、従来どおり
「集団的自衛権の行使は違憲である」
と、公式に認めた。この言葉は守らせなければならない。
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