JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆記事:<酒井法子容疑者>最高裁が使用自粛 主演の広報用映画(8月7日20時40分配信 毎日新聞) 最高裁は7日、覚せい剤取締法違反容疑で逮捕状が出た酒井法子容疑者が主演する裁判員制度の広報用映画「審理」について、 ◆コメント:刑事裁判の大原則「推定無罪」の有名無実化に最高裁が加担している。 あまりにもマスコミも世間も騒ぐので、馬鹿馬鹿しくなり、この件は取りあげないつもりだったが、 1.タレント、酒井法子容疑者に対して、覚せい剤取締法違反容疑で逮捕状が出た。 ということだけである。にも関わらず、殆どのマスコミは、 「逮捕状が出た=酒井容疑者の有罪確定」であるかの如き報道をしている。 マスコミが大きく取りあげるのは、テレビは視聴率を稼げるし、新聞は売上げが伸びるからである。 それは毎度のことだが、忘れてはいけないことがある。 酒井容疑者が、今後もし逮捕されたら、その後、身柄を検察に送致され、検察官が取り調べを行い、 起訴するかどうか、つまり、刑事裁判を起こすのかどうかを決定する。 仮定上の話として、検察が酒井容疑者を取り調べることになったとしても、酒井法子さんはまだ「被疑者」である。 被疑者は「無罪が推定される」 そしてもし、検察が酒井被疑者を有罪に出来ると確信したら、初めて起訴を決める。 起訴されると、酒井「被告人」になる。しかし、それでもまだ、 刑事被告人は有罪判決が確定するまでは「無罪」と推定される。 これが近代刑事裁判の大原則「推定無罪」又は「無罪推定原則」である。 警察とマスコミはかつて、松本サリン事件において、 大失態を演じた。警察は、無実の第1発見者、河野義行氏を犯人と決めつけた。 マスコミは警察発表をそのまま記事にするだけで、警察の捜査、取り調べに問題がないのかどうかも確かめなかった。 ニュースを見た国民は皆、河野義行氏が犯人と思いこんでしまった。 結果的に河野氏は無実であり、真犯人はオウム真理教だった。 当時の国家公安委員会委員長、野中広務だけが河野氏の元に直接謝罪に訪れた。 新聞各社は謝罪記事を掲載したが、実際に責任者が謝罪にきた社は無かった。 あれほど、取り返しの付かない失態を演じておきながら、マスコミは懲りずに同じ事を繰り返す。 私は、本件(酒井法子氏)の詳細に個人的興味は無い。 言い方を変えれば、酒井被疑者が覚醒剤を使用しているかどうか、知ったことではない。 場合によっては、酒井被疑者は逮捕され、送検され、起訴され、有罪判決が下される可能性は、勿論、ある。 それは結果論であり、本稿で強調しているのは、刑事裁判の一般的な原則。考え方である。 繰り返すが、酒井被疑者は、法的には、無罪と推定される。 マスコミ各社がミスリーディングな報道をするのは前述のとおりだが、私がおどろいたのは、 最高裁が、酒井法子容疑者が主演する裁判員制度の広報用映画「審理」について「使用を自粛する」 と決定したことである。司法の頂点にある裁判所が、無罪推定原則の有名無実化に加担している、 と言って良い。それこそが大問題だ、と主張しているのだ。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2008年08月07日(木) 3年前の8月8日、何があったでしょう?
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