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JIROの独断的日記
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2006年08月07日(月) <自民党>「靖国若手の会」が首相参拝で提言←ったく、分からねえ奴らだなあ。

◆記事:<自民党>「靖国若手の会」が首相参拝で提言

自民党の「平和を願い真の国益を考え靖国参拝を支持する若手国会議員の会」(今津寛会長)は11日、

「首相が国民を代表する立場で継続して参拝するよう求める」との提言をまとめた。

時期については「首相自身の判断に委ねる」とする一方、A級戦犯分祀には「政府主導は政教分離に反する」と反対した。

(毎日新聞) - 8月11日18時4分更新


◆コメント:裁判所が首相の靖国参拝は違憲だと言っているのが分からんか?

あのですね。何度言ったら分かるのでしょうね。

日本国憲法は第20条第3項は、

国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

と定めています。

「国」、「国の機関」は抽象的概念で、実体は国の機関、例えば行政府(内閣)は生身の人間で構成されている訳です。

国の機関が宗教的活動をおこなってはならない、とは、事実上、「国の機関の構成員たる自然人」を意味します。

一番問題となっているのは行政府=内閣です。内閣というのは、要するに大臣と総理大臣です。

従って、国及びその機関のひとつである行政府を構成する各大臣は宗教的活動をしてはいけないのです。

首相は行政府の一員ですから、当然、憲法20条3項でいうところの国の機関なのです。

そして、ある法律や処分、行為が違憲か否かを判断するのは、立法府(国会)でも、行政府(内閣)でもない。司法(裁判所)です。
日本国憲法第81条【 法令等の合憲性審査権 】最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

終審裁判所が最高裁だと書いてあるだけですが、これは文字通り、最終的な判断を下すのが最高裁である、という意味です。下級審(地方裁判所、高等裁判所)も違憲審査権を持つのです。

それは、つい先日、説明しました

そこに書いたとおり、大阪高裁、それ以前には福岡地裁が首相の靖国神社参拝は違憲であると判断しているのです。

「判決傍論だろ?」と「反論」する前に、わが国は付随的違憲審査制という制度になっている事を知って下さい。


◆戦犯という概念は滑稽ですが、戦争を始めた責任はやはり一部の人々にあると思います。

A級戦犯とかなんとかいう以前に、裁判という制度の本質に鑑み、東京裁判は、裁判とは言えない。

裁判の本質とは、「紛争の当事者とは利害関係の無い、第三者が当事者双方の言い分を聞いて、法的決定を下す」ことです。

東京裁判は、紛争の当事者の一方が他方を裁いて、「平和に対する罪」とか言ってるんですから、裁判の本質を完全に逸脱している。本当はお話にならない。

しかし、日本は、戦後サンフランシスコ講和条約を締結して、世界の国々との戦争状態、敵対関係を終わらせたのです。

そのときに「東京裁判の結果を受け入れる」と公式に認めたのであって、今更、「あれは無効だ」とは言えないのです。

だから、A級だろうが、B級だろうが、「戦犯」という言葉には意味がないけれども、日本国の公式見解としては、そう述べてはいけません。

ホンネを言えば、「平和に対する罪」「人道上の罪」を問題にするのなら、原爆を二回投下して34万人殺したトルーマン大統領は超A級戦犯なのですがね。

それはさておき、米英と戦争をするきっかけとなった、日独伊三国同盟締結を提唱した陸軍や右翼、その他の人々の責任はものすごく重いことは間違いがありません。


◆その辺の事情を知りたかったら、阿川弘之氏の三部作を読んで下さい。

阿川弘之氏は「たけしのTVタックル」に出ている阿川佐和子(最近見ていないけど、まだやっているんでしょ?)の御父上です。

志賀直哉の最後のお弟子さんで、東大在学中に学徒動員で海軍に入れられて、戦争を実際に体験した人です。

三部作とは「米内光政」「山本五十六」(上下)「井上成美(しげよし)」です。


◆「海軍左派」、米内、山本、井上。

3人とも、日独伊三国同盟などもってのほか。アメリカ、イギリスとの戦争を何としても食い止めようとしました。

本当に毎日脅迫され、生命の危険があっても、絶対に意見を変えなかったことで共通しています。

如何なる恫喝にも全く3人とも動じないので、当時の新聞記者たちは感心したらしい。米内、山本、井上を「海軍左派」と呼んでいました。


「左派」とは、左翼ではなく、「リベラル」という意味です。

米内海軍大臣、山本海軍次官、井上軍令部長という時期もあったのですが、それでも時代の流れを食い止められなかった。

山本五十六が連合艦隊司令長官になったのは、本当に暗殺されそうだったので、米内光政が、海に出したのです。

山本五十六は真珠湾攻撃をやりますが、「自分の考えと正確に180度逆のことをやるのに全力で邁進しないといけないのは、奇妙な気分だ」と海軍の同期に宛てた手紙に書いています。

要するに非常に不本意だったのです。

本当の考えを理解してくれる部下がいなくて辛かった様子が「山本五十六」に、詳細に描かれています。



井上成美という人は、ものすごく頭が切れ、信念を曲げなかった人です。昭和16年1月、つまり、戦争が始まる11か月前に書いた論文で、

「もし、アメリカと戦争になったら、アメリカは、1.日本国全土の占領が可能、2.首都の占領も可能、3.作戦軍(海軍)の殲滅も可能」

と、書いています。

今から思えば当たり前ですが、当時はこういう事をいうと、右翼が来て本当に生命の危険があったのです。世間全体がバカになってしまったようです。



米内光政は、普段は温厚な人格者でしたが、開戦前、海軍大臣を務めていた頃、三国同盟を締結するかどうか、という閣議の席上、米英軍と戦って勝てる見込みはあるか?と訊かれて、
「勝てる見込みはありません。そもそも日本の海軍は米英を向こうにまわして戦うように建造されておりません。」

と、ものすごくはっきりと断言したのです。


◆終戦工作に奔走した、米内、井上。

3人の極めて合理的・論理的な意見も、バカな陸軍や右翼には一向に通じなくて戦争になってしまいました。

戦争になってから、米内は一旦現役を退きますが、終戦の為に組閣された鈴木貫太郎内閣で、

「海軍を収めることができるのは米内以外にいないだろう」、という陛下のご意向で、再び海軍大臣となります。

結果的に最後の海軍大臣になります。

その時、終戦工作のスペシャル・タスク・フォースを命ぜられたのが、「カミソリ」という異名を持つほど頭の切れる井上成美でした。



客観的にはどう見ても負けなのですが、軍人たちは気が立っているから、うっかり「終戦」という言葉を口に出せない。

極秘裏に計画を立てる必要があったのです。

最後は鈴木貫太郎内閣総理大臣と米内海軍大臣の尽力の甲斐があって、御前会議で、陛下が終戦を決めたのです。


◆戦争を始めた人を神様にして、戦争終結に全勢力を傾けた人のお墓参りはしないのはおかしいのではないですか?

私の説明が下手なので、分かりにくかったと思いますが、要するに、戦争は原爆が落ちたから自然に終わったのではなく、

国民の知らないところで米内、井上、鈴木の大奮闘があったのです。



ここまでやりながら、井上成美は「戦争を食い止められず、もっと早く終わらせることが出来なかったことに、責任を感じる」といい、

戦後、30年間横須賀で極貧の生活を送り、一度も公の場に姿をあらわさず、昭和50年、独りで寂しく亡くなりました。



米内光政は、もともと血圧が高く健康状態が優れなかったのに、終戦工作の重責を担ったので、元気な頃と同一人物とは思えないほど痩せて、昭和26年になくなりました。

米内は、昭和天皇の御信認がとにかく厚く、海軍省がなくなり、最後のご挨拶のため、宮中に参内したら、

陛下が「米内には苦労をかけたね。これからは、会うことも少なくなるだろうが、健康には気をつけるように。」とおっしゃって、

御自分がつい今まで使っていた筆と硯を米内に「今日の記念として持ち帰って貰いたい」と自ら手渡されました。

米内は硯箱を持って廊下に退出するなり、声を殺して泣き出したとのことです。


◆戦争を始めるより、終わらせるのが大変なのです。

言うまでもなく、当時の日本は「戦争放棄」などしていなかったのですから、軍人としては、戦争に反対する方が勇気が要るのです。

海軍ならば、国民の税金を使って、軍艦を大量に保有しておきながら、「この戦争をしたら負けます」という訳です。

右よりの人々は「それじゃ、お前らは何のために存在するのだ」といわれてしまう。

それでも、合理的・客観的に見れば米英と戦争したら負けることは明らかなので、米内、井上、山本はあの戦争は絶対反対だった。

ですから、戦争が始まった後は「だからいわんこっちゃない。」という心境だったでしょうが、終戦のために、全力を尽くした。



「戦犯」云々はともかく、戦争を始めて国を滅ぼしてしまった人が神様で、戦争を終わらせた人々のことは忘れられている。

若しくは多分若い人は全く知らない。こちらの方が問題だと思います。


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