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JIROの独断的日記
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2009年07月25日(土) 【追加】NHK「となりの子育て『育てた人にきいてみる〜バイオリニスト・宮本笑里の父』視聴後雑感。/笑里さんのCDでの父娘共演。

◆オーボエ奏者、宮本文昭さんは、最初、お嬢さんに音楽の道に進んで欲しく無かったそうです。

今日(2009年07月25日(土))夜9時半から、NHK教育テレビで、となりの子育て「育てた人にきいてみる〜バイオリニスト・宮本笑里の父〜」

と言う番組がありました。普段は見ませんが、今日はお父さんがオーボエの天下の名手、宮本文昭さん、

お嬢さんがヴァイオリニストの宮本笑里さんだったので、夢中で見ました。

再放送の予定は未定ですが、この番組、結構再放送をしているようで、

かつ、本日の放送は、NHK教育テレビの番組としてはかなり視聴率も高かったでしょうから

再放送される可能性は十分にあります。勿論、私には保証出来ませんが。


◆月並みな言葉になってしまいますが、非常に感動的でした。

最初に結論を書くと、あまりにも凡庸な表現で恥ずかしいのですが、非常に感動的でした

(私がクラシック音楽が好きだから、一層、感激した、ということはあるでしょうが)。



オーボエ奏者・宮本文昭さんのお嬢さんはヴァイオリニストですが、お父さんには内緒で、

7歳ごろから本格的にヴァイオリンを習い始めました。

笑里さんは1983年ドイツの生まれですが、1991年頃に日本に帰国しましたが、

お父さんはケルン放送交響楽団首席オーボエ奏者ですから、たまに日本に帰ってきますが、

また直ぐにドイツに戻るわけです。ある時お父さんが日本に帰国したら、

ウチの中からヴァイオリンの音がする。笑里さんが習っていると知って、困ったことになった、と思ったそうです。

気になって仕方がないのです。

一度音楽的な事を指摘し始めたら、自分でブレーキが効かなくなることがわかっていたので、

宮本文昭さんは、出来れば、お嬢さんには、音楽は聴くだけにして欲しいと思っていたのだそうです。



お父さんは、オーボエ奏者ですから、当然、ヴァイオリンの奏法上のことは分からないけれども、楽器は違っても、

どの楽器にも「西洋音楽を演奏するに際して、共通すること」が沢山ある。

だから、笑里さんが楽器を弾くと、どうしても聴いてしまし、色々と音楽的な問題が、気になって仕方がない。


笑里さんが中学1年のときに、お父さんは、真剣に厳しい選択を迫りました。

お前は本当にプロになるのか。それとも趣味として続けるのか。

ヴァイオリンのプロになる人は3歳ぐらいから始めているので、既に遅れを取っている。

プロになる気ならば、ここから、本当に死にものぐるいで勉強しないと間に合わない、と思ったからだそうです。

もし、「趣味でやる」と答えたら、もう何も言わないで済むから、出来ればそう答えて欲しかった。

しかし、笑里さんは、「やはり、ヴァイオリンを弾いているときが一番楽しい。続けたい」と、厳しい道を選択しました。



それから、お父さんは容赦なくなりました。

前述のとおり、ヴァイオリン演奏のテクニック的なことは、専門の先生に任せるけれども、

フレージングとか曲全体の演奏の構成は、全ての演奏分野に共通するから、

お父さんは、娘の練習を聴いて、容赦なく罵倒したそうです。それは、すさまじかったらしい(笑)。

笑里さんはあまりのお父さんの剣幕に泣くことも度々ありましたが、お父さんは全然容赦しない。
お前、今泣いても仕方がないだろう。泣けば問題が解決するのか?泣けば上手くなるのか?泣く暇があったら、弾け。

笑里さんが当時使っていたバイオリンには、お父さんにレッスンでしごかれて流した涙の跡が今でも残っています。

中学2年のとき、転機がおとずれました。

それまで大人しくお父さんの言うことを聞き、もともと穏和な性格の笑里さんが、

感情を大爆発させたことがあったそうです。
レッスンで、お父さんはああいうけど、私はこう思う、あれも違うと思う、これもおかしいと思う。

と泣きながら、延々と大反論をした。

宮本文昭さんはそれを見て、聴いて、大変喜び、笑里さんを褒めたそうです。
お前、よくそこまで言った。音楽家は表現することが仕事なのだから、兎に角自分の解釈・主張が無ければダメだ。

泣いても、怒鳴っても良いから、自分の中からわき出るものを表現できなければ、ダメだ。

今のは「自己表現」ですばらしいことなのだ。

と。やはり、芸術家の感性ですね。当の笑里さんは泣いて怒鳴って大反論したのにも関わらず、

逆に褒められて「キョトン????」状態だったそうですが、それから父と娘の関係は少しずつ変わりました。



笑里さんは、やがて音楽大学へ進学しましたが、

自分と同じ世代で英才教育を受けてきた子たちよりも遅れていることを自覚したので、

朝は4時に起きて学校へ行くまでスケール(音階)などの基礎練習をし、

学校が終わるとまっすぐ帰ってきて夜中まで練習。一日十数時間練習する日が続いた、といいます。



お父さんは、相変わらず厳しかったけれど、音楽的な注意をすると、笑里さんが直ぐに理解して演奏にそれを反映させるので、

「これはひょっとしたらものになるかも知れない」と少し安心したそうです。

笑里さんは2007年にデビューし、お父さんが引退するときのラストコンサートで共演しました。

お父さんの宮本文昭さんは、笑里さんは、勿論まだまだ修業を続けなければならないが、

兎にも角にも、こうして人前で共演できるようになったことが、感無量だったといいます。



お父さんは自分が厳しく笑里さんを訓練したことを間違ったとは、全く思っていませんが、
そろそろ、褒めてやらなければ、認めてやらないといけないでしょうね。「お前、ホント、よく止めなかったな」という気持です。

とおっしゃっていました。



笑里さんは、幼い頃、演奏旅行でしばしば家からお父さんがいなくなるのが寂しかったけれど、

そういうお仕事なのだ、と自らに言い聞かせ、お父さん頑張ってね、みたいな手紙を書いては、

お父さんの楽器ケースに入れていたそうです。帰ってきても何も言わないので、

笑里さんは「お父さん、読んでくれているのかな?」とちょっと心配ですが、

宮本文昭さんは、実はそれら全ての手紙を今だに保存しているそうです。

移動の飛行機やバスの中でこっそりそれを読んでは涙していた、と言います。



その話を聞いて、私も目頭が熱くなりました。

今日の番組のために、もう大人になった笑里さんが久しぶりにお父さん宛の手紙を書きました。

一言一句覚えていませんが、大体次のようなものだったと記憶しています。
子供の頃、お父さんの厳しさに泣いたけれども、音楽家としてのお父さんの偉大さが分かって、厳しく指導してくれたことに感謝しています。

現役当時のお父さんが、お客さんに演奏を聴かせるためにあらゆる努力をしてきたのを見ていましたが、

今は、お父さんの気持ちが分かるようになりました。

お父さんは、現役奏者は退いたけれど、指導者・指揮者として忙しいでしょう。

身体に気をつけて下さい。

大体、こんな内容でした。宮本文昭さんの涙腺が微かに緩んだようでした。

大変ですね。

素人の親なら音楽的な細かいことまで分からないから、いちいち気にならないだろうけど、

何しろお父さんはドイツの一流オーケストラで長い間首席オーボエ奏者を務め、

オーボエ奏者の間では「世界のミヤモト」と言われるほどの演奏家ですから、

娘がどこまで伸びるか、気が気ではなかったのでしょう。



プロになるというからにはどんなに厳しくするのもやむを得ないと思って、

宮本文昭さんはお嬢さんを鍛えました。しかし、本当は辛かったのです。

出来れば、笑里さんが音楽を志さなければ、楽しく仲の良い親子であって、

「師弟関係」にならずに済んだのですから。



しかしながら、今や自分が笑里さんにしたことの意味を笑里さんが正確に理解してくれているのと、

宮本笑里さんが兎に角頑張って、他人様の前で弾けるようになったことに、

とても満足しているのがよく分かりました。

良い番組だった、と思います。


◆【追加】宮本笑里さんのデビュー・アルバム、「smile」より 宮本文昭さんと共演した「第三の男」


折角ですから、2007年に発売された宮本笑里さんのデビュー・アルバム“smile”の最後に収録されている、

お父さん、宮本文昭さんと共演した「第三の男」(これ、確か、ビールのCMに使われていましたね)をお聴き下さい。

演奏時間は1分ちょっとです。


宮本笑里・宮本文昭「第三の男」


ダウンロード TheThirdMan.mp3 (1508.1K)


笑里さんのこのアルバムにおける、他の演奏と比べるとわかりますが、

お父さんのオーボエに触発されて、笑里さんのヴァイオリンが、より一層、生き生きとしているのです

(録音方法も他の曲とセッティングが違うように聞こえますが、これは私には詳細は不明です)。

微笑ましいですが、それだけではなくて、きちんとした良い演奏です。

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