JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆オーボエ奏者、宮本文昭さんは、最初、お嬢さんに音楽の道に進んで欲しく無かったそうです。 今日(2009年07月25日(土))夜9時半から、NHK教育テレビで、となりの子育て「育てた人にきいてみる〜バイオリニスト・宮本笑里の父〜」 ◆月並みな言葉になってしまいますが、非常に感動的でした。 最初に結論を書くと、あまりにも凡庸な表現で恥ずかしいのですが、非常に感動的でした お前は本当にプロになるのか。それとも趣味として続けるのか。 ヴァイオリンのプロになる人は3歳ぐらいから始めているので、既に遅れを取っている。 プロになる気ならば、ここから、本当に死にものぐるいで勉強しないと間に合わない、と思ったからだそうです。 もし、「趣味でやる」と答えたら、もう何も言わないで済むから、出来ればそう答えて欲しかった。 しかし、笑里さんは、「やはり、ヴァイオリンを弾いているときが一番楽しい。続けたい」と、厳しい道を選択しました。 それから、お父さんは容赦なくなりました。 前述のとおり、ヴァイオリン演奏のテクニック的なことは、専門の先生に任せるけれども、 フレージングとか曲全体の演奏の構成は、全ての演奏分野に共通するから、 お父さんは、娘の練習を聴いて、容赦なく罵倒したそうです。それは、すさまじかったらしい(笑)。 笑里さんはあまりのお父さんの剣幕に泣くことも度々ありましたが、お父さんは全然容赦しない。 お前、今泣いても仕方がないだろう。泣けば問題が解決するのか?泣けば上手くなるのか?泣く暇があったら、弾け。 笑里さんが当時使っていたバイオリンには、お父さんにレッスンでしごかれて流した涙の跡が今でも残っています。 中学2年のとき、転機がおとずれました。 それまで大人しくお父さんの言うことを聞き、もともと穏和な性格の笑里さんが、 感情を大爆発させたことがあったそうです。 レッスンで、お父さんはああいうけど、私はこう思う、あれも違うと思う、これもおかしいと思う。 と泣きながら、延々と大反論をした。 宮本文昭さんはそれを見て、聴いて、大変喜び、笑里さんを褒めたそうです。 お前、よくそこまで言った。音楽家は表現することが仕事なのだから、兎に角自分の解釈・主張が無ければダメだ。 と。やはり、芸術家の感性ですね。当の笑里さんは泣いて怒鳴って大反論したのにも関わらず、 逆に褒められて「キョトン????」状態だったそうですが、それから父と娘の関係は少しずつ変わりました。 笑里さんは、やがて音楽大学へ進学しましたが、 自分と同じ世代で英才教育を受けてきた子たちよりも遅れていることを自覚したので、 朝は4時に起きて学校へ行くまでスケール(音階)などの基礎練習をし、 学校が終わるとまっすぐ帰ってきて夜中まで練習。一日十数時間練習する日が続いた、といいます。 お父さんは、相変わらず厳しかったけれど、音楽的な注意をすると、笑里さんが直ぐに理解して演奏にそれを反映させるので、 「これはひょっとしたらものになるかも知れない」と少し安心したそうです。 笑里さんは2007年にデビューし、お父さんが引退するときのラストコンサートで共演しました。 お父さんの宮本文昭さんは、笑里さんは、勿論まだまだ修業を続けなければならないが、 兎にも角にも、こうして人前で共演できるようになったことが、感無量だったといいます。 お父さんは自分が厳しく笑里さんを訓練したことを間違ったとは、全く思っていませんが、 そろそろ、褒めてやらなければ、認めてやらないといけないでしょうね。「お前、ホント、よく止めなかったな」という気持です。 とおっしゃっていました。 笑里さんは、幼い頃、演奏旅行でしばしば家からお父さんがいなくなるのが寂しかったけれど、 そういうお仕事なのだ、と自らに言い聞かせ、お父さん頑張ってね、みたいな手紙を書いては、 お父さんの楽器ケースに入れていたそうです。帰ってきても何も言わないので、 笑里さんは「お父さん、読んでくれているのかな?」とちょっと心配ですが、 宮本文昭さんは、実はそれら全ての手紙を今だに保存しているそうです。 移動の飛行機やバスの中でこっそりそれを読んでは涙していた、と言います。 その話を聞いて、私も目頭が熱くなりました。 今日の番組のために、もう大人になった笑里さんが久しぶりにお父さん宛の手紙を書きました。 一言一句覚えていませんが、大体次のようなものだったと記憶しています。 子供の頃、お父さんの厳しさに泣いたけれども、音楽家としてのお父さんの偉大さが分かって、厳しく指導してくれたことに感謝しています。 大体、こんな内容でした。宮本文昭さんの涙腺が微かに緩んだようでした。 大変ですね。 素人の親なら音楽的な細かいことまで分からないから、いちいち気にならないだろうけど、 何しろお父さんはドイツの一流オーケストラで長い間首席オーボエ奏者を務め、 オーボエ奏者の間では「世界のミヤモト」と言われるほどの演奏家ですから、 娘がどこまで伸びるか、気が気ではなかったのでしょう。 プロになるというからにはどんなに厳しくするのもやむを得ないと思って、 宮本文昭さんはお嬢さんを鍛えました。しかし、本当は辛かったのです。 出来れば、笑里さんが音楽を志さなければ、楽しく仲の良い親子であって、 「師弟関係」にならずに済んだのですから。 しかしながら、今や自分が笑里さんにしたことの意味を笑里さんが正確に理解してくれているのと、 宮本笑里さんが兎に角頑張って、他人様の前で弾けるようになったことに、 とても満足しているのがよく分かりました。 良い番組だった、と思います。 ◆【追加】宮本笑里さんのデビュー・アルバム、「smile」より 宮本文昭さんと共演した「第三の男」 折角ですから、2007年に発売された宮本笑里さんのデビュー・アルバム“smile”の最後に収録されている、
2008年07月25日(金) 暑いですなあ。せめて涼しげな(?)音楽を。宮本文昭(オーボエ)「ミラノの午後」/【追加】宮本文昭さんの他のCD(曲も追加)
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