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2009年06月13日(土) |
【音楽】6月11日、リヒャルト・シュトラウス(1864〜1949)の誕生日でした。「英雄の生涯」(コンマス=安永徹さん) |
◆リヒャルト・シュトラウスってずっと敬遠してたのです。
リヒャルト・シュトラウスという、後期ロマン派の作曲家がおります。
オペラも、シンフォニーも書いています。親父さんがホルン吹きだったから、ホルン協奏曲も2つ書いてます。
歌曲も書いていますが、彼が後世に名を残したのは、7曲の「交響詩」によるところが大きいです。
それ以上のウンチクを垂れる知識は、正直言って私にはないので、知りたい方は恐縮ですが、ウィキペディアをご覧下さい。
子どもの頃、初めて、R・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」を聴いたとき、私は、
何て退屈な音楽だろう。
と思いました。作曲家の好みはひとそれぞれでいいのですが、ただ、私の乏しい経験からいえるのは、
若い頃に聴いて「つまらない」と思った曲なのに、大人になってから聞いたら気に入る、ということは、
決して珍しくないのです。
◆最近、R・シュトラウスを聴くようになったのは、安永徹さんのおかげです。
この日記・ブログでは、25年間ベルリン・フィルのコンサート・マスターを務めた安永徹が退団なさる前、
随分何度も、その話題を取りあげましたが、安永さんがベルリン・フィルのコンサートマスターとして最終的に
カラヤンとベルリン・フィルのメンバーに認められたのは、R・シュトラウスの交響詩、
「ツァラトゥストラはかく語りき」であったことを、以前から知ってはいたものの改めて認識しました。それは、
「安永さんベルリン・フィルと別れ コンサートマスター25年」←、せ、先週終わってたの?/安永さんがコンマスになった頃の対談。
に引用した、安永さんと、作曲家の故・石井真木さんとの対談を読むと明らかです。
安永さんがコンサート・マスターの試用期間を経て、最後に試された曲がR・シュトラウスだったからには、
聴かねばならぬ、と思いました。理屈ではありません。
ベルリン・フィルの映像はYouTubeに沢山ありますが、流石にカラヤン時代の映像、
しかも安永さんがコンマスになった後、カラヤンが振っている映像は意外にすくないのです。
カラヤンが世に認められるようになったのも、安永さんがコンマスとしてみとめられるようになったのも、
「ツァラトゥストラはかく語りき」なので、何とかその頃の映像がないか、探しましたが、ありません。
その替わり、ベルリン・フィルの指揮者がサイモン・ラトルになった後、2005年に来日公演したときに、
プログラムに、同じくR・シュトラウスが最後書いた交響詩「英雄の生涯」の映像がみつかりました。
幸い、コンサートマスターは安永さんです。そして、この曲には、コンサートマスターの長いソロがあります。
どのオーケストラでもコンサートマスターのオーディションで必ずと言って良いほど弾かされる、難しいので有名なソロです。
今日は、2005年、ベルリン・フィル来日公演における、「英雄の生涯」を載せます。
◆少々取っつきにくいかも知れませんが、安永さんの素晴らしいソロを是非聴いて下さい。
今までこのブログでは、意識的に取っつきやすい音楽を取りあげました。
それらに比べると、「英雄の生涯」は、はっきり言って難解です。
しかし、安永さんのソロがあるだけでも聴いて、見る価値があります。
全体が5つのファイルに分けられています。特にパート2は安永さんの独擅場です。
それでは、いきます。
◆R.シュトラウス作曲:交響詩「英雄の生涯」(Ein Heldenleben)サイモンラトル指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
この曲は6つの部分から構成されていますが、切れ目なく演奏されます。
Ein Heldenleben - Rattle, Berlin (I)
次のパート2はほぼ全体にわたって、コンサートマスターの難しいソロがあります。安永さんの妙技をお聴き下さい。
Ein Heldenleben - Rattle, Berlin (II)
Ein Heldenleben - Rattle, Berlin (III)
Ein Heldenleben - Rattle, Berlin (IV)
次で終わりますが、曲の最後にもコンサート・マスターのソロがあります。
曲が終わって、オーケストラ全員が起立する前にサイモンラトルは真っ先に安永さんだけ立たせて、
名演奏を讃えます。そして、他のベルリン・フィルのメンバーがやはり、「流石、安永さん。」と言わんばかりです。
Ein Heldenleben - Rattle, Berlin (V)
◆やはり、ベルリン・フィルのコンマスを務めるのは、我々の想像を超える偉業なのです。
何度もかきましたけど、ベルリン・フィルのオーディションに合格するだけでも、多分我々の想像を絶する難関。
普通のメンバーですら、オーディションに合格するのは「試用期間の始まり」ということ。1年みんなが観察していて、
「やはり、あなた、ウチのオーケストラには合わない。ごめんね」ということもあるのです。
更に、コンサート・マスターになるときには、コンサート・マスターのオーディションがある。
それに合格しても、やはり、それは、「コンサート・マスターとしての試用期間の始まり」で、
安永さんは試用期間が1年半もあったのです。その間、全員が安永さんが本当にコンサート・マスターとして適任か、
を観察している。その期間が終わると全員が議論をして、最後に投票をする。3分の2以上の人が賛成して、
そこでやっと本当に「ベルリン・フィル、第一コンサートマスター」になるんです。
とても、想像の付かないプレッシャーの連続で、それは、正式なコンサートマスターになってもずっと続く。
その重責を25年も務めた安永さんを尊敬せずにはいられません。
ドイツは、安永さんに勲章を贈りました。
「ベルリン・フィルの安永徹さん、独政府が勲章授与」←安永さんは勲章が欲しくて音楽家になったのではない。しかし、私は嬉しい。
「最大級の賛辞」とは、正にこのこと。安永徹さんにベルリン・フィルとサイモン・ラトルから贈られたメッセージ。
これに対して、日本政府は無反応。あまりにも無教養で恥ずかしいと思い、私は、内閣総理大臣あてにメールを送りました。
首相へのメール「麻生太郎内閣総理大臣。世界一のオーケストラのコンサートマスターを25年務めた日本人がいることを御存知ですか。」
勿論、期待してなどいませんでしたが、やはり何の反応もありません。
恥ずかしいことです。
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2008年06月13日(金) <ネット殺人予告>大学生を事情聴取 大阪府警←これは、マスコミの所為でもあるのだよ。分かっとるかね?
2007年06月13日(水) 「<NOVA>一部業務停止、6カ月間 経産省が命令」←NOVAは悪い。ただ、英語を話せるようになるのに、大金は要りません。
2006年06月13日(火) 「日銀総裁、村上ファンドに1000万円」←福井総裁、残念だが辞めて下さい/岩城さんの話(続き)
2005年06月13日(月) 「宝塚―尼崎間で走行実験、非常ブレーキ再現」 ←つまり、いまだに事故の真相は不明なのだ。
2004年06月13日(日) 「集団的自衛権の行使規定を明記、自民が改憲案論点整理」 だから、自民党代議士なんてのはバカだってんだよ。
2003年06月13日(金) 「TBSが特集放送を約束 障害者団体の抗議で謝罪」それはいいんですが、発言した医者本人は何故謝罪しないのか?