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JIROの独断的日記
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2009年02月21日(土) 「安永さんベルリン・フィルと別れ コンサートマスター25年」←、せ、先週終わってたの?/安永さんがコンマスになった頃の対談。

◆記事:「安永さんベルリン・フィルと別れ コンサートマスター25年」(共同通信)(2009年2月14日(土)10:56)

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターを約25年間務めてきた安永徹さん(57)の同フィル最終公演が13日、

本拠地のベルリンで行われ、約2400人の聴衆を魅了した。

安永さんは83年に同フィルの第1コンサートマスターに日本人では初めて就任。

「帝王」カラヤンのほか、アバド、ラトルの3人の芸術監督の下で名門オケのまとめ役を担ってきた。


◆コメント:つい先日のニュースでは2月22日(今日)が最後のステージと書かれていたので驚いた。

安永さんがベルリン・フィルのコンサートマスターを定年まで8年を残して辞めて、日本に帰国する、と言う話は、

2009年02月04日(水) 「ベルリンフィルコンサートマスター 安永さんが退団へ」←ものすごいショックですが、安永さん、長い間お疲れ様でした。

ココログはこちら)に既に書いた。

但し、この時引用したニュースには、

2月22日のオーストリア・ウィーン公演をもって辞任する。

とかいてあったので、てっきり今日が安永さんの最後のコンサートだなあ、と、数日前から思っていた。

昨日偶然、冒頭の記事を発見して、安永徹さんのベルリン・フィル最後のステージは先週の金曜日に終わっていた、と知り、

愕然とした。1週間知らなかったことで、何がどう変わるわけではないのだが、13日が最終公演だと知っていたら、

私は必ずその翌日、記事を書いたであろう。まあ、仕方がない。

念のため付け加えるならば、ステージに上がるのは2月13日が最後だが、

正式には、安永さんは3月31日付でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、第一コンサートマスターを辞するのである。


◆あまり「寂しい」と書いては、却って失礼なのは分かっているが、私はその感情を制御出来ないのである。

いずれにせよ、定年まで8年を残して退団する安永さんには、安永さんなりの熟考の末の決断があったのだろうから、

「今後のご活躍を楽しみにしています」と申し上げるべきである。そんなことは分かってるんだよ。私だって。

ベルリン・フィルに最初に入団した日本人は、ヴィオラの土屋邦雄さんで、

1957年〜2001年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で弾き続けた方である。

定年でお辞めになった。誠に偉大である。

また、安永さんが辞めても、ベルリン・フィルには、ヴィオラの首席、清水直子さん、第一ヴァイオリンのテュッティ(総奏)奏者、町田琴和さんの二人の日本人音楽家が在籍しておられる。

土屋さん、清水さん、町田さんも、勿論、ベルリン・フィルのオーディションを通って、メンバーになったこと自体、ものすごい偉業だ。


しかし、日本人がベルリン・フィルのコンサートマスターを25年も務めた、ということは、並のものすごさではない。

こんな事は多分二度とないだろう。と、つい、思ってしまう(可能性がゼロとは断言できないが)。

あまり「寂しい、寂しい」と言っては安永さんやその他の皆さんに対しても失礼であることは理屈では分かるのだが、

自然に湧き上がる「寂しい」という感情を、私はどうしても制御出来ない。


◆安永徹対談集「音楽ってなんだろう」より、「ベルリン・フィルの試験」(作曲家、故・石井真木氏との対談の一部)抜粋引用

いくら私が「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサート・マスターを務めたことはすごいことだ」と書いても、

大部分の日本人には、ピンと来ないだろう。手元に一冊の本がある。

安永徹対談集「音楽って何だろう」(新潮社)(因みにAmazonで「カスタマーレビュー」を一人だけ書いているが、それは私である)。

(注:Amazonでは売り切れになってしまったが、インターネット古書店「日本の古本屋」には、まだ数冊ある。

「音楽って何だろう」で検索すると、すぐに見つかる。)

対談相手は四人だが、生前、安永さんと親しかった作曲家、故・石井真木氏との対談で石井さんが聞き役になり、

安永さんが、ベルリン・フィルに入団した時のこと。その後、コンサート・マスターのオーディションを受けたときのことを、

詳しく話しておられる。

ベルリン・フィルに入団しても、コンサート・マスターになるためには、別に、コンサート・マスターのオーディションを受け、

それに受かって、約1年半、試用期間があり(その間、オーケストラのメンバーとカラヤンが、安永さんを毎回観察(審査)している訳である)、

その後、もう一度オーケストラ全員による、会議が開催され、出席者の3分の2を超える得票があって、初めて「本物の」コンサート・マスターに

なることができるのである。


安永徹対談集「音楽って何だろう」(新潮社)からその部分を引用させて頂く(32ページから40ページ2行目まで)。

長いテキストだが、以下は安永さんへの敬意を表する(ことになるかどうか分からないが)ため、

私が本を見てキーボードから一文字ずつ入力したものである。

(残念ながらエンピツでは、文字数制限を超えてしまい、全文収録出来ないので、ココログをご覧頂きたい。)


お読みになって分かると思うが、コンサート・マスターのオーディションを合格してもそれからの(安永さんの場合)1年半は毎回のコンサートが、

謂わば「試験」だったわけである。その後、投票があって、侃々諤々の議論の後に、正式に「合格」となる。その1年半のプレッシャーは察するにあまりあるが、

この対談が行われたのは、本の記録によると、1985年8月9日である。丁度、正式にコンサートマスターに就任した直後の対談だから、

細部まで安永さんもはっきり記憶していて、カラヤンにいきなり呼ばれて弾かされたり、会議の前に、「もしダメだったら大変だから、辞退したらどうだ」と

本気で心配してくれた、ベルリン・フィルの同僚の話など、日本語で書かれた本で、安永さんのベルリン・フィルコンサート・マスター就任までの内幕が

ここまで生々しく記録されている本は他に無い、と思う。安永さん自身、正式にコンマスと決まったときは、あまりの事の大きさにわなわなとしてしまった、

というぐらいの重責を、四半世紀も務めたのが、安永さんであり、敬意を表するなと言われても無理で、

他の誰が何と云おうと(誰かが何かを言っている訳ではないが)私は安永徹さんを尊敬している。

それは終生変わることが無いであろう。


◆【音楽】「安永徹 ヴァイオリン演奏会」よりコレルリ・ヴァイオリン・ソナタヘ長調 作品5-4全楽章

過去に、私が何度もおすすめした安永さんのCD、デュオ・コンサート。改めてお薦めする。

今まで、冒頭に収録されたコレルリのヴァイオリン・ソナタヘ長調、作品5-4、の第一楽章だけ載せたが、

今日は、全楽章(5つの楽章)を載せさせて頂く。

コレルリ:ヴァイオリン・ソナタヘ長調 Op.5-4。第一楽章


第一楽章


第二楽章


第三楽章


第四楽章


第五楽章


安永さんの楽器はチェロで名器を沢山残したクレモナの弦楽器職人モンタニアーナが作ったものである。

ヴァイオリンもお聴きの通り、名器である。

本当の名人が名器を弾いた名演奏である。私は自分が持っているヴァイオリンのCDでこれが最も好きなのである。

先日と同じ言葉で締めくくります。


安永徹さん、25年もの長きにわたる、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、第一コンサートマスターとしてのお務め、

お疲れ様でした。心より誇りに思い、尊敬しています。

今後、安永さんの日本でのご活躍を改めて祈念致します。

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