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2006年02月21日(火) |
「読売日本交響楽団“モーツァルト・シート”特設」←読売巨人軍を知っている人の何%が「読売日本交響楽団」を知っているだろう? |
◆記事:読売日本交響楽団“モーツァルト・シート”特設!(クラシック・ニュース)
読売日本交響楽団では下の各公演に限定50席“モーツァルト・シート”を設けました。
特典:2公演を同時に求めると各席の20%割引!
3公演を同時に求めると各席の30%割引!
そのほか求めた公演の舞台写真のポストカードなどが入手できる。
申し込み:読売日響チケットセンター(03-3562-1550)
(以下、略。 詳しくは、読売日本交響楽団“モーツァルト・シート”特設をご参照。
◆コメント:日本テレビは、日本で唯一、オーケストラを持つ民放なのに・・。
日本テレビ(系列)のテレビ番組表(地上波、BSデジタル)をかなり詳しく見たが「読響アワー」が無い。かつてはあったのだ。
民放だから、予想はしていたが(ナベツネなんて如何にも教養がなさそうだもんね。)、残念なことだ。
日本テレビは、同一企業グループ内に「読売日本交響楽団」という立派なシンフォニー・オーケストラを持っている、日本で唯一の民間放送局なのである。
読売巨人軍を知っている人の1万分の1ぐらいしか、読売日本交響楽団の存在を知らないだろうし、知りたくもないのだろう。
もったい無いことだ。 良いオーケストラなのだけどなあ・・。
以前はそれでも、土曜の深夜に「読響コンサート」などといって、今はフリーだが、局アナ時代の福留功男や、
当時はまだアナウンサーだった木村優子が司会をしていたのだ。
堀米ゆず子の「序奏とロンド・カプリチオーソ」なぞを日本テレビで聴くことがあったのだ。
当時は、この放送局にもそれなりに見識の有る人物がいたのだろう。
今週の週刊ポストにはテレビ業界の特に局社員の汚い世界が告発されているが、
要するにどこの局にも共通するのは、「視聴率が全て」ということである。
下らない話である。
そもそも、視聴率が正確に算出されているのか、誰か精査したことがあるのだろうか?
無いだろう。つまり正しく算出されたかどうか不明な数字に一喜一憂しているわけである。
そして仮に、「視聴率」が統計学的に適性な手続きを経て算出された数字だとしても、やはり、下らない。
何故なら、「誰が見ているのか」は全く考慮されず、「何人が見たのか」だけが問題になるからである。
一人の耳の肥えた人物がオーケストラの番組を見る。
百人の凡人がアイドルの歌番組を見る。
どちらが、良い番組か。
民放の論理では、何の問題もなく、後者である。
一事が万事こういう調子だから、耳がいい人だと、聴いているうちに、気分が悪くなるほど(これは、嫌味でも冗談でもない。
プロの音楽家の音感は、我々素人の想像を絶する。何しろ(特に、弦の人)1Hzの違いを聞き分けるのだから。あまり音程が悪い「音楽」
を聴いていると、実際に生理的に気分が悪くなるのである)音程が悪い歌がそのまま録音され流通する。
録音の過程でいくらでも音程など修正できるだろうに、されていないところを見ると、
レコーディングディレクターだか何だか知らないが、制作者が、やはり耳が悪いのだろう
(音楽で耳が良い悪いというのは、まず音程乃至、ピッチを聞き分けることが出来るかどうかという意味だ。
「耳が悪い」という表現は「難聴」を意味しているのではない)。
仕方がない。大衆社会の宿命だろう。
◆フジテレビと文化放送が援助を打ち切った、日本フィルの悲劇。
東京に「日本フィルハーモニー交響楽団」と「新日本フィルハーモニー交響楽団」というオーケストラがある。
両者は昔は一つの「日本フィルハーモニー交響楽団」だった。
何故、分裂したかといえば、日本フィルハーモニー交響楽団のスポンサーだった、フジテレビと文化放送が、
あるとき突然、資金援助を打ち切ることを通告したからである。
フジテレビと文化放送の財務状態が悪化したわけではなく、「儲からないから」が理由だった。
オーケストラのメンバーは、これに対し組合を結成して闘おうという音楽家と、
いや、そういうのは止めようという音楽家の二派に分かれてしまった。
惜しいことをした。日フィルも良いオケだったのに。
そのフジテレビのサイトに、以前、「モーストリー・クラシック部員募集」という採用広告が載っていた。
何が「モーストリーだ。ふざけるな。と思った(フジ子ヘミングなんてヘタクソを持ち上げやがって)。
◆モーツァルトは生誕250年に限らずいつ聴いてもいいに決まっているのだが、今日のお薦め。
クラシックの中でも派手な分野と地味な分野がある。
派手の代表はオペラ、次がオーケストラ・コンサートだろう。
一方、地味は何かというと「室内楽」という分野である。
室内楽というのを文字通り考えると、オペラもオーケストラも室内でやるのであるが、
要するに、小規模な合奏である。弦楽四重奏(曲)が代表的な「室内楽曲」だ。
モーツァルトにもカルテット(カルテットは本来「四重奏」の意味だが、
普通にカルテットというと弦楽四重奏曲、または弦楽四重奏団を指す)はあるけれども、少し取っつきにくいかも知れぬ。
今回紹介するのは、モーツァルトが無くなる年に書かれたクラリネット五重奏曲である。
ちょっとだけ説明すると「クラリネット五重奏曲」とは、「五人のクラリネット奏者が合奏する曲」ではない。
「クラリネット+弦楽四重奏団」、つまり、クラリネットを含む五人(5パート)による曲という意味だ。
似たような書き方をするものとして、たとえば、シューベルトの「ピアノ五重奏曲、『鱒(ます)』は、
ピアノ五台がずらっと並ぶのではない。「ピアノを含む五重奏曲」である。
話が逸れるが、「ます」は楽器編成が例外的である。
普通、弦楽四重奏とはバイオリン二本(第一バイオリン、第二バイオリン)、ビオラ、チェロなのだが、
シューベルトはこの曲で、バイオリンを1本にして、コントラバスを入れた。非常に珍しい。
話を戻す。
クラリネットはモーツァルトが非常に愛した楽器で、死ぬ間際にもう一曲クラリネット協奏曲を作曲したことについては、
以前、ここでも触れた。
そのリンク先で推薦している、カールライスターというベルリンフィル首席奏者が演奏したCDにも、実は「クラリネット五重奏曲」は録れてある。それも名演だ。
この曲は名盤が多くて、どうするか迷うのだ(このように、同じ曲を異なる音楽家が演奏し、その違いを楽しむというのが、クラシックを聴く場合の大きな特徴である)。
結局、コンチェルト(協奏曲)ではベルリンフィルのライスターを選んだから、
五重奏曲はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席クラリネット奏者を長く務めた、
アルフレート・ プリンツという名手を選ぶことにした。
非常にオーソドックスだが、良いものは、良い。
他にも、この人を巡って、ベルリンフィルとカラヤンが喧嘩して世界的に有名になった、
ザビーネ・マイヤーという女性奏者も天才的だ。
カラヤン騒動とは無関係に、非常に音楽的な演奏である。
いずれの演奏も良い。
兎にも角にも、私は、この曲を聴いていると、日頃の発言と完全に矛盾するが、
「もしかすると本当に『神様』というのが、何処かにいるのかいな?」と思えてくるのである。
2005年02月21日(月) ライブドアの話は、騒ぎすぎだ。もっと深刻な問題があるだろう。
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