JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆「行儀が悪い」という言葉を聞かなくなりましたね。 ・立ち居ふるまいの作法。「―がよい」「―見習」 ということだ。この両方の意味において、日本人の「行儀」が悪くなっている。 私が子供の頃は、よく「行儀が悪い」ことを注意された。 うちの親は箸の上げ下げまでうるさくは無いのだが、今の人から見れば、多分、かなり細かいことを指摘された。 立ったままものを食べる。歩きながら(家の中である)ものを食べるのは、とんでもなく行儀の悪いことだった。 「あれは乞食のやることだ」と言われた。 よそのお宅を訪ねたら、ずっと正座しているのが(昔は畳だからね)のが、常識であった。 ドアを閉めるときに、「バタン」と大きな音を立てると、「丁寧に閉めるものだ」と注意された。 例を挙げればキリが無い。 今の日本の大人、特に「団塊の世代」は、こういう躾けが出来ていない。だから、子供の行儀も悪い。 「行儀」というか、ちょっとした「マナー」と言った方がしっくり来る例。 今週、泊まった焼津グランドホテルは問題がなかったが、数年前に、箱根プリンスに泊まった時。 朝食のバイキング。当然コーヒーの巨大なサーバーがある。消費が速いから、ホテル従業員は絶えず 気を配っていなければならないが、あそこはなっていない。私が並んでいたら、前のオジサンで空になってしまった。 コーヒーを絶やす、ホテル従業員の質も悪いがこれは行儀とはちょっと違う。 私が、ムッとしたのは、私の前で最後の一杯をカップに注いだオッサン。 私が後にいることを認識しているにも関わらず、無言で立ち去った。 こういうときは、「すみません、空になってしまいました」と、私に一言断り、そのオジサンが、 ホテル従業員を呼び、コーヒーサーバーにコーヒーを補充するよう命ずるのが「マナー」というものだ。 こういうことを書く以上、私はそういうことは、必ず実践している。 黙って立ち去るのは、マナーが出来ていないのである。 マナーの悪い大人が親なのだから、当然、そのガキどもも、行儀が悪い。 バイキングというのは、言うまでもなく、大きな容器に料理などが盛られている。 あれは、端からとるのが、マナーである。端とは、容器の縁に近いところから、という意味である。 ところが、最近見ていると、ガキが、いきなり真ん中から、ゴソッと料理をえぐるように取る。 取るのに使った、スプーンなどは、元の位置に戻すのが当然であるが、料理につっこんだままである。 誠に行儀が悪い。こういうことは一時が万事なのである。こういう行動を見ただけで、その人物が、 自分の事しか考えていない人間であることが分かる。品性の程度が分かる。 今年泊まった焼津グランドホテルは、従業員の方々のサービスは殆ど完璧だったが、宿泊客にとんでもないのがいた。 夕食もバイキング(スモーガスボード、というほどではありません)だったのだが、これはどうしても子供が多い。 それは勿論構わない。行儀が良ければ。 私の隣のテーブル。何処の田舎から来たのか知らないが、一族郎党で大騒ぎ。 単に談笑しているならば、多少声が大きくても我慢する。我慢できなかったのは、就学前か小学校低学年のガキ数人。 ウルサイだけではない。嬉しくてはしゃぐのはある程度やむを得ないとしても、なんと、床に寝っ転がったり、床の上で、 ゴロゴロ転がり廻るのだ。 食事中に床に手をつく。ましてや寝っ転がるなど、言語同断である。 日本人はこういうとき、皆、見て見ぬフリをするが、私は黙っていられないのである。 怒り心頭に発した私は、20代後半か30そこそこの親のところへ、ツカツカと歩み寄り、 「すみません。もう少し、お子さんを静かにさせていただけますか?」 と、やや怒気を含んだ声で、しかし丁寧に言った。 親は、私のことをあたかも宇宙人にでも遭遇したときのように、驚いて見ていた。小声で「すみません」といい、 一族郎党はそそくさとレストランを後にした。 こういうことは、言っても良いのである。公共の場所である。子供が暴れて、料理のトレイを持った大人にぶつかったら、 怪我はしなくても、相手にとても不愉快な思いをさせることになるではないか。 たったそれだけのことが、分からない。自分がしつけられないで育ったのだろう。 大方、「子供は元気があった方が良い」とでも思っているのであろう。 マナーがなっていない大人を見たり、子供を躾けられない親を見たら、「社会」が躾けることが肝要である。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2007年08月20日(月) 今週は夏休みなのです。明日、明後日、更新できないので、音楽を沢山置いていきます。
JIRO
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