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2007年06月17日(日) |
今週、ようやく「故郷」(といっても隣の区)に帰れます。/「故郷」演奏(歌)を追加しました |
◆故郷 作詞 高野 辰之 作曲 岡野 貞一
兎追いし かの山
小鮒釣りし かの川
夢は今も めぐりて
忘れがたき 故郷
如何に在ます 父母
恙なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出ずる 故郷
志を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷
歌です。
ダウンロード Furusato.mp3 (3033.5K)
日本の声楽家で小学唱歌をちゃんと歌ってくれる人、あまりいないんです。
これは、その数少ないCDなのです。古いCDです。
音楽的に言うと、これ、今の声楽家の先生かそのまた先生ぐらいの年代の方の歌い方にしばしばあるのですが、
ビブラートの幅が広すぎて、元の音程が何だか分からなくなるのですね。
ですから、申し訳ないけど、私としては100点満点は付けられないのです。
しかし、それでも、ロンドンにいる頃、寂しくなるとこの歌など、小学唱歌を良く聴きました。
聴くと、余計泣けてくるのは分かっているのですが、どうしても聴きたくなるんです。
「郷愁」という感情を身体で理解しました。。
◆大袈裟なんですが、東京生まれの東京育ちでも「故郷」はあるんです。
稀なことですが、私事を書きます。今、引っ越しの準備で結構バタバタしてます。
私は1960年に東京都杉並区荻窪というところに生まれ、結婚するまで30年間、ここで育ち、暮らしました。
わたしが卒業した公立小学校は、大正生まれの親父(死にました)、も兄貴も出た、歴史のある学校です。
昔、与謝野晶子が荻窪に住んでいたので、我が母校の校歌作詞者は、与謝野先生です。如何にもやっつけ仕事(笑)。
◆結婚して何度引っ越したことか。
結婚した直後は、練馬の上石神井(かみしゃくじい。石神井=しゃくじいと読みます)の古い賃貸マンションに住みました。
ここに住んでいるときに倅が生まれました。
約二年後、大家さんの都合により、出てくれというので、今は西東京市(田無市と保谷市が合併)となりましたが、保谷市に住みました。
駅でいうと、西武新宿線の西武柳沢という、地味な場所でした。
やっと落ちついたと思ったら、1年後、ロンドン駐在の内示が出ました。内示が出た10日後、親父が脳出血で寝たきりとなりました。
内示を断ろうかと思いましたが、親父が是非行け、と倒れたくせに相変わらず怖い顔でいうので、これはその方が親孝行になるかも知れないとおもい、
さらに、七歳年上の兄貴がいるので、母と兄に、親父を頼むと任せて、33歳にして、生まれて初めて出国しました。1993年10月です。
私が先にロンドンへ行き、住居などを見つけてから女房子供を呼び寄せるのです。
飛行機が離陸するとき、親父にはもう会えないかも知れないと思ったら、恥ずかしいけれど泣きそうになりました。しかし、泣きませんでした。
ロンドンへ赴任し、苦労もありましたが、元気な写真を見せて親父を安心させようと、度々写真いりエアメールを送りました。
当時(1990年代前半)、インターネットなど無きに等しかった。紙に手で文字を書き、フィルムで写真を撮り、送りました。
親父は寝たきりでしたが、それを見て、大層喜んだそうで、病室のいたるところに、私が送った写真を貼り付けていたようです。
◆親父の死に目には遭えませんでした。
ロンドンへ赴任して2年後、1995年11月、寝たきりで安静にしていたのに、親父がまた脳出血を起こしました。
危ないかも知れないというので、急遽、日本に帰りました。
親父は目は開いているものの、こちらのことを認識できているかどうか分からない。
無論、言葉など話せません。元気な頃の親父を思うと、悲しかった。
一週間、病院で簡易ベッドを借りて、ICUの親父の横に寝泊まりしました。
病状に変化がないので、いつまでも日本にいるわけに行かず、勤務地であるロンドンに戻りました。
その2か月後、1996年1月、親父は死にました。危篤との連絡を受け、親父が入院している病院に直接電話したら、
「先ほど、死亡退院なさいました」
と言われました。
覚悟していましたが、いきなりそういわれ、ショックでした。
東京で葬式と、挨拶回りを兄と済ませ、再びロンドンに戻りました。
◆1997年、帰国しました。
会社は、海外駐在員が帰国するときには、優先的に社宅を貸してくれます。
その時に割り当てられた社宅に、今まで住んでいたのです。23区西端に接する市です。
帰国後、それまで11年間専門的な仕事をしていましたが、まるきり違う業務をすることになりました。
死にかけた親を後に残して、初めて海外勤務をし、自己主張の強い欧米人と、
そういうことに理解がない東京本部の板挟みになり、親の死に目にも遭えず頑張ったのに、この扱いか、と思いました。
それに加えて、あたらしい仕事そのものから来る極度のストレスで、毎朝、パニック発作を起こすようになりました。段々気分が滅入ってきます。
精神科に行ったらうつ病だ、といわれました。
精神科に対する理解は世間一般冷たいですが、女房も実の母も本当には分からないようで、この二人の間が険悪になりました。
私の頭は完全に混乱し、1999年8月、自殺を試み失敗しました。
兄が心配して、日本有数のうつ病の先生に引き合わせてくれて、診ていただけるようになりました。
抑うつ状態が激しく、希死念慮があったので、大学病院の精神科に3ヶ月入院しました。
会社には報告せざるを得ません。そして、私の勤め先では、一度でも精神科の世話になったことがわかると、ハイ、そこまで。
一生、昇給も昇格もありません。
それでも、女房子供は養う責任があります。時短勤務から始め、まだ辛かったけれど、部署を馴染みの業務に戻してもらい、
働き続けました。
当然収入は激減しましたが、それまでの蓄えをとりくずしたり、色々と工夫して暮らしてきました。
息子は帰国後、公立小学校へ入りましたが、公立はあまりにも教育水準が低く、このままではダメだと思い、
経済的には苦しかったけれど、何とか中高一貫の男子校に合格しました。涙がでました。
◆今週の金曜、実家の土地に建てたマンションの一室に引っ越すのです。
色々ありましたが、この度、荻窪の実家の土地とお隣の土地に等価交換で建てた、
自分で云うのも何ですが、かなり綺麗な3階建てマンション
の一室に引っ越します。このマンションは分譲ですが、間取りなど世帯ごとに好きなように間取りやデザインを
設計士と相談して作る、という、ユニークなものです。いずれ、住宅雑誌に載ります(既に写真を撮りに来ました)。
今まで10年間社宅に住んでいて、住めば都、ということもありますが、
いつ追い出されるか、分からないので落ち着かなかった。
一体、自分の将来はどうなるのだ。と不安でした。
今週末、ようやく自分の家を持ち、それに何よりも「故郷」に帰れます。
かつて、両親、祖母、兄、そして小学校4年から大学卒業間際まで14年間生きた柴犬と暮らしていた場所です。
「兎追いし かの山」も「小鮒釣りし かの川」もありませんが、わたしにとっては、
「忘れ難き 故郷」
なのです。
10年間辛かったけれど、そろそろ、人生の谷間の底を打った
(相場用語です。「底を打つ」とは、「これ以上、下がりようのないところまで、落ちて、反転上昇する」という意味です)のかも知れません。
また悪いこともあるでしょうが、大抵は、耐えられると思います。
◆【音楽】いつ、何があるか分からないから、どうしても聴いて頂きたい曲を載せます。バッハ「シャコンヌ」
バッハ作曲、無伴奏バイオリンの為のパルティータ第2番の「シャコンヌ」といえば、わが国を代表する音楽評論家、
吉田秀和氏が、LP300選 の中で、
「西洋2000年の歴史における最大の傑作一つ」
と書いているぐらいです。
ヴァイオリン弾きを目指し、この曲を避けて通ることは許されません。
今まで、随分いろいろな音楽をここでお聴かせしましたが、今回は演奏時間が最も長く、約17分もある。
好きになるならないは、全く人によるでしょうが、クラシックを紹介するからには、一度、お聴かせしたかった。
人生、一寸先は闇ですね。
明日、私はクルマにはねられてしぬかもしれません。(あの、死ぬといっているのではありませんので、
誤解なさらないでください)だから、今のうちにお聴かせしたい。
それでは、どうぞ。
ダウンロード Ciaccona.mp3 (25094.5K)
カンタータや他の宗教音楽のように、歌詞(聖書から引用したもの)が付随しているわけではないのに、
この曲を聴くと、「人間を超越した形而上学的な存在」、を想定したくなるのです。
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