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2007年02月18日(日) |
「<中川幹事長『忠誠心なき閣僚は去れ』講演で苦言」←お前が去れ。/バッハ無伴奏バイオリンパルティータ第2番より「ジーグ」 |
◆記事:<中川自民幹事長>「忠誠心なき閣僚は去れ」講演で苦言呈す
「安倍晋三首相が(閣議で)入室したときに起立できない、私語を慎めない政治家は美しい国づくり内閣にふさわしくない」。
自民党の中川秀直幹事長は18日、仙台市で講演し、異例の厳しい表現で政権内の緊張感欠如に苦言を呈した。
中川氏は「閣僚、官僚のスタッフには首相に対して絶対的な忠誠、自己犠牲の精神が求められる。
首相の当選回数や、かつて仲良しグループだったかどうかは関係ない」と強調した。
閣僚の相次ぐ失言や、正副官房長官、首相補佐官らの連携不足が首相の指導力発揮を妨げているとの党内の懸念を代弁した形だが、
中川氏のボルテージは上がる一方。
「自分が目立つことを最優先する政治家や、野党の追及が怖くて改革を進められない政治家は、内閣・首相官邸から去るべきだ。
首相を先頭に一糸乱れぬ団結で最高峰を目指すべきだ」
とぶち上げた。(2月18日19時50分配信 毎日新聞)
◆記事2:「閣僚、首相に尊敬の念がない」森元首相が苦言
インド訪問中の自民党の森喜朗元首相は13日夜、
ニューデリーで同行記者団と懇談し、安倍内閣について「安倍晋三首相に対する尊敬の念がない。
特にベテラン組がそうだ」と述べ、支持率が低迷する内閣の立て直しのため麻生太郎外相、久間章生防衛相らベテラン勢が首相をもり立てていくことが不可欠と指摘した。
「首相も遠慮し過ぎているのではないか。もっとリーダーシップを発揮すべきだ」として、首相に指導力発揮を求めた。
塩崎恭久官房長官、菅義偉総務相、首相補佐官ら若手にも「しっかりと支えていかなければ、ポスト目当てだったと思われる」と奮起を促した。
取りざたされている7月の参院選前の内閣改造については「今は周りが言うべきときではない」と強調。
柳沢伯夫厚生労働相の一連の発言については
「参院選に影響があるかどうか分からないが、選挙前になれば野党から批判されるから心配している」と懸念を表明した。
(ニューデリー=共同)(2月14日 10:06)
◆コメント1:「絶対的な忠誠心」ときたね。自民党はナチスかね?
正確には、ナチ党と書くべきだろう。1933年から1945年(第二次大戦が終わった年)までドイツの与党だった政党である。
その間(33年〜45年)ずっと党首だったのが、アドルフ・ヒトラーであり、1934年、ヒンデンブルク大統領が死亡した後、ヒトラーは自ら「総統」と称した。
ナチスの支配下にあった期間のドイツを「ナチス・ドイツ」という。
ナチスドイツにおいては、ヒトラーは議会から立法権も取り上げ、完全に「独裁者」であったことはあまりにも有名である。
ナチスや、ヒトラーに逆らうものは次々と捕えられ、野党党員は政治犯として収容所に入れられた。
ヒトラーに対しては絶対的な忠誠心が要求された。少しでも「反逆心がある」と見なされると、生命の危険があった。
因みにこのドイツとムッソリーニのイタリアと三国同盟を結ぶという、感動的な外交センスの無さを発揮した国が日本である。
とにかく、中川自民党幹事長の発言は、70年も昔のドイツを思い浮かべずにはいられないほど、危険なものである。
日本国憲法においては、
第六十五条 行政権は内閣に属する
のである。内閣総理大臣は内閣を代表するが、絶対君主ではない。
首相に対して「絶対的な忠誠心」を強要することも、憲法に違反している。
読めば明らか。
第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第十九条に但書はない。つまり、例外は無い、ということであり、内閣の閣僚と言えども思想・良心の自由は保障されるのである。
但し、話が少し横道に逸れるが、こと憲法の遵守となると話は別である。
日本国憲法第99条は次の通り。
第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
だから、私は、過去何度も書いたけれども、憲法を改正しようという安倍首相の発言自体既に違憲なのだ。
◆「イエスマン」に取り囲まれ失敗した権力者は枚挙にいとまがない
色々書いたが、歴史とか憲法とか、面倒くさいことを持ち出すまでもない。
国家の宰相であれ、民間企業の経営者であれ、まわりを「イエスマン」で固め、
忠告を受け入れなくなった権力者は、皆、ほぼ確実に悲劇的末路を辿る。
「人間の常識」である。
◆コメント2:森さん、安倍首相の出身校の名前の由来を知っていますか?
「知っていますか?」と書いたが、これ自体嫌味で書いている。無教養な森・元首相が知っているわけがない。
しかし、「首相を尊敬すべきだ」とは、待っていたような発言をしてくださいますねえ。
言うまでもなく、「尊敬の念」は他人から強要されるべきものではない。
安倍首相は小学校から、大学まで東京・吉祥寺の「成蹊学園」に通った。
成蹊は歴史のある学校で、旧制成蹊高校からは東大へ行き後に色々な方面で活躍した人がいる。
「成蹊」の名は「史記」に由来している。
「桃李言わざれども、下自ずから蹊(みち)を成す」
つまり、
「桃李は何も言わないが、美しい花や実があるから人が集まり、下には自然に道ができる。
徳ある者は自ら求めなくても、世人はその徳を慕って自然に集まり従うというたとえ。」(広辞苑 第五版)
森さんはきいたこともないだろうが、それはさておき、
首相周囲の人間に「絶対的な忠誠心」や「尊敬の念」を強要することが間違っているのは、
成蹊に16年も通った安倍晋三内閣総理大臣が一番よくご存知の筈だ。
◆芸術は永遠なり。バッハ無伴奏バイオリンの為のパルティータ第2番より「ジーグ」
キザなことを言うようだが、あまりにも卑俗・低俗な、人間の愚かしさについて書いていると、
ホトホトイヤになる。
本当に落ち込んだときは、何をやってもダメだが、すこしエネルギーが残っている時は、同じ「人間」が、作曲後300年経っても演奏され、
聴くものに感動を与える作品を作った、という事実を確認したくなる。
私の場合、要するに、バッハを聴きたくなる。
バッハは無伴奏バイオリンの為のパルティータとソナタを3曲ずつ書いている
(因みに、無伴奏チェロのための作品も6曲書いたが、これらは全て「組曲」という。「無伴奏チェロ組曲」である)。
パルティータの二番と言うと、「シャコンヌ」という大傑作があるのだが、これはあまり気軽に聴けない。
なにしろ、音楽評論家の吉田秀和氏によれば、「シャコンヌ」は「ヨーロッパ二千年の歴史の中でも最高傑作の一つ」
(音楽だけではない。一切合際含めて、である)というほどの曲なのだ。
演奏時間も15分以上かかる。聴くにも、気合いがいる。
だから、と言うわけではないが、私はパルティータ2番で「シャコンヌ」の前に演奏されるこの「ジーグ」が昔から好きだ。
良かったら聴いて下さい。
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実に、美しい。
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