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JIROの独断的日記
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2006年12月31日(日) 新年ご挨拶/N響の「第九」所感、というか、知ったかぶりのよもやま話。

明けまして、おめでとうございます。

旧年中は、拙日記・ブログを御愛読いただき、ありがとうございました。

本年もよろしく御願い申し上げます

余談ながら、今回が(エンピツの最初の記事から数えて)、1527回目の記事になります。

先月はじめに、「1500回目」に到達していたわけですが、気が付きませんでした。

本来は、キリがいい、その時にご挨拶すべきでしたが、迂闊でした。


◆日本のオーケストラは「第九」で食っているといっても過言ではない。

ベートーベンの交響曲第九番を毎年年末に、全国のオーケストラが何日も演奏するのは日本だけで、ドイツでこの話をするとびっくりするらしい。

昨日、NHKにゲストで来ていたオーボエの宮本さんが言っていた。

ヨーロッパでは、ホールのこけら落としとか、何かめでたいことがあったときに演奏することが多いのだそうだ。

日本では、他のクラシックのコンサートへは行かないが、「第九」だけは聴くという人が多い。

それはそれで結構だ。オーケストラの財政面に寄与している。

日本のプロのオーケストラの中では、N響と読売日本交響楽団はバックに会社がついているから、「相対的に」給与が高い。

経営面での心配はさほど要らない。それでも、多くの企業の寄付で成り立っている。



私がプロから聴いたところでは、他のオーケストラは、今はどうなのか知らないが、定期公演は全て赤字。

つまり、日本のオーケストラは第九で一年分を何とか稼いで成り立っている。

だから、今年は終わったけど、来年以降もどんどん「第九だけ」でも良いから行ってあげてください。


◆昨夜(31日)NHK教育で放送していた第九は初日なのですが。

やはり、プロは大したものである。

昨日NHK教育テレビで放送したのは、初日、12月23日にNHKホール(紅白歌合戦を演っていた、あのステージである)で収録されたものだが、

オーケストラのリハーサルはわずか2日前の21日から行われた。毎年演っているので、プロはこれで充分なのだ。

但し、今年は、さすがのN響も面食らったようだ。理由は後述。


◆指揮者の上岡敏之氏は本場のオペラハウスの指揮者なのだ。

指揮者の上岡敏之は私は全く知らなかった。ドイツの歌劇場で振っているひとなのだ。私と同い年だ。

ネットで調べたら、芸大指揮科(滅多なことでは、入れない)の後、ハンブルグ国立音大で勉強したそうだ。

そこで同級生だったという日本人ピアニスト(その他)が上岡氏のことを書いていた。



上岡氏の音楽的・基礎的能力は圧倒的らしい。

留学時代どう見ても指揮科の教授よりも上岡氏の方が実力があったそうだ。

圧倒的な初見力、スコア・リーディング力。ピアノの上手さ。



あるピアニストのリサイタルが当日キャンセルになったら、代役でベートーベンの後期のピアノソナタ3曲(滅茶苦茶難しい)を

ブッツケ(練習無し)で暗譜で弾いたというから、ただごとではない。普通なら、ピアニストでも断る。

また、日本人としては珍しく、歌劇場のコレペティからの叩き上げなのである。


◆コレペティトゥーア

欧米のオペラハウスには、専属のコレペティ(コレペティトゥーアの略)と呼ばれる人がいる。

オペラの全体稽古の前に、各歌手が、自分のパートをきちんと歌えるまで、一から稽古を付ける。

日本の歌手はソルフェージュとか、聴音とか、基礎訓練が出来ているが、欧米のオペラ歌手は

(私がロンドンでバイオリンを習った、もとロイヤルフィルのコンマスの先生が言っていた)あまり楽譜が読めないらしい。



コレペティは、オーケストラのパートをピアノで弾きながら、歌手にフレージングその他音楽的な指導をしながら、

全ての音符を正しく歌えるようにするのが仕事である。稽古を付ける歌手の相手役のパートを歌ってやる。そこまでやる。

どんな作品でもすぐにやらねばならないから、オーケストラのスコアを見てすぐに弾けるぐらいの初見力

(初めて見る楽譜を練習しないでその場でいきなり弾く能力)がなければならない。



前述のとおり、欧米の昔の大指揮者は皆、コレペティを経験した。

日本ではそういう叩き上げは不可能だ。そもそもオペラより、コンサートの方が多いのだから

(私のことはどうでもよいのだが、書かせていただくならば、私はそれで、一向に構わない。オペラは余り好きではない。

私の愛するオーケストラをピットという「穴蔵」に押し込めてしまうからだ)。



繰り返すが、上岡氏はこの「コレペティ」からのたたき上げなのである。音楽的な能力・才能は並ではない。


◆一般論だが、音楽的・基礎的能力があれば、自動的に良い指揮者になれるわけではない。

ここが難しいところだが、指揮者はピアノを弾くのがいくら上手くても、指揮するときには、自分で音を出すのではない。

「他人に演奏してもらう」商売である。そして、相手はプロでそれぞれの「音楽観」を持っている。皆個性の強い人ばかりだ。



本当の大指揮者になると、そういう連中すら感嘆してしまうわけである。

フルトヴェングラーとか、トスカニーニという往年の大指揮者がそれだ。いくら威張ってもダメだ。

「音楽的に」プレーヤーを上回るものを持っていないと。

そうではない指揮者がいたずらに、オーケストラをドライブ(後述)しようとすると、オーケストラは拒絶反応を示す。


◆第九などはオケに任せた方がいい。

第九のように、オーケストラの各メンバーが弾き慣れている曲では、変ったことをするよりも、オーケストラに任せた方が上手く行くようだ。

上岡氏はリハーサルで、ものすごいテンポで突っ走ったらしい。私が愛読している二人のN響のバイオリニスト、

しかも、何十年も弾いているベテランの日記がある。二人ともリハーサルから明らかに違和感を感じている。

「これだけ速いと合わせるだけでも大変」、「弾く前の予備動作をしているヒマがない」など。

それを上岡氏が感じたのか、録画・録音された本番ではかなり普通になっていたが、それでもかなり速い。3楽章なんか特に。

話が逸れるが、ホルン、上手くなったね。3楽章の4番ホルンのソロ、昔はよくひっくり返ったものだ。

私が一番「???」と思ったのは、第4楽章。有名なVor Gott!。コーラスがフェルマータで、普通思い切り伸ばすところ。

上岡氏は、殆どフェルマータが無いのではないかと言うぐらい早く切ってしまった。あれはどうかなー・・・。



初日(録画された日)、弦楽器の首席奏者は全員非常に疲れていたそうだ。

それでも、プレイヤーに音楽的充実感があれば、日記にあれほど書かれないと思うのである。


◆「ドライブ」するのではなく「キャリーするのだ」(カラヤン)

岩城宏之さんがカラヤンのレッスンを受けたときに、

「君はものすごく表現しているが、君が指揮をしているとき、ときどきオーケストラから汚い音がでる。力を抜きなさい」


と言われたそうだ。

オーケストラをドライブ(支配)するのではなくキャリー(弾かせたいように弾かせておいて、こちらの思うように弾かせる)するのが指揮の極意だということである。

そう言われて、直ぐに出来るものではないと思うが。理想はそういうことだ、という意味である。



カラヤンは自家用ジェット機を操縦したが、初めて操縦訓練を受けたときに教官がいったのは、
「あなたにとって一番大切なのは、飛行機が飛ぼうとするのを邪魔しないことだ」

という言葉だそうで、カラヤンは指揮も全く同じだ、と言っていたという。

まあ、この位にしておきましょう。

その辺の感覚はプロの音楽家でなければ分らない。ここまででも、すでに知ったかぶりの極致である。恐縮。


◆N響のティンパニ、どんどんウィーン風にしていますね。ティンパニの重要性。

第九では第二楽章で活躍するティンパニ。

一見、ただの太鼓で、さほど難しそうに思えないが、とんでもない話で、大変重要かつ難しい楽器である。

リズム楽器であると同時に低音を支える「バス」としての役割も果たす。

「セットドラムのように足まで使う訳じゃないから簡単だろう」と思うだろうが、これまた、とんでもない話だ。



「のだめ」で若い人が好んだという、ベートーベンの交響曲第7番の冒頭は全オーケストラが和音をフォルテで鳴らす。

「ズシン!」と肚に響く(コンサートで聴くと)。ティンパニの音が芯になる。なにが難しいか?

生前岩城さんが話していたが、本当に上手いドイツ・オーストリア系のティンパニは、あの最初の音を「ズシン」!」と文字で表したとすると、

「ズ」に合わせるのではなく、ズシンの「シ」に決めるのだそうだ。

但しこれは、素人向けに分りやすく説明してくださったのであり、本当はもっと微妙な差であろう。0.00...秒の違いだろう。


◆ティンパニのセッティング。み、右を低音にしている・・・。

これは、分りやすい。

今まで日本のティンパニはアメリカ・フランス式に右側に高い音、左側に低い音を置いていた。感覚的にその方がピアノや木琴と同じで分りやすい。



ところがドイツ・オーストリアでは、左が高い音。右に低い音というセッティングをする。

驚くべき事に、N響はそれをやっている。日本で他にこれをやるオケは無いのではないか。



さらに驚いたのは、ティンパニのヘッド(タイコの皮、叩くところ)を合成樹脂が世界の大勢を占めるのに、わざわざ本来のもの=牛の革に張り替えたことだ。

あれは、湿度が高くなると水分を吸って伸びてしまい、音程が下がるので、常に気を遣わなければならないのだ



昔、新日本フィルのティンパニの山口さんが言っていたが、第九のときは、ティンパニはコーラスのすぐ前にいるので、

4楽章でコーラスが歌い始めると、全員の呼気(歌うときには、息を吐きますよね?)による水分で、音程がどんどん下がってしまうのだそうだ。

ティンパニの内部には乾かすためのヒーターが装着してある。

そんなことをやっている。



N響は昨年、創立80年だった。

書こう書こうとおもいつつ、間に合わなかった。

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2005年12月31日(土) 「第九」の歌詞は何を訴えているのか。
2004年12月31日(金) 正しい新年の挨拶。初夢のことなど。
2003年12月31日(水) 「考えろ、考えろ、考えるんだ」
2002年12月31日(火) 今、現実にある幸福を見出す。

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