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JIROの独断的日記
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2006年11月15日(水) 「小中学生の自殺連鎖止まらず」←お前ら(マスコミ)がいちいち報道するのも一因だぞ。

◆記事:<自殺予告>止まらぬ連鎖…有効策なし焦り濃く

伊吹文明文部科学相あての「いじめ自殺予告文書」を受けて全国的な警戒が続く中、子どもの自殺が止まらない。

文書を公表したものの、相次ぐ予告に戸惑う文科省。教育委員会、各学校も即効性のある対策は打ち出せないままだ。

連鎖は食い止められるのか。子どもたちに「命」の大切さをどう伝えるか。

過去にも度々社会問題化したいじめ問題の教訓はいつ生かされるのか。【佐藤敬一、吉永磨美】



「連鎖的なものが来ることは覚悟していた」。13日行われた、日本記者クラブ主催の記者会見。

招かれた伊吹文科相は苦渋の表情で、自殺予告の手紙が続いていることに言及した。

文科省が「11日に自殺する」との手紙を公表したのは7日未明。

各都道府県教委にいじめの正確な把握と報告を求めている手前「情報隠し」はできない事情もあった。

伊吹文科相は「(公表してもしなくても)どちらになっても必ず非難を受ける。

非難は私が受けるんだと、毅然(きぜん)とした姿勢を示さないと教委、校長がついてこない」と選択の理由を強調した。



しかし、公表の影響は予告手紙が相次いだことで明確になった。

自殺の原因や予告手紙との関連性が不明ではあるものの、12日に大阪と埼玉で中学生が命を絶った。

大阪の飛び降り自殺の一報が入ったのは「いじめ自殺予告」の警戒中。銭谷真美・初等中等教育局長ら幹部も駆けつけ、省内は緊迫感に包まれた。

1通目の手紙を見た総務課職員が「(手紙の内容が)本当だったら危ないなと思った。かなり緊迫していた」と話していたが、その状態は今も続く。

教育基本法改正の国会審議に加え、タウンミーティングでのやらせ、高校の履修単位不足、いじめの「三重苦」で文科省職員の疲労も色濃い。

問題が次々と発生し、いじめ問題に対する抜本的な解決策を検討するいとまもなく、解決策の検討は「お手上げ」(ある幹部)という。

(以下略)(毎日新聞) - 11月14日3時8分更新


◆コメント:日本では7年連続自殺者が3万人を超えていたというのに・・・。

小中学生の主にいじめを苦にした自殺が「社会問題」になっているというが、日本では7年連続自殺者(勿論主に大人)数が3万人を超えている。

交通事故による死者数は1万人に達していないのである。先進国でそんな国は他には無い。



大人の方が社会的責任は大きいが、人生経験が子どもよりもあるのだから、自殺の原因となる問題を解決する能力もあるはずだ。

その大人が毎年3万人自殺しているのに、マスコミも政府もこれほど騒がなかったのは、どういうことか。



もしも、子どもの「いじめを苦にした」自殺は問題だが、大人の自殺は大した問題ではない、

という考えの持ち主がいるならば、その論理を教えていただきたいものだ。


◆最近の子どもの自殺はいちいち報道するな。

3年前、ネットで知り合った赤の他人(大人)が、車で七輪を焚いて集団自殺することが連続して起きたが、

同じ方法を用いていることから、明らかに、自殺報道が次の自殺者を出すきっかけとなっていると思われた。

その当時私は、2003年05月24日(土)「集団自殺」と「通り魔」は報道しない方がよいのではないか。

と言う文章を書いた。



今回も、子どもの自殺の根本的な解決ではないが、同様のことが言える。

文部大臣に自殺予告の手紙だか、メールを送ることなど、今までなかったのだ。

急に偶然同じ時期に複数の子どもが同じことを思いついたとは到底考えられず、

手紙を出したものが実際に自殺するかどうかは別として、文科相はいちいちマスコミにバカ正直に公表することはない。



公表した理由として、「各都道府県教委にいじめの正確な把握と報告を求めている手前『情報隠し』はできない事情」と言っているが、

教育担当者間の情報連絡と一般国民への情報公開では、全然意味が違う。



一般に公開すると、手紙を出した子どもは少なくともそのときは「時の人」になれる、と思ってしまうから、止まらないのである。


◆「国家の品格」の著者、藤原正彦さんが良いことを書いている。

先週発売された「週刊文春」で数学者で、ベストセラー、「国家の品格」の著者、藤原正彦氏が、良いことを書いている。

抜粋引用させていただく。

深刻ないじめをなくすには、「いじめは卑怯なことだ」ということを叩き込んでいくしかない。教えるのではなく、叩き込むのだ。(中略)

私は父(引用者注:作家の故・新田次郎氏)から、「卑怯者は生きている価値がない」と言われた。つまり、卑怯なことをするぐらいなら、死ねということだ。

弱いものがいじめられていたら、ただちに救え、必要なら暴力を使っても良い、とも言われていた。

「大勢で一人をやっつける」「大きい者が小さい者をぶっとばす」「男が女を殴る」などということは絶対に許されないことだ。

何故なら、それが卑怯だからだ。それ以外に理由はない。

(中略)つまり、(いじめは)言語道断。論理や説明は無用で、してはいけないことはしてはいけないのだ。

理由や理屈はないのだから、親や学校は、無理やりにでも子どもに押しつけて、叩き込むしかない。(中略)

いじめをなくすには、「いじめは卑怯だ」という意識を親と教師が力ずくでも(こどもに)叩き込むしかない。


というものである。

バックナンバーは図書館などで読めるので、全文をお読みになることをお薦めするが、

「国家の品格」で藤原氏自ら、自分の専門は論理のかたまりである数学だ。

かつて、論理で世の中は全てうまくゆくと思っていたが、そうではないことが分かった。

という趣旨の書き出しであの本は始まるが、今回もそのままである。



私は、同感である。

教育とか躾けとか言うと聞こえが良いが、世界共通の教育はなく、その社会に適合できて害を及ぼさない人間を作るのが教育で、

その意味では教育も「洗脳」の一種である。そこに理屈は要らない。

卑怯なことはしてはいけない。いけないからいけないのだ、というぐらいの強引さが今は不在である。

大人が、「子どもの人格」とか「子どもの意見」などと、顔色をうかがっているから、いつまで経ってもいじめが無くならないのであろう。

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2005年11月15日(火) 「美智子様は紀宮さまを抱きしめ、何度も『大丈夫よ』と繰り返した」そうです・・・。
2004年11月15日(月) 「<イラク武装勢力>「全土に戦闘拡大する」と声明」←だから、ファルージャ総攻撃はダメだと云ったでしょう
2003年11月15日(土) 「イラク派遣、日本は期待できない…米国防副長官」←期待するほうが間違っているんだよ。バカ。
2002年11月15日(金) 絶望。日本経済はもはや手遅れ。

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