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2006年10月28日(土) |
「カール・ベーム&ウィーン・フィル(1977年日本公演)」(DVD)30年ぶりですね。ベーム先生。お久しぶりです。 |
◆カール・ベームという指揮者が最晩年、ウィーン・フィルを率いて、日本に来たのです。
今日は、クラシックのDVDをお薦めします。
カール・ベーム&ウィーン・フィル(1977年日本公演)です。
言うまでもありませんが、DVDで価格が高めですから、関心をお持ちになったら、ということです。
(普段、CDをお薦めするときも、当然そういうことです。)
昔、オーストリアの大指揮者、カールベーム(1894年8月28日 - 1981年8月14日)という人がいました。
私が物心ついた頃には、既に世界的に高い評価を受けていました。ウィーン・フィルは昔から日本人が最も好むオーケストラです。
この両者の1回目の来日が、1975年に実現しました(ベームは60年代にも来ていますが、話がややこしくなるのでその話は省きます)。
ベームは当時、既に80歳を超えていました。
コンサート会場は、NHKホールでした。3月16日、17日にそれぞれベートーベンの7番、ブラームスの1番を演奏しました。
あまりの鬼気迫る名演に、ホールはものすごい熱狂的な拍手・歓声に包まれました。
最も冷静な演奏会評を書く、音楽評論家、吉田秀和さん(おととい受勲が決まった、との報道がありましたが、それはどうでも良いことです)までが絶賛しました。
この時の聴衆の反応はカール・ベーム自身、全く予想外のものでした。
彼は老齢にも関わらず、近い将来の再来日を即断したそうです。事実、2年後に再来日しました。お薦めするDVDはこのときのライブです。
(なお、75年の1回目の公演もDVD化されて、
今回カール・ベーム&ウィーン・フィル(1975年日本公演)発売されました。
◆私が「音楽」に本気になるきっかけが、77年公演だったのです。
実は、私自身は今、書いた、「75年公演」を良く覚えておりません。
受験と重なっていたこともありますが、多分、まだ、「音楽」にさほど興味が無かったのかもしれません。
しかし、77年の来日公演までの間に、自分が楽器を習い始めたこともあり、急速にクラシック音楽への興味と知識が高まっていました。
とはいっても、ベーム、ウィーン・フィルのチケットなど。高校生には高くて買えません。
例えお金があったとしても、何日も徹夜して並ばなければならず、
(昔はそうやって、チケットを買ったのです。尤も、徹夜しなければならないのは、ウィーンフィルとベルリンフィルだけなのですが・・)
そこまでする気力が、私にはありませんでした。
このDVDカール・ベーム&ウィーン・フィル(1977年日本公演)には、
1977(昭和52)年3月2日、NHKホールで演奏された、ベートーベンの6番、5番、アンコールの「序曲・レオノーレ第3番」の全てと、
演奏後いつまでも続く、会場の熱狂的拍手・歓声、ステージに駆け寄って、カールベームと握手をしようとする観客の様子が収められています。
◆ウィーンフィルの錚々たる顔ぶれ(伝説的・・・)。
77年公演当時82歳だったカールベームは、無論、全盛期より衰えていますが、まだ、しっかりしています。
芸術に対する冷徹なまでの厳しさが、厳しい表情に表れています。
ウィーンフィルのメンバーは勿論、錚々たるものです。
コンサートマスターに故・ゲアハルト・ヘッツェル先生。サブ・コンマスにはキュッヘル氏。
第一クラリネットはアルフレート・プリンツ先生。第一トランペットは伝説のアドルフ・ホラー教授。
私は、世俗的権威(内閣総理大臣、社長)にはほとんど全く敬意を感じませんが、こと音楽に関しては、もうダメなのです。
会ったこともないのに、心の中で「我が音楽の師」と思っているので、「先生」とか勝手に尊称を付けてしまいます。
指揮者はもう少し冷静に見ているので(自分で音を出す訳じゃありませんから)、付けないのです。
全然、論理的じゃありませんが、まあ、私の中では、できあがった価値観なので、お付き合い下さい。
その他、このDVDには77年来日メンバーの名前が載っていますが、
全てのコンマス、全ての首席奏者をはじめ、ほとんど「総動員」です。
如何に、カール・ベームが2回目の来日を重んじていたかわかります。
◆「運命」のものすごい気迫。
77年公演のプログラムがベートーベンばかりなのは、ベートーベン(1770〜1827)の没後150年だったからです。
それに何と言っても日本人はベートーベン大好きですから。
DVDの解説には伝説の「田園」とありますが、
私は、交響曲第5番(「運命」ですね)、そしてアンコールの「レオノーレ第3番」を多くの方に聴いて、見て頂きたいと言わずにいられません。
仮に、世界中の他の人々がどんなにけなすことになっても、
私はこれらの演奏を評価することにかけては、一歩も譲りません。絶対に譲りません。
鬼気迫るような、という日本語はこの時のために存在したのではないか、と言いたくなります。
ベームの厳しい目が「ただの1音もゆるがせにするな!」と全ての楽員に訴えているかのようです。
更に、メンバーの様子が尋常ではない。
あの伝説の名コンサートマスター、ゲアハルト・ヘッツェル先生、クラリネットのプリンツ先生、トランペットのアドルフ・ホラー教授が、
それぞれの音楽的経験・技術・才能、持てるもの全てをかけて、渾身の演奏を「本気で」、これ以上本気になれないほど、本気で、行っている。
管を倍管(通常1人のパートを2人で演奏すること)にしているので当然と言えばそうなのですが、
ウィーンフィルのフォルティッシモのすごさ。フォルティッシモでも、プレストでも乱れないバランス、音色、アンサンブル。
コーダに入ってからのティンパニのすさまじい強打。今のウィーンフィルでは聴けません。
当時、私はNHK FMの生中継でこの演奏を聴いたのです。
一昨日、森麻季さんに関するエントリーで、
人間は、本当に感動したら、ブラボーなどと叫ぶどころか、拍手もできなくなります。あまりの素晴らしさに身体がしびれ、
心臓を鷲づかみにされたような、殆ど胸苦しささえ覚えて、動けなくなります。知らない間に、ハラハラと涙がこぼれます。
と書きました。
私が生まれて初めて、そのような経験をしたのが、この、ベーム・ウィーンフィル77年の「運命」を聴いたときなのです。
30年ぶりにあの感激が蘇りました。
いや、その後、色々な演奏を聴いた後で、聞き直してもより一層感動するのですから、
たとえ、細かいアンサンブルの乱れがあったとしても、そんなことは問題ではないのです。
希代のマエストロ、音楽家による、歴史に残る名演としかいいようがありません。
◆少しだけ、試聴を
本当はいけないけど、どうしても言葉では限界があります。
「運命」の3楽章からフィナーレへの移行部と、フィナーレのプレスト。ボリュームは、こういうのはやや強めに。
そしてその後の猛烈な拍手・歓声をお聴き下さい。エンピツの方はこちらからお聴き下さい。
拍手は最後まで聴かなくてもいいですけど。ときおり拍手に波がある。
マエストロ(指揮者)が舞台の袖に引っ込むと若干弱くなり、ステージに姿が現れると、再び「ワーッ」と盛り上がるので、こうなるのです。
この長い拍手の後、アンコールの「序曲 レオノーレ第3番」が演奏されました。それが、また、火のような演奏で、
もっとすごい拍手になる。いつまで経っても終わらないので、オーケストラは全員引き揚げます。
そして、マエストロだけが何度も舞台に現れ、観客はステージ間際に殺到し、ベームと握手を交わします。
ウィーンフィルのメンバーは、客のあまりの熱狂が心配で、
「マエストロ。もう少し遠くから、会釈するだけにしてください」と頼んだのですが、カール・ベームは
「私は客にこれほど熱狂されたのは初めてだ。私がよろけて落ちて死んでも、それで本望なんだ」
と仰っていたそうです・・・。
とにかく。
「本当の音楽」とは、こういうものを言うのです。
繰り返しますが、このことに関して、私は一歩も譲りません。
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