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JIROの独断的日記
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2006年10月26日(木) ソプラノの森麻季さんは世界最高水準の音楽家です。

◆森麻季さんの新譜「愛しい人よ〜イタリア・オペラ・アリア集」を聴いて動けなくなった。

いつも、私の駄文をお読み頂いてありがとうございます。実は、今日は、いつにもまして、まとまりのない文章になる怖れがあります。



森麻季さん新しいアルバム、愛しい友よ~イタリア・オペラ・アリア集を聴いたところです(最初のカスタマーレビューを書きました。書いてから掲載されるまでに若干時間がかかります)。

実は、まだ、全曲は聴いていないのです。それは、勿体なくて、一日で急いで全部を聴くべきではないと思ったからです。

人間は、本当に感動したら、ブラボーなどと叫ぶどころか、拍手もできなくなります。あまりの素晴らしさに身体がしびれ、

心臓を鷲づかみにされたような、殆ど胸苦しささえ覚えて、動けなくなります。知らない間に、ハラハラと涙がこぼれます。

今日の私がその状態なのです。


◆森さんは、「日本音楽史上最高」どころではない、「世界第一級の芸術家」です。

声楽家・ソプラノの森麻季さんのことは、以前御紹介しました。
エンピツならば、ここに

ココログならばここに、それぞれログがあります。

どちらも同じ内容で、タイトルは

「ソプラノの 森麻季という人、日本音楽史上最高の声楽家ではないかと思います。」

となっています。今、自分の不明を恥じています。

森麻季さんは、日本云々ではない。世界最高水準の音楽家・芸術家です。

たまたま、前回私のブログにご本人からコメントを頂いたから、とかそういうことではありません。

私は30年以上クラシックを聴いています。あらゆるコンサートやリサイタルに行きました。

ロンドンに住んでいた頃は、本場のオペラも聴きました。今までの音楽鑑賞歴の名誉にかけて、断言しているのです。


◆私の祖母も声楽家でした

さらに、打ち明けてしまいますが、私の祖母はもう20年近く前に他界しましたが、

明治28(1895)年生まれ(19世紀ですよ!)でありながら、当時としては珍しく、

東京音楽学校(芸大の前身)声楽科というところで、ロシア人の先生について本気で声楽を学んだアルトでした。

勿論、森さんと比べるのも失礼なレベルですが、発声は今にして思うと正しく学んでいた。

それは、子供心に「本当に訓練した人間の声はこれほど豊かな響きをもつのか」という驚きとして、私の記憶に残りました。

だから、声楽をまともに勉強することがどれ程大変か、少しは分かるのです。



祖母のロシア人の先生の写真は今も実家のピアノの上にあります。しかし、これは余談でした。

要するに、私は単に頭に血が上って、森麻季さんを絶賛しているのではない、といいたいわけです。


◆どのように上手いのか?

新しいCDの最初の4曲はドニゼッティ、ベッリーニという19世紀前半のイタリアの作曲家のオペラから抜粋したアリアです。

時代としては、二人ともロッシーニとヴェルディの中間に位置するひとですが、非常に技巧的な歌唱を歌い手に要求します。

クラシックの声楽には、他では絶対にできないことをします。

こればかりは、クラシックの声楽の訓練を基礎から受けなければ絶対に歌えない。

典型的なのが、「コロラトゥーラ」です。



要するに、声で器楽的な速い音型を歌うのです。テンポが速いということではなく、音の動きが細かい。

歌謡曲に16分音符で何小節も歌う曲など絶対にありません。歌えないからです。

細かい音符で音階な動きや、分散和音的な音の動きをするためには、

都度、横隔膜で息を区切るという技術を会得しなければなりません。

息を区切る筋肉の動きと音程を変化させる筋肉の動きのタイミングがすこしでもずれると、何が何だか分からなくなる。



楽器に例えると分かります。

弦なら、要するに、左手の指が弦を押えるタイミングと右手の弓の返しが合わなかった場合、

管楽器ならば、タンギングと指が合わなかった場合を考えてください。

もう、何を弾いているのか、吹いているのか分からないですよね。



声楽は弦における「弓の返し」、管楽器における「タンギング」に相当することを横隔膜でやっているわけです。

ところが、息を区切ることに意識が向きすぎて、身体に余計な力が入ると、肝腎の声の質が損なわれます。

息をほんの少し区切るけれど、全体としては、吐く息のスピードが遅くなってはいけない。

音を長く伸ばしたときと同じぐらい美しい音色が保たれていなければならない。

こういうことが、素人の想像を絶するぐらい難しいわけです。細かい話はこの辺にします。


◆技巧と音楽性の共存

とにかく、森麻季さんは、前回も書きましたが、そういう声のコントロールを驚異的なレベルにまで高めておられる。

これは、ものすごい訓練の賜でしかありません。

勿論才能もあるけど、才能だけではこのようになりません。声の魔術師のようです。

声域もすごい。

譜面で言うと、中央のドから2オクターブ上のド。さらにその短3度上の変ホという、とてつもない高音をなんなく当てておられます。

演奏家が実際の演奏で使う音域は、肉体的な本当の限界よりも狭いのです。余裕がないといけないのです。

つまり、森麻季さんが実際の演奏でこのEsを使うということは、練習でならば、その半音上のEとか、

さらに半音上のF、もう半音高いFisまで出せるのでしょう。

CDに収められている変ホ(Es)は、金属的にならず、なお柔らかさを保っていて、見事なものです。プロ中のプロです。



ただ、楽器でも歌でも、テクニックがあると、テクニックの誇示が前面に出てしまう音楽家が意外と多い。

技術とともに、音楽性、芸術性を兼ね備える人は少ないのです。

僭越ですが、森麻季さんには、歌手、いや全ての音楽家に何よりも大切な「歌心」がおありになります。


◆随分イタリアでは苦労なさったのですね。

今回のCDはイタリアオペラをおさめているけれども、森麻季さんはイタリアに留学しているときは、随分苦労なさったのですね。

世の中が不公平であること、差別ということが実際にあるのだ、ということが分かった。とか、

独り暮らしで、言葉も完全に分かるわけではないことから、寂しくて教会で泣いていた、

と書いておられます(トップランナーでもドイツの方が合っていたようなことを仰っていました)。



それだけ辛くても、歌がお好きだったのですね。どうしても歌手になりたかったのですね。

プロになるためには、勿論才能と努力が必要ですが、私のブログの読者でプロの音楽家の方が、

「何としてでも、プロになってやる」という気持ちが絶対必要だ、と仰っていました。苦しい世界ですね。

しかし、森麻季さんは大輪の花を咲かせました。



森さんの歌に、技巧だけではなく、常に優しさがあるのは、人の世の辛さ、苦しさ、悲しみなどを経験なさったことが絶対に生きていると思います。

自分の歌を聴く人を幸せにしたい、という気持ちで歌っておられると思います。

それがこちらを泣かせるのです。

ただ、最後にもう一度念を押すと、それだけでは、演歌・浪花節になってしまいます。

気持ちだけではなく、大変な修練を積まれ、今なお続けて高度なテクニックを維持していらっしゃるからこそ、

多彩な表現が可能なのです。


◆森麻季さんは世界最高レベルの芸術家だと思います。

この日記で何度書いたか分かりませんが、私は中学生のときに、

既に故人となった指揮者のカールベームが「音楽の友」のインタビューで述べた言葉が忘れられません。ベームは、

「人間の存在を少しでも明るく照らし出すことが、芸術家に与えられた使命だと信じています」

といいました。

それ以来、私の中で、これが芸術、芸術家を判定する基準となりました。

森麻季さんは、まぎれもなく、世界最高レベルの芸術家です。


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