JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆記事:小泉首相の公式参拝、憲法違反でない=中曽根内閣の見解踏襲−政府答弁書 政府は25日午前の閣議で、首相の靖国神社参拝に関し、追悼目的であることを公にし「2礼2拍手1礼」など神道の儀式を踏まなければ、公式参拝であっても憲法に抵触しないとする答弁書を閣議決定した。 ◆コメント:内閣総理大臣の行動を内閣が合憲だというのは当たり前で、何の意味もない。 あーあ、馬鹿馬鹿しい。 内閣総理大臣の行為が合憲か違憲かと内閣に訊いたら、「合憲」と言うに決まっているだろう。 ◆閣議決定とは何か。 閣議決定とは、本来、「内閣の権限事項を閣議(総理大臣と大臣が毎週火曜と金曜の朝におこなうミーティング)で決定すること」なのです。 ◆司法の判断を尊重しなければ、三権分立の意味が無いでしょ? 裁判所は「憲法の番人」だ、などと、中学か高校で習ったでしょう?政治家の先生方? 日本国憲法 第八十一条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。 終審裁判所、つまり、最終的に合憲か違憲かの判断をするのは最高裁判所です。 勿論、下級審(地方裁判所、高等裁判所)も、ある行為や法律・命令などが合憲か違憲か述べて良いのです。 但し、裁判所の頂点は最高裁ですから、当然、合憲・違憲を「最終的に」判断するのは最高裁ですよ、と言っているわけです。 そういう統治構造になっているのですから、行政府が行政府自身の行為を「合憲だ」と言っても、内閣の権限を逸脱しています。 何度も書きますが、内閣が自分たちの行為が違憲だというわけが無いじゃなですか? ◆今までの参拝は違憲だったと言っているようなものです。 記事をもう一度、読んでみると、9月30日の大阪高裁の判決(判決主文とは云っていませんよ。)の中の次の部分に反応したのがほぼ明らかです。 「本件各参拝は、宗教団体である靖国神社の備える礼拝施設である靖国神社の本殿において、祭神に対し、拝礼することにより、畏敬(いけい)崇拝の気持ちを表したものであって、客観的に見て極めて宗教的意義の深い行為というべきである。」 これに対して、今日の「閣議決定」(くどいようですが、本来「閣議決定」出来ることではないのですが、質問があったから答弁書を作る上で「閣議決定」せざるを得なかったのでしょうが)で具体的に、 「追悼目的であることを公にし「2礼2拍手1礼」など神道の儀式を踏まなければ、公式参拝であっても憲法に抵触しない」 言い回しに注意しましょう。 「神道の儀式を踏まなければ」、といっている。 うっかりそう云ってしまったのでしょうが、裏返せば、「今までの、『神道の儀式を踏んだ』参拝は宗教的行為だった」と認めているに等しい。 屁理屈ではなくて、小泉内閣の本音がポロリと出ているとおもいます。 いずれにせよ、憲法に違反しているかいないかを決定するのは司法の仕事で、司法が「違憲だ」といっているわけです。 行政府がそれを無視して、「自分たちが合憲というのだから、合憲だ」と押し切ってしまっては、三権分立の意味がないのです。 司法の見解は真摯に受け止めるべきではないでしょうか。
2004年10月26日(火) 被災者の為にできること。「ボランティアは準備をしてから−−「今できることは募金」」(ボランティア関係者)
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