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2006年09月23日(土) |
「<国旗国歌>学校強制に違憲判決」から思い出したこと。 |
◆お褒めのコメント、メールを頂きまして、恐縮です。
先日、<国旗国歌>学校強制に違憲判決 教職員401人が全面勝訴←「強制になるということではないことが望ましいですね」(天皇陛下)を書いたときは、
何か、文句言われるかな?と、まあ、それはよくあることですので、一応覚悟していたのですが、
何人かの方から、
「この記事は公平(中立的)で、なかなか、いい。」
というお褒めのコメント、メールを頂戴しまして、有難く読ませていただきました。
私は根が単純ですから褒められると調子がでます(褒められて怒り出す人というのは、あまりいないと思いますけど・・・)。
それで、この問題に関連して日頃から不思議に思っていることを、書きます。
◆国歌を歌い、国旗を掲げると「変な人」と見なされる国って無いのではないか?
先日の文章において、私は、裁判所の判決を支持しましたが、
それは、一般論として、「権力が特定の思想を国民に強制することがあってはならない」という憲法19条に照らし、正しい、という意味です。
しかし、具体的事象を考えると、先生だけではなくて、この国では今や、国歌を歌い、国旗掲揚する人を「変な人」と見てしまう。
それこそ「変な話」で、世界中そんな国は無いだろうと思います。
私は安倍晋三氏のように、愛国心を育てる教育をすべきだというような思想をもっておりません。それは、各人の自由です。
しかし、日本で普遍的に見られる思考パターンというか、人に対する「レッテル貼り」がとてもおかしいと思うのです。それは、
◆国を愛するというと「右翼」、戦争反対というと「左翼」という「レッテル貼り」です。
論理的に考えると、まるでおかしいのです。
「国旗・国歌」→「愛国心」→「右翼」→「好戦的」という図式がある一方で、
「戦争に反対(=反戦)」→「左翼」=共産主義者という図式があります。
いずれにせよ、「何だか、危ない人」「お近づきにならない方が良さそうだ」と思われます。
つまり社会的異端者と見なされます。これ、おかしいですね?
上の論理からすると、日本では、「母国を愛さず、戦争を好む人」が「正常だ」という結論に到達します。
そんな馬鹿げたものの考え方があるでしょうか。
現実には「日本をこよなく愛すると同時に平和を望む人」が大勢いるわけです。
しかし、上の図式では、日本を愛することと戦争に反対することとは両立しないのです。
人間の自由意思は右とか左とか、単純に二分法を適用できるほど単純な存在ではないのに、デジタル時代の反映でしょうか
(0か1か。冗談ですよ、それ以前から、こういう「レッテル」を貼りたがる人はいたのです)、
無理に二種類に分類しようとするからこういう事になるのだ、ということに、皆、気づくべきです。
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