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JIROの独断的日記
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2006年06月28日(水) 今日(日曜日)の「N響アワー」は岩城さんの追悼番組ですが、本を紹介します。

◆岩城さんには失礼かも知れないが、本が面白いのです。

今晩、追悼番組を放送するそうですが、いつまでも陰気なことを書いていても仕方がない。

思いつくままに、岩城さんの夥しい本の中から、面白いエピソードを紹介します。

一番楽しいのは、森のうた―山本直純との芸大青春記かも知れない。

音楽のこととか全然知らなくても楽しめます。



岩城さんは打楽器科ですが、一年後輩に山本直純さんがいました。

初めて山本直純さんに会ったときの印象は岩城さんにとって余程強烈だったようで、何十年経ってもよく覚えていると、岩城さんは生前よくあちこちで言っていました。

山本さんの自己紹介がふるっている。

「岩城さん、オレのことをナオズミっていってよ。ナオは不正直のジキ、ズミは不純のジュンです」

山本さんってのはとてもユニークな方でした。ユニーク過ぎて損をしている。

私と同年配の方は「芸能人」に近い存在と思っているかも知れません。

本当は子どもの頃から英才教育を受けているひとです。

岩城さんが山本直純さんの子どもの頃の日記を読んで、愕然とする話が森のうた―山本直純との芸大青春記に載っています。

山本さんが小学校2年生のある日の日記(ひらがなばかりで書かれているので適宜漢字に直しました)。
「僕は今日、お父様に連れられて、山田一雄先生のおうちに行きました。先生はベートーベンの第一交響曲が、どうしてこのようなハーモニーで始まるのかを教えてくださいました。来週は導入部全部のことを教えてくださると仰いました。そして、第一楽章の終わりまでピアノで弾けるようにしておいで、と仰いました。しっかり勉強しよう」


「英才教育」を受ければだれでも小学校2年生でこういうレベルになる訳ではない、ことは、素人の私にも良く分かります。天才的です。

岩城さんが、オモチャの木琴で「半音」を発見するよりもずっと幼い時期に、山本直純さんは、スコアをピアノで弾いていた(これも、練習すれば必ず出来るようになる、という事ではないのです)。

ピアノ協奏曲を弾けるぐらいの腕前でした。12歳の頃から沢山作曲をしていた。



岩城さんは、山本さんの子ども時代の日記を読んで、自分とのあまりの違いに驚嘆し、またうちひしがれるのですが、山本さんが気さくな人柄なので仲良くなる。

そして渡辺暁男先生の指揮のレッスンを受けるようになる。


◆岩城さんと山本さんははじめ、渡邉暁雄先生から指揮を習ったのです。

岩城さんは打楽器科。山本さんは作曲家です。

音大は今もそうですが専門以外に、なにか楽器か声楽かの単位を取らないといけないのですね。

余談ですが、私の知っているある女性はピアノ科でしたが、副科でトロンボーンを選択しました。これ自体珍しい。

普通、こういうのは学校の楽器を借りるのですが、この女性はかなりのめり込んで、自分のトロンボーンを買っちゃって、結構上手いです。



話を戻すと、岩城さんと山本さんは「副科としての指揮科」のレッスンを渡辺先生から受けたのです。

後に、岩城さんは山本さんに紹介されて、斉藤秀夫氏にも指揮を習うのですが、一番最初の「指揮との出会い」は、「副科 指揮」だったのですね。



渡邉暁雄先生は私も恐れ多くも子どもの頃、直接サインをいただいたことがありますが、格好の良い方でしたね。

カッコイイのではない。「格好が良い」のです。

お母さんがフィンランド人のハーフのためか、背が高くて、彫りの深い顔立ちですが、見た目だけではありません。

「人品」ということです。「品(ひん)が良い」ということです。

物腰が上品で、子どもに対しても丁寧で、私は、子供心に「紳士」とはこういう人のことを言うのだな、とおもいました。


◆「副科 指揮科」のオーディションで分かった山本さんの天才的な耳

それは、さておき、岩城さんと山本さんは渡邉暁雄先生のクラスに入る。

聴音の試験はあったけど、まあ殆ど無試験みたいなものだったようです。

それにしても、この「聴音」がすごい。

渡邊先生が指十本で出鱈目にピアノの鍵盤を「ガーン」と鳴らす。完全な不協和音です。

渡邊先生はナオズミさんに、「上から3番目の音の五度下を声に出してごらん」と静かにおっしゃったそうです。

山本さんはダミ声ですが、「アー」と歌った。先生は、自分で指定した音をピアノで叩きました。山本さんの声はピタリと合っていた。

まぐれだと思ったのか、渡邊先生はもう一度、出鱈目の不協和音を鳴らす。

「今度は下から二番目の音の六度上を歌ってごらん」

で、山本直純さんはピタリと正確な音を出せたそうです。渡邊先生は「君は完全な耳をしているね」と言いました。

岩城さん自身の言葉によれば、

「僕は(試験の緊張のあまり)ガタガタ震えているのも忘れて呆れかえった。こんなことが出来るやつは、日本に何人といないだろう。完全無欠な絶対音感教育の、しかももともと天才的な聴覚を持っている人間でなければあり得ない。テストをする渡邊先生自身、絶対にできないに決まっている。これは断言できる」


ということだそうです。


◆渡邊先生の「バイオリンリサイタル」

それから、この二人の学生は、渡邊先生のご自宅に、しょっちゅう出入りするようになります。

常に発作的でナオズミさんが「オイ、行こうじゃねえか」というのだそうです。

一応「礼儀正しく」、前もって電話するのですが、その電話がいつも夜11時とか12時なんだそうです。悪い学生ですねえ(笑)。

それでも渡邊先生も奥様も寛容な方で、何と一度も断られたことがなかったそうです。



渡邊先生はバイオリニストでもあったので、一度、早めに行った時に、先生がバイオリンの女の子にメンデルスゾーンの協奏曲のレッスンをしているのを見学しました。

ナオズミさんと岩城さんが、

「そういえば、僕たち、先生のバイオリンをじかに聴いたことがないなあ。」

「じゃあ、聴かせてあげようか」

アケちゃん(渡邊先生のことを二人はこう呼んでいたのです。無論、面と向って話すときは、「先生」です)は二階から、バイオリンのケースを持ってきました。

小さい奴です。どうやら息子さん用の二分の一か四分の一のサイズのバイオリンだったようです。

先生は2,3枚のペラペラの楽譜も持ってきました。ナオズミさんに「きみ、伴奏してちょうだい」と言いました。山本さんにとっては、それを初見で弾くぐらい朝飯前です。

チューニング(調律)のあと、「枯れ葉」を弾きました。その次は「ラ・ヴィ・アン・ローズ」でした。ここから岩城さんの本から引用します。

素晴らしいエスプレッシーボだった。

「先生、すげえ、ヴィブラートだなあ。ものすごく歌いますね。どうして指揮するときにこうならないんですか?」

ナオズミがひどいことを言った。絶賛しているつもりなのだ。

「そうねえ。どうも上手くいかないのよ」

結局、夜遅くまで先生のリサイタルが続いたのだった。
「オイ、オメェ、そろそろ帰ろうじゃねえか。長いことお邪魔いたしました」

玄関を出る。

音羽御殿(引用者注:先生の家のことをふたりはこう呼んでいたのです)の玄関からは、くねくねと曲がりくねった長い坂が、下の通りまで続く。

アケちゃんは、いつまでも玄関からわれわれに手を振っているのだった。

こちらもヘアピン・カーブごとに何度も立ち止まって、手を振らなければならなかった。


良い時代ですねえ。今みたいに世の中全体がカリカリしているのに比べると、

全てに関してのんびりしていて「良い加減」(「いいかげん」じゃないです。「良い」「加減」です)が自然に保たれていたんですね。

しかし、渡邊先生は優しいだけではなかった。あるとき、「ピシャリ」と来ます。それはまた後ほど。


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