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JIROの独断的日記
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2006年05月16日(火) クラシックお薦め。超有名曲「運命」。

◆モーツァルトイヤーといいますが・・・。

モーツァルトは1756年生まれなので今年は生誕250年なのです。だから、どのCDショップ(ネットショップも含めて)もモーツァルトを売ろうと必死です。

しかし、モーツァルトの音楽には、250年とか関係無い。彼には駄作がない。去年も今年も来年も素晴らしい。



それは、ともかく、少し気になるのは、あまりにも、オムニバス(色々な曲の一部の寄せ集め)が多いということです。

クラシック以外の「歌」はせいぜい3分だけど、クラシックは長いから、嫌だ、という人が多いからでしょうね。

私は、「某有名タレントバイオリニストが選んだモーツァルト入門CD」の曲目を見ました。そうしたら、交響曲35番の第1楽章だけ。

次に、ピアノ協奏曲21番の第2楽章だけ。アイネ・クライネ・ナハトムジークの3楽章と4楽章、と言う具合。

私は以前。必ずしもクラシックを全曲聴く必要はないと書いたのですが、これほど、オムニバスが多くなるとちょっとねえ。

モーツァルトは、オペラは長いですが(そりゃ、オペラってのは長いすよ。3時間ぐらいかかる)、アイネ・クライネ・ナハトムジークも、

交響曲第35番「ハフナー」って、これ、私、大好きなのですが、これにしても30分もしませんからね。

これぐらいは、じっくり落ちついて、聴くのが良いと思います。



大体、日本人ってあまりにも忙しない(せわしない)とおもいます。

たまには人間、ボヤっとして何もしないとか、ただ音楽を聴く、という時間があった方が良いと思うのですが、

最近の人を見ると、何だか強迫的(脅迫じゃないですよ)に、いつも何かをしていないと却って落ち着かないようですね。

家の外でケータイでメール打って、iPodで音楽を聴いて、今度は「ワンセグ(ワン・セグメント)」とやらで、携帯の画面でテレビを見る。

どうしてそんなに外出先で色々しなければいけないの?いつ、仕事や勉強をしているの?と嫌味ではなく不思議なのです。私には。


◆前置きが長くなりました。ここからお薦めコーナーです。超有名曲です。

というわけで、何を言いたいかというと、自分のうちで音楽を聴くときは「ながら」でもいいですが、

(私は「ながら」出来ないのです。音楽の方に気を取られてしまうので。テレビの歌謡コンサートぐらいなら、真面目に聞いてないから大丈夫ですが)

一曲通して聴く、と言う経験をしてみた方がいいですね。

やはり交響曲は4つの楽章を通して聴いて初めて、最後で盛り上がる(終楽章が静かなのもありますけどね)のです。

今日のお薦めはクラシックの代名詞、交響曲。それも、最も演奏回数が多い曲。「運命」です。



曲の冒頭だけなら、誰でも知っている(つもりになっている)ベートーベンの交響曲第5番 ハ短調(作品67)「運命」です。

結論は簡単です。カルロスクライバー指揮、ウィーンフィルです。

このCDが、「現代における『運命』の歴史的定番」(変な日本語ですが)となっています。



カルロス・クライバーについては、以前ベートーヴェン 交響曲第4番(但しこちらはライブ録音)で、書きました。

ジャケットのクライバーの写真を観て下さいよ。このものすごい迫力。

実は前回、ベートーベンの4番はちょっと取っつきにくいかな?と思ったのですが、それまで聴いたことが無かったという読者の方が、

CDを買って聴いて、非常に良かった、と感想をメールで送って下さり、感激したのを覚えています。



あのね。「運命」も演奏時間は、せいぜい30分ちょっと(もう少し長いかもしれません)。

クラシックの曲は長いっていうけど、テレビドラマ一回の放送時間(CMも入れて52分ぐらいでしょ?)より短いのです。



ベートーベンはこの5番目のシンフォニーについて、冒頭ばかりジャジャジャ・ジャーンと茶化されて気の毒です。

これこそ最後まで聴くべきなのです。3楽章と4楽章はつなげて(普通、交響曲は一楽章ごとに、一旦演奏を区切ります。

このときに、別に喉の調子が悪いわけでもないのに、やたらと咳払いをするのが日本の聴衆の変な「習慣」です。)演奏されます。



3楽章の終わりは、曲の冒頭のリズムがティンパニに現れ、次第に楽器が増えていって、音が強くなる。クレッシェンドするんです。

興奮しますよー。「いくぞー」という感じで4楽章(終楽章)に突入するのですが、これがね。カッコいいのです。たまらんです。

私は、下手なラッパ吹きですけど、ここは気持ちいいわ。精神が高揚するっていうのは、こういう事だなと思います。

また、終わり方がすごい。コーダというんですけどね。

段々テンポが速くなって(アッチェレランドといいます)興奮が最高潮に達して、それからなかなか終わらない。身体が熱くなるのを感じます。

徒に長いのではないのです。ベートーベンにはこれが必然だったのでしょう。その終わり方を、言葉で表すとするならば、

「さあ終わるぞ、終わるからな、いよいよ終わるぞ、その前に念を押しておくが終わるからな、

本当だぞ、これからいよいよ、本当のおわりだぞ、終わるぞ、良いか、終わるんだってば、おい、終わるぞ、終わるの聴いてろよ、終わりー。」


ということでしょうかね。聴いてもらうしかないな。しかし、このなかなか終わりそうで終わらないフォルテの連続が、陳腐な表現しか思いつかなくて申し訳ないのですが、

嫌でも興奮をもたらすのです。最後は全員が「ド」の音を出すのです。スコアの最後のページです。





難しい理論が分からなくてもスコアを見ると面白い事が沢山あります。

例えば、最後の音。全員が「ド」をならすのですが、ティンパニは最初は32分音符のトレモロで、途中からロール(数の指定がない連打)になっています。

このテンポで32分音符のトレモロは不可能なのです。そしてまた、どうして途中からロールに変えるのか。

ダイナミックス(フォルテをフォルティッシモにしろとか・・、音の強さ。)の指定はないのです。何だか良く分からない。



もうひとつ。最後の小節では、コントラバスからピッコロまで、全員が「ド」を伸ばす(フェルマータという記号がついています)のに、何故かトロンボーンだけ、4分音符。

伸ばしてもいいと思うのですけどねえ。トロンボーンの音色は周囲に融け込むことが出来るのです。

逆にピッコロは、極めて目立ちます、音域が非常に高く、オーケストラ全体がffでなっていても絶対に聞こえるのです。

そのピッコロは全音符でフェルマータ。ピッコロの実音(実際に出る音)は、楽譜上に記された音より1オクターブ高いので、

ここでは、中央のドの3オクターブ上を吹いていることになります。

「それが、どうした?」と言われると、実も蓋もないのですが、

ちょこっと楽譜を読める人はスコアを見てみるといろいろ面白い発見があるよ、と言うことを言いたかった訳です。

勿論、楽譜読めなくても、一向に構わない。
「音楽とは、音の流れの美しさ以外の何物でもない」(ヘルベルト・フォン・カラヤン)


とにかくクライバーの「運命」。お薦めいたします。聴いて「損した」という気持ちになる人は、あまりいないと思います。


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2004年05月16日(日) 「陸自撤退につながる解釈 サドル派で内閣法制局が報告」 「戦闘行為の定義」のバカらしさ。
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