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2005年11月07日(月) |
「<フジモリ氏>チリ当局に拘束 ペルー政府が引き渡し要求」←そもそも、どうして日本に5年もいたのか。その背景。 |
◆記事1:<フジモリ氏>チリ当局に拘束 ペルー政府が引き渡し要求
東京に5年間滞在していたペルーのアルベルト・フジモリ元大統領(67)は6日午後(日本時間7日未明)、チリのサンティアゴに空路到着した。
フジモリ氏は市内のホテルに入ったが7日未明(同7日午後)、チリ当局に拘束され、身柄を警察学校に移送された。
ペルー政府はチリ政府に直ちに逮捕と身柄引き渡しを求めた。(毎日新聞) - 11月7日21時9分更新
◆解説:フジモリ氏は、そもそも何故日本に亡命していたのでしょう?
フジモリ氏は言うまでもなく元ペルーの大統領で、国民に人気があった為政者、という漠然とした印象を持っていた日本人が多いです。
特に、ペルー日本大使館公邸人質事件の解決の時の姿が印象的です。
あれは、1996年12月17日に発生して、なんとテロリストグループは127日間も籠城したのですね。今調べたら、そうなっている。記憶はいい加減です。
何故、あの「英雄」フジモリ大統領は5年も日本に亡命しなければならなかったのか。
いろいろペルー国内の事情があるのですが、要するに日本人は人質事件の印象が強いので、「いい人」と考えていますが、
ペルーでは結構「独裁者」で、残虐なことも許容していたらしいのです。
◆ペルー人質事件解決の真相はものすごく残虐なのだそうです軍隊が残虐だったのです。。
ここから先の話は、全て日本の防衛戦略―テロ対策機密情報(テリー伊藤, 青山 繁晴 )という本からの受け売りです。
テリー伊藤氏は好き嫌いが有るでしょうが、それはこの際我慢して貰って、重要なのは青山繁晴さんという方です。
青山さんは元共同通信記者で、今は、独立して自分の事務所を持っている人です。
私が見る限り、この青山さんが日本で最も「重い」情報を直接取材して知っている人みたいです。
たけしのTVタックルなんかにでているので、軽く見ているひとも多いようですが、私はこの人の情報を特別個人会員になって欲しくて仕方がないのです。
なかなか料金が高くて、手が出ないのが悔しい。
尤もカネを払えば良いというものでもなく、彼のリポートには飛び上がるような重大情報も含まれているのです。
このようなWeb日記・ブログに簡単に書かれてはたまらない。というわけで「審査」が或るそうですが、どういう審査かは知りません。
それはさておき、この本は日本の安全保障の話を中心に分かりやすく書かれていますが、中にペルー事件に関しても書かれている。
青山さんは最初から最後までこの事件を共同通信記者として現地で取材しただ一人の日本人記者だそうで、大変貴重な存在です。
◆日本大使館公邸を占拠していた犯人達は、ペルー軍により時間をかけて強姦・惨殺された。フジモリ氏が許可した。
あのとき、ペルーの日本大使館公邸に、ペルーの特殊部隊が突入し、犯人はあっという間に全員射殺されたということに、「させられた」そうです。
実際には、生きていたゲリラが沢山いた。
大使館を占拠してゲリラはMRTAという集団ですが、この中には10代の少年少女が大勢いた。
その多くが、強行突入の後も生きていたのを、人質だった日本人が大勢見ているのです。
その後「お上」から箝口令が敷かれ、誰も話さないから、日本人は誰も真実が分からなかったのです。
人質の中で特に、防衛庁とか、外務省の職員だった人でその後辞めてしまった人が多いのだそうです。
嘘をつくのに耐えられなくなったからだろうと、青山さんは書いています。
ゲリラ集団のボスを射殺した後突入した軍隊にとって、その後の1〜2時間は、ある証人の言葉によれば、「お楽しみタイムだった」そうです。
つまり、ゆっくりと陵辱しながら惨殺してゆく(念のため書きますが、私はこういう言語表現は嫌いです。しかし、事実なのです)。
これを許したのが、何とあの好々爺ふうの外見をしたフジモリ大統領だったのです。
テロリズムは勿論許せないが、ペルーのテロリストは最初労働運動だったのに、弾圧がひどくて、次第にテロリスト化してしまった者もいる。
貧富の差が激しい。貧しいなかから少年少女のゲリラが現れる。
それを軍隊がいくらテロ制圧と言ったって、レイプしてその後クビを切り落としたのですから、問題です。
何十人も生きていたテロリストが全員1時間でレイプされて、クビ無し死体になってしまった。
先に書いたとおり、日本人の人質には箝口令が敷かれた。人質から事実を聞いて報道したかった青山さんも同様でした。
ここで、日本のメディアの限界に愛想が尽きたのが、青山さんが共同通信を辞めたきっかけなのだそうです。
テレビしか情報源がない私たちには分からなかったですね。想像もつきませんでした。
テロリスト達の死体は、フジモリ大統領が失脚するまで、まとめて埋められて、軍が見張りを立てていたから、テロリストの遺族も近寄ることが出来なかったそうです。
土葬だから、死体を掘り返され、解剖されたら、何があったか分かってしまう。
青山さんによれば、フジモリ大統領は、あの強行突入の時に、日本人に死人が出ることを予想してそれも仕方がないと考えたいたらしいです。
しかし、軍のメンツがあるから突入せざるを得なかった。
事件が一応解決した後、フジモリさんが興奮して叫んでいたのは、「日本人を殺さないで、テロリストを惨殺して、国民に見せしめとすることが出来た」という興奮状態だったようです。
この一件が全てではありませんが、フジモリさんは、人道上、相当ひどい事もしていると見て間違いがなさそうなのです。
青山さんの本はすごいことが書いてある。ここでは書ききれません。一読を勧めます。
それはさておき、フジモリ政権の軍事独裁政権に対する国民の堪忍袋の緒が切れて、フジモリ氏は失脚しました。
国内にいてはまずいというので、日本にいたのです。
急に日本を去って、ペルーに向ったのはなぜだか分からない。彼の立場から見れば明らかにやばいと思うのですがね。
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