無限城の「“IL”奪還」の仕事が終わってから、数日がたった。 外の世界に出て、銀次は心から安堵していた。 けだるい疲労感が身体に残ってはいたものの、そしてそれは数日がたった今でもとれることはなかったが、それでも街はそんな裏の世界のことなどに干渉されることはなく普段と同じで、雑踏も、車の渋滞も、自分たちが無限城に赴く以前と何一つ変わってはいなかった。 ホンキートンクでは波児と夏美が笑顔で迎えてくれたし、挽きたてのコーヒーは心の疲れさえとってくれそうだった。
だが。
銀次の中に起こった星の爆発のような力の放出は、無限城の中では何ら自身への影響がなかったにも関わらず、外の世界に一歩出るなり、確実にその心身を蝕んでいたのだということを身をもって銀次に教えた。 特に、幼い頃のトラウマの中から、えぐり出すようにして「雷帝」の封印を解かれた心は、鋭いメスで斬りつけられたかのように、どくどくと血を流しては痛んだ。 それでも、蛮がそばにいたから、銀次はその痛みのほとんどを自覚しないまま、ごく自然に笑っていられたし、多少の疲れなど吹き飛ばせるほど、また強くもいられた。 今までと変わりのない日常に身をおいて、眩しいほど幸福だった。
しかし。 夢の中までは、そうはいかなかった・・。 気を抜いて、眠りに落ちると、とたんに悪夢に引き込まれる。 しかも、見る悪夢は夜な夜な同じだ。
薄暗い部屋の片隅に、幼い自分が膝を抱え、恐怖に全身をがたがた震えさせている。 おぼろげな記憶。 だが、その時の底のない恐怖心は、いつまでたっても忘れることができない。 多量の血のにおいと、たちこめる死の気配。 いくら幼くても、自分のいるすぐその近くで殺戮が行われていることは、想像がついた。 肉の裂ける音、血飛沫。 断末魔の叫びが、コンクリートの壁と床を伝ってくる。 こわい・・・・・。 だれか、助けて・・・・。 声が、出ない。 こわいよ・・・・。 誰か、ここから救い出して・・・。 どうして、こんなところに置いていかれたのだろう。 捨てて行くなら、もっと別の場所もあっただろうに。 自分を置きざりにした者は、捨てた証拠を残さぬように、自分がここで切り刻まれて、ただの肉片になることを望んだのだろうか・・・。 そんな、酷い。 ひどすぎるよ・・・。 誰かの足音が近づいてくる。 薄暗い扉の向こうに、気配が近づく。 全身から、嫌な汗が吹き出る。 震えが尚いっそう、ひどくなる。 たすけて・・・。 来ないで・・・。 オレを、見つけないで・・・。 足音が扉の前で止まる。 びく!と全身が粟立つ。 ギィイィィ・・・・・と錆びた扉が開かれ、人影が近づいてきた。 いや、だ。 怖い・・・。 死にたくない、殺されたくない・・! 闇の中から手が伸びてくる。 銀次めがけて。 身の毛がよだつ寒い気配がぞわあ・・・・と背中を駆け上がってくる。 いやだあああぁぁぁああ・・・・・・・・・・・!!! 助けて、助けて、助けて、助けて、誰か助けてええぇぇぇっ・・・・・・!!
「銀次! 銀次・・・!!」 揺り起こされて、ばっ!と勢いよく身を起こした。 「おわ!」 その途端に、勢い余ってゴン!とフロントガラスで額を打って、またシートに撃沈する。 「いてー!」 「何やってんだ、テメー」 「あ、蛮ちゃん」 「何が”あ、蛮ちゃん”だ。安眠妨害だぜ、ったく」 「ふえ〜・・・ ごめん・・」 「おら、汗ふきな」 投げ渡されたタオルを受け取って、やっと自分が全身汗だくになっていることに気がついた。 前髪を上げて、額を拭う。 背中を伝う冷たい汗に、ぞくり・・と悪寒が走った。 「大丈夫か?」 めずらしくやさしい声で聞いてくれる蛮に、銀次がにっこりと笑う。 「うん!」 「・・そっか。じゃ、ちっと待ってな」 「うん?」 言い残して、こちらの返事も聞かずに車を降りて、バタン!とドアを閉めて言ってしまった蛮に、銀次がきょとんとした顔でそれを見送る。 どこに行ったんだろう。 煙草が切れたのかな? それとも、トイレかな? 行き先を告げずに、ふらりと車を降りてどこかに行ってしまうことはしょっちゅうあることなので、さして気にはならないが、今は深夜で、しかもこんな悪夢のあとだから、できるだけ一人になりたくなんかないんだけど・・・。 思ってはみるが、仕方がない。 銀次は、ふうっとため息をつくと、シートの上で膝を抱えるようにして、カーラジオに表示されている時間を見た。 午前1時10分・・・。 眠ってから、まだ2時間半くらいなのに、もう今夜だけでうなされて起きるのは2度目だ。 (そっか、蛮ちゃん・・。オレの横じゃ、うるさくって眠れないからホンキートンクにでも泊めてもらいにいったのかも・・? ここからだったら、わりと近いもんねー・・) 考えて、ちょっと淋しくなる。 でも、やっぱり仕方ない。 やっぱり、オレが悪いんだもん・・。
『そうさ、お前が殺したんだよ。 お前のせいでみんな死んだんだ。 お前が皆を見殺しにしたんだ―!』
バーチャルとはいえ、あまりにリアルな鮮明な映像が意識の奥に入り込んで、あたかも本当にあったことのように銀次の罪を責め立てる。 ベルトラインの連中ではなく、自分のこの手で、シュウやリューレンを殺したのだと責められる夢。 それなのに、おまえ一人、ここを出て楽になって、と。 それと、幼い頃の天子峰に拾われた時の記憶とがセットになって、交互に夢に現れるのだ。 (ハードだなあ・・・ せめて、一晩一回で、どっちかだけになんないのかなー・・) 思ってはみるが、自分の見る夢だ。 誰にも文句のつけようがない。 強いて言えば、マクベス。 ちょっとホントにアレ、ハードだって。 オレの雷帝化の封印を解く、さすがな作戦だけど、あとあとキツイよ・・・。 まあ、本当のこともあるから、仕方ないんだけどね・・。 夜の街を、通りの向こうに消えていった蛮の右肩の白い包帯が、その闇の中にぽっかりと浮かび上がって思い出される。 あれだって、オレの・・。 蛮ちゃんは、邪眼使ったっていうカモフラージュに使えたんだから、別に気にするこたぁねえさと言ってくれた。 そんかわし、大概痛い目させられたんだから、テメーも同じ目にあわせてやらあ!とさんざんグリグリされたり、げしげし足蹴にされたりしてイジメられたけど。 それが蛮ちゃんのヤサシサだってことは、オレ、ちゃんとわかってる。 だから、オレのためにゴメン・・・って思う代わりに、きっと必ず、蛮ちゃんがピンチの時にはオレも身体をはって蛮ちゃんを助けるんだって、そう決めてるから。 それはいーんだ。 負い目とかそういうの、きっと蛮ちゃんは嫌いだろうし。 オレもよくないと思うから。 でも、この悪夢ばかりは・・・。 あれやこれやと考えているうちに、頭がぼうっとしてきて軽い睡魔に襲われる。 もう4日ぐらい、まともに眠っていないのだから当然だ。 でも、眠りたくはない。 また底なしの悪夢に引き込まれる。 そう思い、迂闊に眠ってしまわないように、項垂れたままでぶるっと首を横に振った。 いつまで続くんだろう、こんなことが・・・。 少し重い気持ちで考えかけた途端、バタン!とドアの閉まる音がして、はっと運転席を見た。 「・・蛮ちゃん」 「おう」 一瞬だけ、意識がとんでいたらしい。 隣に戻ってきてくれた蛮に、銀次が心からほっとしたような笑みを浮かべる。 「おら」 「んあ?」 差し出されたコップを受け取り、なに?と問いかける間もなく、そこに蛮の持っていたステンレス製の水筒から、なみなみとあたたかな液体が注がれた。 「飲んどけ」 「って、蛮ちゃん?」 「ホットミルクだ。感謝しろよ、波児たたき起こして作らせたんだからよ」 「うん・・・。で、なんで蛮ちゃんはビールなの?」 「ノドかわいたんだよ」 「オレだけミルク?」 「そ!」 「ふーん」 「んだよ!」 「オレもビール、飲みたいなーと思って・・」 「ガキはミルクでいいんだよ!」 「でも、オレ、蛮ちゃんと同じトシ・・・」 「うっせーな! 不眠症のガキには、あっためたミルクがいいんだってよ!」 「え?」 そこまで言われてやっと気づいた。 そっか、眠れないオレのために、わざわざミルク・・・。 不眠症には、ぬるめのホットミルクがいいとかなんとか、前にラジオかなんかで聞いたような気がする。 隣で派手に缶ビールを煽っている蛮を横目に、プラスチックのカップに注がれたそれに、ゆっくりと口をつける。 ノドを通ってくるそれは、冷たい身体に染みわたるようなあたたかさがあった。 「あったかいや・・・」 ほっとしたような顔をする銀次に、蛮がいつになくやさしい笑みで静かに聞く。 「・・・眠れそうか?」 「うん・・・」 「あんま、急いで飲むな」 「うん」 コク・・・とゆっくり飲んで、それからそのカップを見つめたまま、銀次が言う。 「オレさー、蛮ちゃん」 「あ?」 「いろいろつらかったけど、今度の仕事で無限城にいけたこと、よかったって思ってるんだ・・。なんもかも放り出して逃げて出てきたみたいなとこがあったし、そんなキモチが胸の奥でくすぶってたから。でも、そういうのも、ふっきれたし。・・・・ありがと、蛮ちゃん」 「なんだよ! オレは別に何もしてねーぞ! 第一、450万は・・・・! あー、今思い出してもムナクソ悪りぃぜ、あのクソ屍のヤロー! 今度あったら、この美堂蛮さまがギッタンギッタンに・・・!」 「わー、だから、蛮ちゃん! ソレだけはやめた方がいいってば!」 「なんだと! テメー、オレがあんなヤローに負けるとでも・・・」 「わわ、そうじゃなくて、いだだだだ・・・・!! わーん、ミルクこぼれちゃうよ〜」
気がつけば、時計は大きく2時を回り、さすがに眠気に勝てなくなってきた銀次は、目を擦りながら、ふああ・・とあくびと伸びをした。 「眠ぅ・・・」 「いーから、もう寝ろ」 「うん」 シートを倒して身を預けながら、微かに不安げな表情を見せる銀次に、蛮は指先で軽くその鼻先をはじくと、驚いて瞳を見開く銀次に包み込むような瞳を向けて言った。 「悪い魔法使いはもう来ねえから、安心して眠んな」 「うん・・」 ん? 悪い魔法使いって? と、思いながら、ゆっくりと目を閉じる。 そういや蛮ちゃんって、魔法使いの血筋なんだよなあ。 あ、魔法使いじゃなくて、魔女だっけ? 魔法使いと魔女ってどうちがうんだろう・・・。 今度きいてみよう。 あ、でももしかしてまた、ゲンコが飛んでくるか・・・・・も・・・・。 考えの途中で、意識が深みに落ちていく。
ああ、また悪夢が始まるのか・・・・。
薄暗い部屋の片隅に、幼い自分が膝を抱え、恐怖に全身をがたがた震えさせている。
あ、またコッチのユメ・・・。今日は2回目じゃないのかなあ。一回でも充分なのに・・。
多量の血のにおいと、たちこめる死の気配。 肉の裂ける音、血飛沫。 断末魔の叫びが、コンクリートの壁と床を伝ってくる。 こわい・・・・・。 だれか、助けて・・・・。 声が、出ない。 こわいよ・・・・。 誰か、ここから救い出して・・・。
誰かの足音が近づいてくる。 薄暗い扉の向こうに、気配が近づく。 全身から、嫌な汗が吹き出る。 震えが尚いっそう、ひどくなる。 たすけて・・・。 来ないで・・・。 オレを、見つけないで・・・。 足音が扉の前で止まる。 びく!と全身が粟立つ。 ギィイィィ・・・・・と錆びた扉が開かれ、人影が近づく。 いや、だ。 怖い・・・。 死にたくない、殺されたくない・・! 闇の中から手が伸びてくる。 銀次めがけて。 身の毛がよだつ寒い気配がぞわあ・・・・と背中を駆け上がってくる。 いやだあああぁぁぁああ・・・・・・・・・・・!!! 助けて、助けて、助けて、助けて、誰か助けてええぇぇぇっ・・・・・・!!
「おい、ボーズ」 目の前に来た人影に、ぎゅっと目を閉じ、全身を強張らせる。 頭の上にポンと手を置かれ、”ひぃぃ・・!”と泣き声のような叫びを上げた。 あれ・・・・。 でも、この手は・・・? 「・・・・え?」 恐る恐る、手の主を見上げる。 天子峰じゃない・・? 「ボーズ、名前は?」 「ぎんじ・・・・・ あまの、ぎんじ・・」 「ふーん・・。トシは?」 「わか・・・・わかんない・・・」 「そっか・・」 ぶるぶる震えたまま見上げていると、その声の主が言う。 「ついてきな」 誰だろう。 顔が逆光になっていて、よく見えない。 けれど、何だかとても懐かしいような。 ついてこいと言われて立とうとしたけれど、足に力が入らず、腰が抜けたようになっていて動くことさえままならない。 泣き出しそうな瞳で見上げていると、男は、しゃあねえなあ・・と笑うと、銀次をひょいと腕に抱きかかえた。 「あ、あの・・」 「いいモン見せてやっからよ」 言われて、抱き上げられたまま、とにかくぎゅっとその首にしがみつくと、「おまえ、結構怖がりだよなー」と男が低く笑う。 わけがわからないままエレベーターに乗せられて、気がついたらひどく高いところに来ていた。 街が360度に一望できる、高さ。 「ここ・・?」 「無限城の、一番でっかいビルの屋上」 「うわ・・・」 「怖くねーか」 「うん」 風が強い。 しがみついていないと、吹き飛ばされそうだ。 それでもオトコの首に抱きついたまま、その腕の中から街の遠くまでを見る。 高く聳え立つビルが、幾つも見えた。 その遠く向こうは、もやに白く霞んで、果てがないかのようだ。 あの向こうには何があるんだろう。 ビルの谷間に、沈んでいく夕日が赤く、自分のまだ幼い輪郭と男の凛々しい横顔を染めていく。 静かに男が言った。 「外にゃ、こんなに広い世界がある。おまえが望む限り、どこまででも行けるんだ。そのことを、忘れるな。ボーズ」 「うん・・!」 男の言葉に、強く頷く。 そして、泣きはらした赤い目に、それでも強い光を宿して夕陽を見つめた。 こんなにきれいな夕陽ってあるんだ・・・。 今までずっと知らなかった。 ビルも、家も、ヒトも、車も、みんな小さくて、それに比べて太陽ってこんなに大きかったんだ・・。 思いながら、ふと大事なことに気がついて、少しもじもじして男に尋ねた。 「あの・・。おにいちゃん・・・・。だれ?」 銀次の言葉に、男が笑って言った。 「オレか? オレの名前は、美堂、蛮」 「ばん?」 「そ! よーく覚えときな。銀次」 「うん!」 「あ、そーだ。ボーズがでっかくなったら迎えにきてやっからよー。オレと「奪還屋」やんねーか?」 「ダッカンヤ? うん! やる!」 「よーし、いい子だ。んじゃ、そんかわり、それまでちゃんと生きてろよ」 「うん!」 「しっかり生きて、待ってるんだぜ。いいな?!」 「うん、わかった、約束だよ・・!」 「ああ。約束だ」
「おいおい・・・。ジャスト1分はとうに過ぎたぜ? いつまで勝手にユメの続き見てやがんだぁ?」 蛮が、すやすやと眠る銀次を、ハンドルに頬杖を突きつつ笑って見下ろした。 むにゃむにゃと寝言をいう銀次の口元は、幸せそうに微笑んでいる。 さっきの眠りの時のような、苦しげなつらそうな表情はどこにもない。 「・・・・うん・・・・・・・・・オレ・・・・ ダッカンヤ・・・・・なる・・・・」 「ちぇ、あっさり刷り込みされてんじゃねーや。バーカ・・」 蛮は笑ってそういうと、コツンと軽く銀次の頭をこづいて、自分もシートを倒して横になった。 これできっと、銀次の悪夢も終わるだろう。 ゆっくり眠れ、銀次。 気持ちよさそうな寝息を隣に聞きながら、蛮も久しぶりにぐっすり眠れそうだ、と目をつぶった。
「・・・・ばん・・・ちゃ・・・ん・・・」
いいユメ、見れたかよ・・・? な、銀次・・?
END
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何気に無限城のお話もナゾが多かったですが。 一番の気がかりは、天子峰って何者?っていうことと、蛮ちゃんの台詞・・。 「どっかで自分から封印といただろうが! そうすっと簡単に雷帝モードになっちまうとあんだけいっといたろうが!」と銀ちゃんに言ってたのですが、いったいソレはいつのまに??? 読者を無視して、二人でこっそりそんなハナシをしてたのか・・! これは封印したのも蛮ちゃんだということなのでしょうか? とりあえず、雷帝になるには蛮ちゃんの許可がいるようです(笑) このIL奪還以降の話で銀ちゃんがバンダナをするようになったのは、アレはもしや雷帝の封印のしるしなのでしょうか?
とかなんとか考えつつ、無限城後のお話を書いてみました。 蛮ちゃんとチビ銀・・。かなりツボv
|