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みんみん



 申年の贈り物

申年に年少の女性から「申」と書かれた下履き(と書こう)をもらうとシモの病をしない、という言い伝えがある。

私にとって申年はこれで3度目だ。

最初の申年は小学生。
正月明けのある日、母に連れられて衣料品売場に行った。母は、自分の下着(パンツですな)を選んでくれと言った。お、お母さん、私の趣味を頼りにしているか? と、娘は思ったが、そうではなく、申年だからなのだと知った。
母自身はは祖母のために下着を買った。小学生は母の下着を選ぶだけで、買ってあげるだけの甲斐性はなかった。そのかわり、後で、選んであげた下着の内側に小さく「申」と書いた気がする。

2度目の申年は大学生。
この時は私にも申年の自覚があった。正月の帰省中、確か母と2人で母の実家に行く途中、衣料品売場で自分から言い出して買い求めた。一緒に選んで私が買ってあげたように思う。そして母は私の下着を買ってくれたような気がする。どんなものであったかは覚えていない。

そして今年。
母は1人増えていた。未年の暮れに、りー母に贈るための品物をデパートの下着売場で買い求めておいた。身につける物、特に下着を贈るというのは、慣れていない人にとってはギョッとするものかも知れない。りー母とは同居していないし、いったいどんな下着をつけているのか(と書くと変な人みたいだけど)私にはわからない。年齢相応、と言っても、それこそ人それぞれの趣味というものがある。まさか、ヒョウ柄のパンツを履いたりするタイプではないだろうというのはわかるが、でも楽しくないのはちょっと。それに微妙な形の違いというものもあるし、色だって……と考えたりしながら選んでみた。一緒に買いに行く、という選択肢もあるかも知れないが、却って恐縮されそうな気がしたので自分で選んでいくことにした(そして元旦に渡してきた)。

私の母については、一緒に行って選んだ方が話がはやい。それで仕事始め直前の今日、お湯にでも行こうよ、ついでにパンツ買ってあげる、と電話した。買って*あげる*なんていう言い方をしているが、母の方がはるかに稼いでいる。
まず温泉に入ってすっきりし、それから街中に出て、デパートでパンツを買い与え合い、チェリオでお茶をして帰宅した。
私の自宅でいったん母のために買ったパンツを取り出し、内側に小さーく「申」と書いてあげた。りー母にあげたものには書いていない。今度書きにいかなくては。

この申年は肌着メーカーの宣伝が盛んらしく、紳士・婦人下着売場で「申年に下着を贈ると健康で過ごせると言われています」という案内を見かけた。

昔、パンツじゃなくてお腰(腰巻)を身につけていた女性もまだまだあった頃、当時子供の母が自分の母(つまり私には祖母)のためにお腰を縫ったそうだ。伯母が買ってきたネルの布を母が縫ったらしい。
「(縫う係だったのは)要はお金がなかったからなんだろうけど、それにしてもお母さん偉かったわー、家のこと何でもしとったもん」と母。

なんで申年に下履きなのか、といえば、それはよくわからない。でも、根拠のわからない言い伝えであっても、それにまつわる作業をしてゆくことで相手についてより特別に思えるのはいい。
伝統的なことを重んずる自分と、革新的な(ってもっと言いようはないものか)自分と、両方がある。人を縛り付けがんじがらめにしてしまうようなのは嫌だけど、楽しくあたたかい気持になれる物事なら、慣習という大義名分に乗っかっていくのも悪くないかなと思っている。

次の申年にも、また楽しく悩みながら母たちのために買い求めることが出来るといいと思う。ついでに年下の誰かが私のために選んだり買ったりしてくれたらそれに越したことはないが、こればっかりは。

2004年01月04日(日)
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