|
|
■■■
■■
■ 絵日記をかく
小学生、初めての夏休みも間近。 3連休の宿題のひとつとして、絵日記が1日ぶん出ました。夏休みの宿題の予行演習のようなものと思われます。
この絵日記、Kにとって絵を描くことは何でもなく、むしろ楽しくてならないらしい。絵を描くスペースをさらに田の字に4分割して、それぞれちまちまと描いている(もともとミニマルな画風です。笑)。 そのかわり、下半分の文章部分は少し手こずっています。中心的な語彙は、 「おもしろかったです」 「うれしかったです」 「すごかったです」 あたり。 「おもしろかったです。なんでかというと、うれしかったからです。」 みたいな。まあ、確かにそうなんだろう。 でも、なんでおもしろかったのか、書いてくれないと読む人はわからんよ。たとえば、いま隣にいるおかあさんとかにさ(もっとも、おかあさんには透視能力があるから、Kの気持は読めるけど)。 それに、あとで見たとき自分でもわからんかもしれんよ。だからそこが知りたい。 ・・・などと聞いたりしながら、書いているようすを見ています。 句読点を打つことも、れんしゅうちゅうです。もっとも、句読点の打ち方は、大人でもそれぞれに癖や傾向があるというもの。
夏休みの宿題の絵日記は、毎日かく必要はないのかもしれません。 でも、(一緒に会話しながら)何回かでも、継続して書いていくうちに、何かしら「書く」力は身につくかもしれない、という印象は持ちました。 おにいさんおねえさんたちも、それから、大人も同じですな。 誰かにちょっとヒントを投げてもらったりしつつ、でも結局は自分で気づかないといけなくて、それができたら何かが身についている、というような。 何より、考えないと書く(話す)ことはできないし、考えていても書く(話す)ことができなければ、伝わらない。
一方でふと、おもしろかったのはうれしかったから、でいいじゃないか、それはそれで真実なんだよ、とも思えてくる。 すると、言葉でえがくことができる、というのは、ずいぶん、つまらんことなのかもしれない。 書くということを始めたばかりの人の書く文。 なんにせよ、人の書く文章はおもしろいです。
2013年07月15日(月)
|
|
|