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みんみん



 おかえり/いらっしゃい

福岡より祖母が帰宅。約1ヶ月半ぶり。
叔母といとこが富山までついてきてくれた。歓迎すべく、夕方、りー氏とともに実家へ。途中でケーキを買って、それから、毎年恒例りー氏がひろってきたばかりの摘花後のチューリップを手みやげに持って行った。
家を出る時間になってもなかなか帰ってこないと思ったら、はるばる入善町まで花を拾いに行っていたらしい。私の方が先に帰宅して、「ったく帰ってないじゃんよ!!」と思うやいなや電話が鳴り、遅れる旨連絡があったのにはおかしかった。何か通じたのだろうか。

叔母とは既に会ったことがあるけれど、いとこのCちゃんとは初対面なりー氏。叔母・Cちゃん・父・母・祖母・りー氏・私の7人で晩ご飯を食べる。
実家にはかつて最大7人の家族がいた(動物のぞく)。その当時のメンバーは父・母・祖母・叔父(父の弟)・2人の弟・私。下の弟が生まれた頃(私・小2)から、叔父が結婚して家を出るまで(同・小5)までの約3年間である。幼児子供が交じっての7人だから、今日のように大人が並んで食卓を囲むのとはちょっとわけが違うし、いつもフルメンバー揃って食卓についていたかといえば必ずしもそういうわけでもなかったのだけれど、賑やかだったんだろうなあ、と今となっては思う。
ふだんは3人(父・母・祖母)で座っている食卓に、家じゅうから椅子を持ってきて、ぎゅうぎゅうと並ぶようにして囲む。食卓の四辺の、一辺につき平均約2名が着席する割合で。箸も交錯するが、話も交錯する。

とっくに晩ご飯を平らげてしまっているのいは、微妙に緊張しつつ、食卓の上のおすしやお刺身が気になりつつ、付近を行ったり来たりしている。眠くなったら椅子の上でうたた寝したりするけれど、今日はどの椅子も使用中なので、米びつの上で眠りはじめた。
前は炊飯ジャーの上に乗ったり電子レンジの上に乗ったりしていたけれど、身体が大きくなってしまったので乗れなくなってしまった。炊飯ジャーからは完全にずり落ちそうだし、電子レンジは上にある棚との隙間が狭そうだ。

叔母から、ひよこ、ワインゼリー(「ひよこ」の会社で出している)、めんたいこをもらう。りー実家用にもめんたいこをもらう。お気遣いいただきまして。
私が初めて「ひよこ」に出会ったのは、たぶん小学校2年生の時だと思う。祖母と上の弟と一緒に叔母の家に行った(当時は北九州市の小倉北区というところに住んでいた。福岡空港から遠かったことを覚えている)。その近所の商店街にひよこのお店(吉野堂)があった。それ以来、おみやげにしたりもらったりしたことがあるのだろう。私の中では、ひよこ=九州のお菓子というイメージが強固にある。
東京のひよこについては、東京オリンピックの頃、オリンピックみやげとしてひよこを売り出すべく進出したといういきさつがある。私が生まれるより前のことだ。でも東京みやげとしてひよこを買うことは絶対にない。
ワインゼリーは、何年か前に福岡のとあるお宅で出されておいしいと思ったもの。地元の人にとってはたいへんポピュラーな夏のお菓子のようだが、口当たりがやわらかくて印象に残っている。ワインゼリーだけでなくその時のいろいろの思い出を含めた印象なのかも知れない。おいしかった、と叔母に伝えたことを覚えてくれていたらしかった。ワインゼリーは別にひよこのかたちをしているわけではない(念のため)。
ちなみに、福岡限定巨大ひよこというのもある。いちど食べたことがある(いっぺんにではなかったと思うが)。ちょっとかわいそうな気がしつつ。本体が大きい分、中のあんも大きく、味わう際にはちょっと飽きるような。

近所の親戚から手作りの草餅が届いてもいたので、食後に少しいただいた。
子供の頃は、よもぎを摘んで、蒸してすり鉢ですって、搗いたもちに混ぜてよもぎ餅を作っていた。薪で餅米を蒸して、餅つき器でこねて、木の台に受けて。別に煮てあったあんこをまぶしたり、中に入れたり。ちなみに子供の私が担当したのは「よもぎを摘む」と「もちを丸める」。楽しいとこ取り。後は祖母と母がやってくれた。
よもぎ餅を作らなくなってからは、季節になると母方の祖母が毎年たくさんのよもぎ餅を持って来てくれた。地元のおいしいお菓子屋さん(2つあった)に注文しておいたものを、電車を乗り継いで持ってきてくれた。
母方の祖母にもずいぶん会っていない。

会うとちょっかいをかけてばかりなのでどうしてものいにライバル視されてしまうりー氏は、おすしのネタのほんの小さな小さな一切れ(小指の先にもならない大きさ)を持って、眠っているのいを起こしに行った。エサでつっているのか。

2003年04月26日(土)
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