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■ 初夏のような日
お茶菓子として到来物のひよこを持参したら、「東京に行ったの?」と聞かれた。やはり、ひよこ=東京みやげ、のイメージは強いようだ。 なので、ひよこはもともと福岡なんですよ、と言ってみた。
「沖縄映画祭」なるチラシを見る。本土復帰記念日である5月15日に、金沢の駅前シネマで行われるようだ。この映画館、ふだん成人映画を上映しているはずだが、学生さんを中心とした自主企画らしい。 作品は2本立て。1本は忘れたけれど、もう1本は「ウンタマギルー」。観に行こうかな。 沖縄といえば、Kさんに教わった張り子作家さんのサイト、とてもいいぞ。欲しい。特に「手乗り犬」。トラの絵が描いてあるTシャツもいいなあ。トラ猫に通ずるし。
若者の服装をまじまじと見る。 金沢にもしばしば行く機会があるが、富山の子の方がおしゃれだと思っていた。しかしその「おしゃれ」というのは、単純にハヤリっぽいことを指しているような気もしてきた。たとえば今ならレイヤーな感じとでもいうか。 それが却ってひとの顔を見えなくしている部分もある。もちろん全ての人がそうであるというわけでもないだろう。
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ワープロで印字した文字と、手書きの文字。 丁寧に書かれているならば、手書きの文字の方がずっと頭に入る気がする。なぜだろう。 大学生のころ、青年心理学の授業を取っていた。その方面ではたいへん有名な先生だったし(私も子供の頃にその先生が書かれた本を読んだことがあった)、教員免許取得に必要な単位でもあったので、受講者はかなり多かった。 学期末試験に際してその先生はおっしゃった。「答案は丁寧に書いて下さい」と。 文字のうまいへたは関係なくて、丁寧に書いてあること。先生はいったいどのくらいの答案を採点されたのだろうか。そんなに大きな大学ではなかったから、人気の授業といってもせいぜいが数百人だろうとは思うけれど、大変だろうなあとは思った。 あまりうまくなくても、丁寧に書かれた文字はないがしろにしてはいけない気がして、しっかり読もうという気持になる。 自分のためのメモはぐちゃぐちゃな字であってもいい。丁寧に書くことが、相手に伝えたいと思う気持の表現になるのだろう。
マイクを通した声と、通さない肉声。 マイクを通すと、届くように、という気持と、届いているかな、という不安が、あいまいになってしまうのかも知れない。聞く方も、聞き取ろうとする気持に違いが出るのかも知れない。
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某・県西部のショッピングセンターへ。ひとりで行ったのは初めて。 先日りー氏が買ってきていながら食べ損ねていたチーズケーキ(とある私の事情でお使い物に流用されたため)を買う。スティック状になっているものを10本。プレーンとキャラメル味を半々ずつ。 スティック状のケーキって最近よく見かける。はやっているのか。
書店を徘徊していたら楽譜のコーナーがあったので何気なく見る。今はピアノからも遠ざかっているのでまったくご無沙汰な場所であるが、その書店はたいへんに充実していた。 懐かしい全音の、縹色した楽譜も、かなりいろいろな種類のものが出ていた。私が買いに行ったりしていた頃はひと昔前のことだから、当然と言えば当然だ。 中にニーノ・ロータの作品があった。えっ、と思ったが、イタリアの武満徹みたいなものかと思えば不思議ではないか。一柳慧や高橋悠治のピアノ譜だって全音ピアノピースになっている。 久しぶりに楽譜を見たら弾きたくなったけれど、今の家にはピアノがない。もう指は廻らないから、簡単な楽譜であっても初見では弾けない。
水分をたくさん取った。 暖かい、というより暑かったから。
2003年04月28日(月)
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