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■ 春祭り
実家のほうでは今日が春祭りである。 お祭りはしないけど(=人を呼ばない、獅子を呼ばない)、お赤飯を炊いたから好きなだけ持って行っていいよ、と母から電話があったので、実家に取りに行った。
なんかしょっちゅう実家に行ってるな(しかも両親の留守中ばっかり)。のいが行ってから実家に行く回数が飛躍的に増加している。
のいがおなかをみせてごろんごろんしていたので、お、これはへそ見(勝手に名詞化)のチャンス、と思い、腹をまさぐっていたら、奴はケンカをしかけられていると思ったらしく、キックの応酬である。私の手を噛みながらしかも時々なめているのがよくわからない(竹中直人の「笑いながら怒る人」みたい)。 想像以上におなかの毛がふさふさしていたので、これはへそを発見するのも難しくないかもしれないと思ったが、キックがひどいのでやめた。でもチチ1個は確認した。
とかやっているうちに、お囃子の音が聞こえてきた。お獅子がまわってきたのだ。うちの向かいのJAでお獅子を呼ぶらしい。2階の元・自室に上がって見物することにした。 のいにも見せてやろうと思うのだけれど、なぜかついてこない。いつもなら我先に2階へ上がってくるのに、ちょっと上ってすぐ下りていってしまった。のいー、お獅子だよー、と言うのだけれど、聞いたことのないピーヒャラが不審なのか。あるいは遊びが途中で終わったのが不満なのか。視線を感じて振り向くと、階段の、あと1、2段で2階という場所からまっすぐにこちらを見ている。薄暗い中に上半身だけが見える。気にはしているらしい。
お獅子は地元の青年団の皆さんが担当していた。ノリとしてはヤンキー入ってるというか、実際、元ヤンな方の顔も見える(今も十分ヤンキーテイスト)。 お獅子一団には同級生の顔も見えて、口上など述べていた。立派なものだ。 男性は地縁つながりのまま年を重ねていくことが可能だ。途中でとぎれる時間があっても、いつかまた戻る。私の父もそうだ。そうならざるを得ないのが田舎の長男というべきか(りー氏はちょっと違うみたいだけど)。地縁が嫌な人ももちろんあるだろう。でもそういったつながりの中で学校生活にはない役割を果たし、存在感を発揮していく人もいる。 私はけっこうドメスティック好きなので(祭り好きというか珍しいもの好きというかフィールドワークみたいなものかも)、本当は獅子舞の笛を吹いたり、獅子を舞ってみたりしてみたい気もするのだが、そんなことをやっている女性はいない。伝統的な田舎生活で表だった女の居場所はないんだな(舞台裏仕事はありまくり)。
お獅子が終わったので下りていくと、のいの姿が見あたらなくて、しばらく探してしまった。最近、ある種のドアを開けられるようになったので、戸締まりにもいっそう注意を払わなくてはならなくなっている。 のいー、のいー、と呼ぶと、外から熊猫が返事をした。 結局、物置部屋のタンスの上にいた。わずかな引き戸の隙間から入りこんだらしい。
2003年04月17日(木)
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