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■ 雑誌より
▼『猫の手帖』2003年5月号。 定期購読分。 心なしか、この雑誌を渡される時、係の人の顔が他の雑誌の時よりにこにこしている気がする。気のせいだろうけど。 ▼『広告批評』2003年4月号 特集「女の力」。 涼しげな表紙が印象的だったので手にとってみた。購入の決め手は巻頭の橋本治の連載「ああでもなくこうでもなく」と、特集記事の一「広告界のガールズブラボー」。
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橋本治はまたちょっと読みたい気持になっている。何しろ著書の多い人だから、にわかに全部フォローしようとするとちょっと追いつかない。
日本語で話すべき内容を持っていない人が、外国語で豊かな会話が出来るとは思わない。語彙が豊富であることと話題が豊富であることは別だ。 語彙がわからないことと、文章の論旨や背景ががわからないことも別だ。というより、文章はたぶんわからないのが当たり前なのであって、外国語や文語文の場合はわかりにくさが自明なだけだ(日本語の文法研究も、外国語である中国古典や、すでに古語となった言葉で記された古典とのとの距離感から発達してきた)。というわけで、現代の文章だってわからんもんはわからんのだ。
というか、ちょっとさらっただけで「わかった」とはとても怖くて言えない。
だからこそ、わかるように書かなくてはならないし、わかるように書くことは難しい。
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そしてもうひとつの、ある種80年代へのオマージュのようなインタビュー記事。>「広告界のガールズブラボー」。 「少女雑貨専門エクボ堂」(♪途中にしてね♪byチロリン)とか、島崎夏美ちゃん(知り合いでもないのにちゃん付け)とか、ものすごーく懐かしい。富山では平日(何曜日だったか忘れたが)の夕方、BBT(当時はまだ富山テレビ)でやっていた。 ガールズブラボー、と言えば、りー氏は岡崎京子が好きで、単行本などは全冊持っているんじゃないかという気がするが(そしてつい数日前も最近発売された2冊を購入していたが)、私はファンというわけではない。ただ、読んでいると「あーわかるわかるー」とは思う。それはファンとかいうのとはちょっと違う心性だ。 「ファン」っていうのは、私にとっては、たとえば「私は岩館真理子のファンです」とかいうような時に使う言葉じゃないかと思っている。
岡崎京子のファンって*文化系*男子が多いような。
「それ取ってよ」とりー氏。 それ、とは、『猫の手帖』。『広告批評』はめくりもしないそぶりなのに。 やっぱり、おっさん、猫が好きだな。
2003年04月16日(水)
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