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みんみん



 E先生のこと

出かける予定が、怠惰きわまりなしの日。

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哲学から数学に転向したE藤先生(仮)についての補足。
高校生の時に入っていた美術部では、毎年夏に研修旅行があった。
年によって海と山と交互に行くのだけど、E藤先生は山の年に一緒に付いて来て下さった。私が高2の年である(ちなみに高1の時は海で、その時はりー氏もいた)。
先生は絵を描くわけではなかったけれど、宿で休むでもなく、私たちと一緒に山のスケッチポイントまで車で送ってもらって、あちこちを散策されているようだった。山がお好きだったのかも知れない。

富山平野は海に向かって開けていて、背後には北アルプスが屏風のように聳え立つ。
私は富山市の南隣の町に住んでいたから(高校へ行くにもいったんJRで北へ向い、それから再び富山市の南の方にある高校まで電車に乗った)いつも背中に北アルプスがあるような気がしていた。
研修旅行でやってきたのは、富山から見るとちょうど北アルプスの反対側にあたる白馬(はくば、というのは最近の呼び方で、しろうま、というのが旧くからの呼び名なのだ、と地学のK川先生は言っていた)という町で、私たちは北アルプスを正面に見ながら、真夏の、そのみどりの山を描いた。
イーゼルを立てて山を見た。いつも背にして振り向いて見ている山々を、今日は正面に据えて(しかも反対から)見ているんだな、とふと思った。そしたらちょっと不思議な気がして、新鮮な気もして、その発見が嬉しかったので、すぐ隣りで描いていた同級生にそのことを伝えようとした。しかしどうも反応はいまひとつで−−彼女はウォークマン(当時MDプレイヤーはない)で音楽を聴いていたからということもあるのだが多分それだけではない−−自分の過剰な喜びが子供じみているような気がしてしまった。
でも少し向こうではE藤先生が(うんうん、言っていることはわかるよ)というように頷きながらニコニコしていらっしゃったのだ。

実は哲学科から転向、というのは、卒業後ずっと経ってから上の学年の人から聞いた話(私たちの学年は教わっていないから、たぶん同級生でもE藤先生のことを知っている人はあまりいないだろう)だ。しかし私には何かとても似つかわしい履歴のように思えた。
授業がわかりやすい、という意味での「よい先生」というのはいらしたし、大変お世話にもなったと思う。
E藤先生に数学を教わったことのあるりー氏によると、授業そのものについては「よく覚えていない」(またかい!)とのことだ。授業テクニックという点についていえばインパクトに欠ける人だったのかも知れない。というようなことについてはSちゃんも同意見のようだから、覚えていない云々というりー氏の言葉も、まあ信用できなくもないか。サンプル数2。
授業テクニック(と呼べるようなもの)はとても大事だ(否定しないし恩恵に預かりたい)。けれど、それだけじゃない気がする(もちろん、テクニックとそれ以外の要素は並立しうるとも思うのだけれど)。
見せかけの/押しつけがましい情熱をふりかざす人でもなさそうで、でも体温は決して低いわけではなさそうで。
縁側で一緒にお茶を飲みたいぞ。
でも、お話ししたことなんて、本当は殆どないのだ。
# 今はTろう学校の教頭先生をされているらしい。>調査による(笑)

2003年01月10日(金)
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