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■ 雑感
昼、電車で金沢へ。
ちょっとはっきり言いすぎたかな。もちろん、スタイルや考え方の違いもあるだろうけれど。 まあそれはそれでよいのだろう(と、思うことにする)。
ときどき私は、りー氏や母に、「会話のはじまりが唐突すぎる(前後の文脈を補わなくては、一瞬にはわからないような話の始め方をする時がある)」と言われることがある。今日は、「唐突な話を受ける側の人」(りー氏や母や)の気持がわかるような出来事があった。 あ、これが唐突な話し方か、なるほどー、返事をするにはこちらでも言葉を補わなくては、誤解が発生しそうだな、と思った。そんな話し方をした人は年上なんだけれど、あなたの意図している事柄が、必ずしも皆の共通理解であり前提知識であるわけではないでしょうし、それに何より、あなたの話だけをしているわけにはいかないのだし、というニュアンスを含めつつ、答えてみた。 その人はとても丁寧な言葉を使った。私もなるべく丁寧な言葉を使いつつ(頭の中でパズルをしているみたいだったけど)、たぶん、生意気なことを言った。 慇懃さと傲慢は隣り合わせなのだろうかと考えた。 慇懃さが確信犯的でないなら、ちょっと損なときもあるのかも知れない。
ときどき、合わせ目に立つことがある。 本当はたぶん、みな、自分しか信用していないのかも知れないが、それでも小さなサークルを作る傾向にあるようだ。私はそのどこに属すのかと言えば、たまたま立場上、どこにでも触れているとも言えるし、しかしどこにも属していなかったりもする。 小さなサークルはそれぞれにいろいろな利害を共有し、私もその恩恵に少しは預かり、時々、その利害に反するような人たちの噂を耳にしたりもする。サークル同士は重なりながらも、必ずしも同じ流れに合しないこともある(あからさまに反発はしないにせよ、ゆるやかに反れているというか)。 私はだんだん耳年増になっていって、合わせ目に立って、さて、どうしたものか、と思う。
自分の考えとは違うことを言わなくてはならない場合もある、と、ある文脈でりー氏は言った。 それなら私は、できるだけ、自分が思うことだけを言おう。自分で判断しよう(これは案外難しいものだ。知らないうちにいろいろな影響を受けているものだ)。 言いたくないときは、無理して違うことを言ったりしないで、黙っていよう。 それくらいはしてもいいだろう。
弁が立つ、それがなんだというのか/黙っていること、のなにが偉いのか。
夜の特急電車でずっと話して帰った。 こういう時、身体は辛くても、頭は冴える。
2003年01月11日(土)
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