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みんみん



 八重山行き(3日目;最終日)/メリー・クリスマス

# 新たに書いた分をそのまま先頭に付け足しました。内容の重複もそのままにしてあります。

今朝も早々と起床。
未だ外は暗い。ベッドの上に寝ころんでだらだらと絵はがきを書いたりする。一段落してりー母と話す。
りー氏が起き出してNHKのニュースをつけた。画面の上の方に天気予報が出ている。沖縄は広い。同じ県とはいえ数百kmは離れていたりするから、それぞれの地域に対応すべく、いくつもの予報が出ている。晴れのマークあり、曇りのマークあり、雨のマークあり・・・とても同じ県だとは思えない。りー氏(寝起き)のベッドを挟んで構わず話し続けるりー母と私。
7時頃になってようやく外は、明けようとはしているのだな、とわかる程度になってきた。旅先の朝が好きだから(と言いつつ、夕暮れも好きなのだが)、出来れば朝も早く来るとよいが、こればかりはしようがない。いつか日の出の早い土地に旅行してみたいと思う。それも出来れば島。旅の間中にありながら、次の旅のことを考えている。

石垣島情報をいただいたKさん夫妻に、シークァーサーなどお送りしたいと思っていたのだけれど、今年の分は既に出荷終了とのこと。ジュースならたくさん売っている。ジュースでなくて果実をと思っていたので、あきらめる。

午前中は泡盛工場の見学に行き、展望台から島内を一望し、寒緋桜を見て、公設市場で買物をした。
少しの自由時間を与えられてりー氏と私はまず書店を探した(3日目にして初めて本屋に入った。個人旅行ではまず考えられない事態)。郷土出版物コーナーをチェック。次に、市場の中のいろいろなお店で、ジーマーミー豆腐、味噌ほか各種調味料、琉球菓子などを買う。
商店にてりー氏は当地で法事の折にお供えする「お金」(黄色い紙で出来ている。ご先祖様があの世でも困らないように)なども購入。昔、文化人類学の授業で、死者にお金をお供えする風習について教わった。あれは台湾だったか中国だったか。何かしらの共通点があるのかもしれない(お金は現在りー氏の「たからものコーナー(仮)」にお供えしてあるので、ご希望の方はお目にかけます)。
バスで空港近くのお土産品店へ。
これがなんというか昭和にタイムスリップしたかのような雰囲気のお店で、売っている品物もサンゴで作った花とか貝殻で作った風鈴(?)とか琉球舞踊の恰好をした女性の人形とか、ああ、○○ちゃんち(ここには具体的な固有名詞が入る)にあったのはこれだったのか、と妙に腑に落ちる(だからといって何か爽快な気分になったわけでもないが)。こういうお店って採算は取れているのだろうか、と、思っていたが、なるほど、ツアーの客はこういうところに自動的に入れられて、食事をしたり(必然的に設けられた)待ち時間に買い物をしたりするのかと知る。
りー母が殆どお土産を買っていないのに対し、職場の人に、ともりもり買い物する私の両親(特に母)。
えー、ちんすこう買うにしても、空港に行ったら他にもっとありそうな気がするんだけど・・・と言ったら、「じゃあ何があるの、そんなこと言わんが!(=そんなこと言わないの)」と言われる。その後私がさらに悪態をついたせいでしばらく母の機嫌が悪くなる。怒っているとわかって娘(三十路)はおどおどするけれどもうひとりの母と話したりなどして敢えてフツーに振る舞う。実に母娘的なケンカ(にもなっていない)というかやりとり。

昼食の準備が出来ました、と呼ばれて、二階へ上がる。
お土産物屋さんこそ(どうするよ・・・)というような空間だったが、昼食は美味しかった。豚肉の入ったジューシー(炊き込みご飯)に八重山そばにアーサ汁にその他いろいろ。とても全部食べきれる量ではなかったが、ちょっとずついろいろ食べた。
出しそびれたハガキを投函して石垣空港へ。

空港の売店もなかなかに誘惑が多かった。
練り製品のパッケージなど、とても素朴でよかったが、そんなにたくさんは食べられない。のいとお留守番の祖母のためにお菓子を買う。
添乗員さんとはここでお別れ。

那覇空港でも手荷物に持ち込める程度の買い物をして(ここでも郷土出版物を購入のりー氏。「行きにチェック済み」との旨)、少し時間があったのでブルーシールのソフトクリーム(むらさきいも)を買う。ホテルでは毎晩食後にブルーシールアイスクリームを食べていた(1日目はむらさきいも、と2日目はさとうきび)。ソフトクリームは初めて。
ひと口、ふた口食べて両親の元に行き、このたびはどうもありがとうございました、これはほんのお礼の気持です、と、父(ソフトクリームを愛する。健啖家)に食べかけのソフトクリームを渡す。

そして小松まで。だんだん天気が悪くなって、厚い雲の中をランディング。
来た道をバスに乗って帰る。

まとめ。物は見てみるものだ。年に1度は自発的に行きたいところに行こう(仕事とかそういうのじゃなくて)。りー母といろいろ話すことができて楽しかった(「姑」と話しているというよりも、かつてお世話になった先生と話している感じ。事実そうなんだけど)。添乗員さんつきの旅行もお付き合いではいいが自由度はひどく低い。リゾート地はリフレッシュにはいい。今度こそ海に潜るぞ。旅はいいな。など。

(話が前後するが、帰宅した母は「のいが小さくかわいらしくみえるねえ」と言った。野良さんたちはそれはそれはたくましかったので。)

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19時過ぎ、実家着。
ばあちゃんただいま。のいさんただいま。
にゅうめん、新巻鮭、その他ありあわせで食事。
本当はりー母は動物が苦手なのだが(でものいのことは褒めてくれた)、のいの方は、ほとんど初対面に近いにも関わらず、すりすりと近寄って行く。
父のリュック(中身を空けてもらった)の中に入って遊ぶ。

帰るなりさっそく猫の話だな。
しかし旅行をしていて思ったのは、のいは本当に家族の一員であるということだ。
どこかで猫を見かけたら、
「のいと同じくらいの大きさかな」
「これはのいに似とるな」
# たまたまホテルにいた2匹の猫のうちの
  1匹について。単なる比較の問題。

ばあちゃんにおみやげを渡す(ピーナッツの入った琉球菓子と、かりんとう)。

りー母を送り、帰宅。
新聞×2×3日分+郵便物のいろいろをまず整理。
(普通は、留守のあいだの新聞は止めるのだろうけれど、りー氏は留守中の分も希望するので、後でまとめて配達してもらうのと結果的には同じだ。)
メールチェック。
Nさんからのお便り。

先日頼んだ富山の地図が到着。
昔の絵はがき類(サンタさんが頼んだらしい)も、北の国よりりー氏に届けられる。
いいなーあんたのところにはサンタさんが来てー。
私のところには来んよ?
「サンタさんは年賀状を作って持ってきてくれたの」
これはまた実用的なプレゼントだ(しかも私の手元には残らんぞ)。

2002年12月24日(火)
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