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HELEN&HEAVEN
Helen
MAIL

2004年01月31日(土)
馬ひさびさ…

実は今週前半あたりから、お尻山がイタイ・・・~(>_<。)ゝ 。

車や電車で遠出して、延々と座席に座ってるとお尻が痛くなるでしょう?
あんな感じで痛とうてたまらん。
誰でもイイから撫でて下さい・さすってください。
恥も外聞もなくお頼みしたくなる。(←実行には移してません。)

仕事中も誰もいないと椅子をはずして、カーペットの床に膝をついてパソコンを使ってみたが打ちにくい!
( ̄s ̄; チェッ

この冬一番の寒さが続いたから、たぶん、冷えたんでしょう。
ここ当分、忙しくてゆっくりお風呂に浸かる間もなく、シャワーでカラスの行水だったのがいけなかったのかな…。
それにしても、お腹とお尻…服の上から貼るカイロできっちり冷え対策をしていたのに…。(´・ェ・`) しょぼん

自分で触ってみたけど、柔らかいままの プリケツ♪なのに、今日、ひさびさに馬注射に行ってみると、「しっかりしこってます!」と言われてしまいました。(;´д`)トホホ

肩も肩で、ぜんぜん自覚症状がなかったんだけど、「しっかり立ってます!」だって!

余談だけれど宇野千代似先生は、筋肉ががちがちになっている様子を「筋肉が立っている。」と表現なさいます。

肩も首もだ!どうりで歯がうずくとおもっていたゼ。

パイプ椅子に座ってブラジャーの肩ひもをずらすと、肩と首の注射の準備オッケー。
;y=ー( ゚д゚)ヨーイ!! バスバスバス…!両肩と首筋に情け容赦なく突き刺されていく注射針…。
パイプ椅子に揃えた両足が脚気のテストみたいに、びょ〜ん・びょ〜んとあまりの痛さに思わず知らず持ち上がる。

さて、その次は既に先の患者により血だらけのベッドに横たわり…間もなく左の尻山に ぶすりっ!右の尻山にもぶすりっ!そのまま太ももの脇の稜線にそって膝あたりまで続けてぶすりっ!ぶすりっ!…‥ ひさびさにもだえる痛さだ。。

宇野千代似先生は「1回では(尻山の痛みは)取れないかもしれないわね。」と仰った。

…ということは、来週も刺されに行かねばならないのか?
暗澹たる気持ちで愕然とする。_| ̄|○

それでもトンガった痛さは潮のように引いていった。

来週もしぶしぶ刺されに行ってみよ〜っと…。




2004年01月20日(火)
有為転変は世の習い

敷地内に大家さんの家と一棟のアパートと小さな一軒家に混在する内の、小さな一軒家に住んでいたのは、阪神大震災の頃だからもう9年も前だ。

実は、その前にも一軒家に住んでいたことがある。
もっともその時は、三棟続きで、うち入り口付近の一軒は細長くその他二軒とは垂直に建っていて平屋、うち一軒は真ん中で後から2階部分を一部屋分だけ増設したため、なんちゃって二階建て。
そして一番端奥が私が借りていた2部屋のみの平屋であった。

過去に住んだアパートやマンションよりも群を抜いて安かったその部屋は、雨漏りはするし湿っぽく薄暗い部屋だった。

私の借家とは対極の垂直に建っていた入り口付近の家には、祖父母と若夫婦が住んでいた。
若夫婦には、私が引っ越した頃は、子供は2人だったが立て続けにあと2人産んだ。

4人全員女の子。

嫁は「麻酔が効かない体質で、中絶ができない。」と言っていた。

その前に、ヒニンしろ!

実際に「家族計画はしっかり立てた方が良いと思うよ。」と言ったこともある。旦那さんは、薄給らしかったし、舅姑も働いている風情はなかったから。。

話をしていて思ったことは、これはひょっとしてnymphomaniac(色情狂)かもしれぬということだ。
人生の興味が例えば「読書すること」「旅行すること」「美味しいモノを食べること」「洋服を自作すること」等の趣味には顕れず、他に趣味や興味が持てないから仕方なく本能のおもむくままに性生活を送っているという印象を受けた。
子供がとっても好き♪
野球チームを作りたい♪
純粋な目的があって産むのならまだしも、彼女の場合、性欲の果てといった感のいなめない生み方はあまりかしこくないように思えた。

とりたてて「アレが無いと夜も明けぬ。」とか…
      「アレをしないとイライラする。」とか…
      「アレがないと生きていけない。」とか…

言われたことは、ない。
けれど…私の中のシックスセンスが奇妙な警報を鳴らしていたんだね。

…私がその地域から引っ越して数年。
嫁は、失踪した。

4人目の子供が幼稚園児くらいになったとき、嫁は通りを挟んで向かいのラーメン屋に勤めに出た。
しばらくのち、ラーメン屋の隣のパチンコ屋に客として来ていた男と駆け落ちしたらしい…。
現在、嫁はどこでどうしているのか家族とも音信不通なので噂は入ってこない。

続けて5人でも6人でも子供を産みそうな勢いだったのだけれどなぁ。
今頃は駆け落ち相手と暮らしているのか、捨てられているのか…それとも自分から捨てたか。
また別で子供を続けて産んでいるやもしれぬ。

どこでどうしているのかな?

時々、ふっと思い出す。




2004年01月16日(金)
人生は廻る輪のように

久しぶりにエリザベス・キュープラー・ロスの本を読んだ。『人生は廻る輪のように』。これは彼女の自叙伝です。

彼女の他書の(臨死体験を綴った)『死ぬ瞬間』は、数年前に読んで衝撃を受けたが内容はあまり憶えていない。

続編や続々編が出て幾冊か続けて読んだけれど、二番煎じのような感は否めなく、だんだん感銘は薄れていった。

お得意の古本屋さんにて安価でゲットしたのが、今回読むきっかけ。

最初の方の章で彼女は言っている。
★ わたしは経験を通じて人生に偶然などはないということを学んだ。
  起こったことは起こるべくして起こったのだ。

☆ だれだって生きていれば辛苦を経験する。つらい経験をすればするほど、人はそこから学び成長するのだ。

★ 逆境だけが人を強くする。

☆ 教訓を学んだとき、苦痛は消え失せる。

内容は割愛するけれど、実体験があるだけに迫ってくる彼女の言葉だ。

この頃とくに感じることは、上記にもあるように『この世に偶然などというものは無いのでは?』ということ。

昨年の11月に病室から旅立った彼は「予知能力は無いとは思うけれど、昔からこの病院に居てる夢は良く見た。」と最後の方に言っていた。

私も「この人苦手かも?」と思える相手は最初から最後まで苦手な印象を受ける。当たり前といや当たり前だが。(笑)それは誰しも持つ感覚であろうが、私の場合は“以前に憎しみあった経験があるのかも”という推察が(勝手に)入るぐらい胸の奥に重い嫌な澱みたいなモノを感じる。

亡くなった彼みたいなデジャブは、たまにある。
そんな時は『懐かしさ』『苦痛』『しゅう恥』『やすらぎ』…etc入り交じった複雑な感情が錯綜して精神的に身もだえする。お尻から両脇までにかけて、ぞわぞわする感覚がある。

話が逸れてきた。

さてエリザベス・キュープラー・ロスは昔から【こうありたい!】意識の強い人だったようで、かなり強く思い浮かべるクセがあったそうだ。

私には今のところ、時々のデジャブ以外は将来を予見する力はない。
願わくば、エリザベス・キュープラー・ロスのように力強い人生を思い浮かべて、歩んでみたいものだ。











2004年01月14日(水)
枝を見て木を見ず

ホームドクターほどではないが、いつもいく医者は前の表日記にも書いたが頼めばだいたいのお薬を処方してくれる『あやしあやしの○埼医院』だ。(笑)

眠れない時・お腹を壊した時・頭痛が激しい時…etcそれに見合ったお薬を処方してくれる。
短気でせっかちな先生は、だいたいのお薬名をあげると、ほぼ、それをくれる。もっとも欲しいお薬をゲットするにはそれなりの処世術がいるんだ。(笑)それは先生の言うことに逆らってはイケないこと。長年、先生とつきあっているうちに、癖も飲み込めて来、話しを気取られることなく方向転換する方法を身につけた。(きししし…)
黙って先生のうんちくを聞いている限り、機嫌が損なわれることはない。黙ってうんちくを聞いているのは、逆らうとうるさいからだ。
ここの先生は、頑固でへんこつで冗談が通じないから困る。
おべんちゃらは言わないのは返ってサッパリしているが、意固地に自分の学説に固執しているので話は平行線になる。

この医院は、最初は母が口コミで見つけてきた。
『K大医学部出身で大学で研究しているだけでは、臨床(主に花粉症と癌)が採れないために開業した。』
毎年、花粉症に悩まされていた我々母子は飛びついた。(笑)

花粉症の治療は、憶えている限りではバクテリヤと兎の睾丸から抽出したものと、あと1種のお薬を三種混合したものを皮下注射する。
すると皮膚にアレルギー反応が出て(だいたいたこ焼き大)その反応が治まるまでに次の注射をうたないと治療はご破算になる(だいたい1〜3日おき)。

皮膚と肉の間をメリメリ裂いて入っていく注射液は、非常に痛く、いつも半泣きになる。
多い時には1日おきに通った。
それを、『ほぼ1年間繰り返すと治る。』と聞いたのに、治らなかった。(爆)
一緒の時期に通っていたタコ社長から、あとでことある毎に文句を言われている。(しくしく)
母も同じく花粉症治療に通っていたのだが、「先生はヘンコツで直に怒るし、注射も効かないし行きたくない。」と、とうにリタイヤした。

私もそんな医院に、ちょうど忙しい時期を境にピッタリ行かなくなった。

ただ、年に1,2度「アレルギー反応の実験をしたいので血液を下さい。」と先生から電話があった、
私は外にも『卵アレルギー(主に白身)』の反応も検出されている。

しかし、最後のアレルギー反応の実験は陰性で、結果的に「卵アレルギーは治った。」と先生は言っていた。
ほんとうかな?(笑)

しかし杉花粉アレルギーはまだ完治していない。
季節になると、よその耳鼻科へ行き、知人に教えて貰った非ピリン系の比較的おだやかなアレルギーの薬を飲んで、やり過ごす。
だが年によっては花粉の飛散量が多く、薬への抗体もできてしまっては効き目がないので他の薬を試してみたりするんです。

さて、昨年年末、ちょっと顔にアレルギーが出てかゆかった。
もっともアレルギーなのか、何かにかぶれたのか定かではない。

ちょうど、年の最後に医者へ行きたかったので、ついでに塗り薬を貰おうと、尋ねてみた。

かねてから、私が花粉症の治療を中途でやめたことを快く思ってなかった先生は、「だから、花粉症の治療を続けなさいと言ったんです!」ちょっと怒り気味だ。
ヒステリー症候群がみられるときには“特に!”逆らってはいけない。(笑)

先生がなおも文句を言おうと言葉をぶつぶつ考えているスキに(先生の思考回路は超・のろい)たたみかけて「はい、来年からヒマができたら通おうと思ってます。」(←おおウソ)
本心は「なんでもエエから、塗り薬を出しやがれ!」といったところか(爆)もちろん口が裂けても言わないけどね。

花粉症(アレルギー)続行治療の意志をみせたとたんに、先生は機嫌が良くなった。(爆)
私的にはヘンに世に長けたお世辞の上手い医者は信用ならぬので、喜怒哀楽がハッキリしているこの先生は可愛くてお気に入り。(*'‐'*) ウフフ♪

塗り薬はステロイドが少量入っているので、長期の塗布はできない。
懸念するまでもなく、2日で顔のかぶれは治った。

さて、今度会う時には、巧く説明できるだろうか…。

医師の尊厳を傷つけずに「先生の治療は枝を見て木をみていません。」ということを上手く伝えたい。

私のアレルギーは、自家発電だ。
通り一遍の化学治療では治らない。

つまり、アレルギーの発生原因は自分自身で、自然治癒力も又持っている。

主にストレスにより、勝手に(と、いうと語弊があるが)アレルギーを起こし、そして意識の変化と共に治っていく。

そう、解決要因は自分で ー 自分の中に ー 持っている。

確かに化学治療で一時期は治まるだろう、だが、私自身がストレスを跳ね返すような強い精神力を培っていかなければ、もとの黙阿弥になるのは目に見えている。
それは、誰のせいでもないし、自分自身で解決していかなければイケないことだ。

そんなことを化学でガチガチに固まった石頭に、上手に伝えられたら良いなと思っている。(笑)



2004年01月06日(火)
おかゆ三昧

正月は、美味しいお酒がなんで集まってくるんだろう。
正月だから集まってくるのか…。

普段とは違うご馳走や、高級酒(普段よりはちょっとばかし)を飲食しているうちに、胃腸が悲鳴をあげだした。正月あけ4日め…。

伊藤のよだれでずくずくになったスリッパをさけて、素足でフロリーングをペタペタ歩くから、余計とお腹が冷えてしまった。

太○漢方胃腸薬も、ガ○ター10も効かない。やっぶぁ〜い。

お腹が全然空かないから、食べずにコタツで寝ていた。
だんだん快方に向かうと、胃がギャースカ鳴くようになってきた。
私のお腹はなんてうるさいんだろう。

おそるおそるおかゆやラーメンを流し込んでみる。
ちょっと胃がぴりりとするんだな。

もっとも食後スグっていうか食事中にぴりりとするのは、大腸に問題があるらしい。
どっちでもイイけど、早く治っておくれ、痛いのはかなわん。

おかゆマッスィーンが大活躍しているが、保温とかタイマーが利かないことがわかった。まぁいいか、¥2,400だし。

ゆで卵マッスィーンは夕べ、2つゆでてみたうちの1つが半割れで黄身がうっすら覗いていた。(だめじゃん)それでも勘弁したろう¥500だし。

今日から初出社だが、午前中はお腹がすかなかったので、朝ご飯を食べずにすんだ。
ぱんてーのゴムが痛くなって来た頃なので、早く元に戻ってほしい。(爆)



朝、カラスが数羽、会社の窓の外で、ぎゃーぎゃーやかましかった。

こんな日は雪が降ったりする。

今日は、午後から時雨れてきた。今、快晴。

正月あけの初出社は、こんなふうにユルユル過ぎて行こうとしている。

それなりに沢山仕事をしたが、どれもこれもメインではない。
急ぎではない。

それでもあと1時間のうちにカタをつけてアフターファイブに考え事をするためのイメージだけ作っておこう。
外郭だけ作るとあとは早いから。。


なんだか、小学生の作文みたいになって、ごめんなさい。



2004年01月05日(月)
年の初めに…

年の初めに『思うこと』は、年数を重ねるごとに使い古された感がして、初々しさがなくなって来ました。

『新年の抱負』を元気溌剌と語っていた頃に戻りたい。(笑)

それでも、色気だけは細々と沸騰していて、いつでも「ドカン!」と頂点に達する準備はできているつもりですよ。
ぁあ、この場合の色気はでも、そっちの色気ではござりません。

何かを創作して何かを発表したい色気です。

…って、また、奇妙な皿や飾り鏡を見せられるのか?とパソコンの前でうんざりしたあなたは、ご心配召されるな、それは「たまに」の話です。(こらこら

ちゃんと年末年始の休みの間に、買ってきました古本屋で、
「言葉四十八手」とか「文章の書き方」とか「小論文のポイント」とか…。

それから年末にダウンロードした「文法」学習のソフトは、意外と難しい…。改めて無茶苦茶な文章を書いているのだな…と実感しました。
お恥ずかしい限りでございます。

今年こそは、文章が上達するようにがんばろう。
いや、今年もがんばろう。

老子様が仰るとおり人にいじわるされても、いじわるしかえさないで川のほとりで座って待っていよう。

私は今まで、あまりにも自分の尺度で相手を考えすぎました。
例えば身内が亡くなって1月も経たないうちに旅に出たっていいじゃないか。
いくら自分にできない所作であっても、それは、その人の人生だから、こちらに批評する権利は無い。
理解不能なのは、そっとしておくしかない。
…というのが、昨年、学んだことです。

日本人の美徳に『謙譲』というものがありますが、あまりに謙譲されすぎてもわかりませんが、謙譲がみられないのも、興ざめですな。
やっぱり大和撫子なのですから、
単刀直入に「ジュースください。」より
「もしおよろしければ、ジュースをいただけませんか?」なんて控えめに言いたい。(笑)

そこに言葉の「間合い」とか「色気」とか「奥行き」などが生まれると思うのですが、いかがでしょうか?