初日 最新 目次 MAIL


HELEN&HEAVEN
Helen
MAIL

2004年02月26日(木)
EIJI画伯 Ⅰ

私は4人兄弟の3番目…。
紅一点と言えば聞こえはいいけれど、なんせ野郎に囲まれた女郎1人なので性格は荒けないことこのうえない。
普段は、猫を被っているが、ときどき猫がいやがって逃げていく。(なんちゃって)

我がサイトにギャラリー【e_art】として、油絵を始め数々の絵を提供してくれている末っ子の弟は、今は亡き父の希望では女の子のハズだった。

だが期待を裏切ってよぶんなものを(笑)つけて生まれてきてしまった。
両親のがっかりしたこと…。

…ところが、彼は残りカスどころか両親の顔の良いパーツばかり受け継いだんだな。

これがまた、ご近所さまが「とんびが鷹を生んだ!」と、
わざわざ見に来るくらいプリテーな赤ちゃんだったんだ。
(※ あくまでも【だった】と過去形です。↑爆)

くるんくるんの天然パーマにこぼれそうに大きくぱっちり二重の瞳が天使のようで、いくら眺めててもあきなかった。

…と同時に、末っ子の座を奪われた私は激しくジェラシーもしたものだ。

共働きの両親の元、いつも弟のおもりをおおせつかっていた私はわずらわしかったのはあるけれど、よく野原や収穫後の田畑に連れて行って遊ばせた。

弟が2,3歳の頃のある夕方、浮浪者風のおやじが寄ってきて、弟と手をつなぎ、しきりに弟の美貌を褒めだした。
「可愛いなぁ~!可愛いナー♪」どうも、弟を欲しそうだった。

このオヤジ…(;¬д¬) アヤシイ…

隙を見せると疾風のように弟を連れ去りそうな雰囲気だった。

事実、オヤジは私の視線を弟から逸らそうと、

「おー、きれいな夕焼けだよぉ~?」 

「ほら、あっちにめずらしいものがあるよ!」

「あれ、なんだろう?すっごいのがあるよ!」

「見てごらん!見て!!見て!!」と、しつこくしつこく私に強要する。

そんな初歩的な手にひっかかるものか、

ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ!バカチンガァ!!

私が、もの言わず、

( ──―───―・── _____ ─―──・─ )ギロ~~~! と、

にらみつけているだけなので、とうとうあきらめたらしい。

オヤジは弟の手をしぶしぶ離し、未練たらしげに去って行った。

あの当時の話しを弟にして、今、みかじめ料をもらわねば!!

しかし、弟は兄弟一の守銭奴…。

反対にお尻の毛までむしられぬやもしれぬ…。

この話しは続編にて。

( ゜口゜)さらばですじゃ~








2004年02月25日(水)
1トンの塩



最近、読み終えた文章の書き方の本に名文が抜粋されていたので忘れないうちに書き留めておく。

イタリア文学者の須賀敦子さんのエッセイ。

筆者はミラノにてイタリア人と結婚して姑と共に同居を始めた。

結婚して間もない頃、これといった深い考えもなく夫と知人のうわさをしていた筆者にむかって、姑がいきなりこんなことをいった。

「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、1トンの塩を一緒に舐めなければだめなのよ。」

とっさに喩えの意味がわからなくてきょとんとした筆者に、姑は、自分も若い頃、姑から聞いたのだといって、こう説明してくれた」と原文は続く。

<1トンの塩をいっしょに舐めるっていうのはね、うれしいことや、かなしいことを、いろいろといっしょに経験するという意味なのよ。塩なんてたくさん使うものではないから、1トンというのはたいへんな量でしょう。それを舐めつくすには、長い長い時間がかかる。まぁいってみれば、気が遠くなるほど長いことつきあっても、人間はなかなか理解しつくせないものだって、そんなことをいうのではないかしら>

このエッセイは読書のすすめにつながります。

『文学で古典といわれる作品を読んでいて、ふと、いまでもこの塩のはなしを思い出すことがある。この場合、相手は書物で、人間ではないのだから、「塩をいっしょに舐める」というのもおかしいのだけれど、すみからすみまで理解し尽くすことの難しさにおいてなら、本、とくに古典とのつきあいは、人間どうしの関係に似ているかもしれない。読むたびに、それまで気づかなかった、あたらしい面がそういった本にはかくされていて、ああこんなことが書いてあったのか、と新鮮な驚きに出会いつづける』

『長いことつきあっている人でも、なにかの拍子に、あっと思うようなことがあって衝撃をうけるように、古典には、目に見えない無数のヒダが隠されていて、読み返すたびに、それまで見えなかったヒダがふいに見えてくることがある。しかも、1トンの塩とおなじで、そのヒダは、相手を理解したいと思い続ける人間にだけ、ほんの少しずつ、開かれる。イタリアの作家カルヴィーノは、こんなふうに書いている。
“古典とは、その本についてあまりいろいろ人から聞いたので、すっかり知っているつもりになっていながら、いざ自分で読んでみると、これこそは、あたらしい。予想を上まわる、かつてだれも書いたことのない作品と思える、そんな書物のことだ。”』

Helenが思うには、古典を読み続けることは自身の経験と成長をはかる尺度になって面白いと思う。

10代の自分…
20代の自分…
30代…
40代…
50代…
60代…

三十にして立ったり、不惑に惑ったり、よたよたおろおろしながら、みな人生を過ごしていくんだろう…

そんな中でも、経験や身に付いた知識は、予想外の見識を自分にもたらしてくれる。

あまたの歴史書を読んで、古典を知った気になるなと評論家・小林秀雄もいさめていた。
知った気になっていることが実は一番知らないことなのかも知れない・・・・・ネ。



2004年02月22日(日)
古典に学び 歴史に学ぶ

昨日、中国古典の本を手に入れたのでご紹介しましょう。

 - 人須磨在事上 …人はすべからく事上に在って磨くべし  『伝習録』


伝習録は王陽明の言葉を記録した本です。

生活や仕事など毎日の実践を通して自分を磨きなさいという意味だそうです。
自分を磨く方法は、先達の英知の結晶の古典を読むことらしい。

だが、本を読み、人の話を聞くだけのことなら誰にでもできる。

なかなか生きた知恵が身に付かない。

学んだものをしっかりと身につけるためには…

それと平行して『事上』で、自分を鍛え、からだでおぼえることが必要なのだという。

実践を伴わない知識は、所詮 「 つ け 焼 刃 」 に過ぎない。

実践のなかで磨かれてこそ、知識も人間もほんものになりましょう。


…ということですが、これは言い得て妙ですね。

模倣はそれ自体、悪いことだとは断定できませんが、その人となりの人物像が浮かんでこないばかりか、何か浮いた印象を受けて、違和感があります。

わたしも好きな作家が数名いるんですが、真似しようにもできないですね。
逆立ちしたってできない。
それは、その作家の育った環境や性格や価値観、種々の思想や経験、それらが全く違うからです。
無理して真似たところで、逆に寒々しい印象を与えるだけでしょう。
滑稽なだけです。
人はどんなに真似しようにも、その人たりはえない。

真似ず、媚びず、へつらわず…
可能な限り熟考して、言葉を大切に、言葉をかみしめて歩んで行きたいですね、年相応に。




2004年02月18日(水)
覚醒


湯船に身体を沈め 闇に耳を澄ます

時おり窓を叩く驟雨

浴室は 静謐


指の隙間から したたる水滴が

思考のヒダに タッチする

注意深く探っても

ちぎれる
ちらばる
とぎれる

「あぁ、いけない。繋がないと…。」

あせる気持ちと裏腹に 心はどこか漂ってゆく


容れ物の内外は確実に変化しつつも

核心だけが ぼやぼや微睡んでいる

それでも…

今も
今より後も
  その後も 思索のヒダを綴れ織る


少しだけ
少しずつ



目を開ける









2004年02月16日(月)
占い

お友達のmokoさんから、占いの結果がメールで来るサイトを教えて貰った。
有料と無料があって、どちらも3日待たないといけないのだが、とりあえず無料の方を申し込んでみて、忘れていた頃に届いておもしろかった。

自分自身では自分のことを、いろんな意味で 『 ばかたん 』(笑)と、思っているので、
あたっているところとあたっていないところがあると思うが、
総体的にあたっているのかな?どうかな?
このメール鑑定の良いところは、占いっぱなしではなくて、
“何が欠けていて、何を補えば良いのか。”ということなどをレクチャアしてくれるところだと思う。


-----------------------------------------------------------
お待たせしました。鑑定結果が出ましたので、以下の通りご報告します。

非常に智恵が回り、責任感が強く、忍耐力も人並み以上のものが備わっています。
さらにどんな環境にも物怖じせず飛び込んで行ける度胸もあります。
開拓精神も旺盛で、古い考えに縛られることなく、未知の世界でもすんなりと馴染むことができます。
まさにオールマイティといえるのですが、残念ながらこれだけの行動能力を潜在的に持っていながら、充分に活かされていないようです。
目標を据えて行動に出ても、根っからの用心深さと、頭の中で結果をシミュレーションしてしまう事により、諦めが先に立ってなかなか思い切った行動に出れないのが原因かと思われます。
それゆえに目標を見失いがちで、あれこれ手を出しては中途半端に終わってしまう可能性がありそうです。
はっきりとした目標を持たないと職業を転々としたり、人生そのものが流動的になってしまいます。
また束縛を嫌う性格ですから、常に自由でありたいと言う気持ちが強く、生まれ育った家や土地を離れるのも特徴の一つです。
新しい環境の中でも持ち前の人なつっこさでみんなから好かれ、同化できるという能力を活かしながら、粘り強く努力を重ねることが成功のカギとなります。
五気のバランスという観点から見た場合、あなたの場合は五行でいうところの〝土〟の気が欠けています。
〝土〟が象徴するのは季節でいえばそれぞれの季節の変わり目、五臓では胃に当たります。
つまり季節の変わり目は健康面や精神面において不安定になりやすく、また季節に関わらず胃の病気に注意が必要であることを示唆しています。
しかしこのような負の要素は、欠けている気を補うことで五気のバランスを取り、克服することが可能です。
そのもっとも簡単な方法は欠けている気が示す〝色〟を、積極的に身につけることです。
〝土〟の色は黄ですから、洋服やアクセサリーなど、黄色系統のものを普段から身につけておくよう心掛ければ、五気のバランスが取れ、開運につながるでしょう。
  以上

************************************************************
    宿命鑑定・陰陽五行占星術   
http://pp7.main.jp/uranai/
************************************************************




2004年02月12日(木)
冬の夜

目覚めはいつも意識が先に覚醒し、
肉体が…「なんか用ですか?朝みたいですが…。」ずり落ちた眼鏡を直し〃、半歩遅れでついてくる。

のんびりマイペースに律動していた心臓ポンプが、はっと正気を取り戻し、にわかに血を押し出し引き戻すから息苦しい。
足下から急ピッチで、ぞわぞわ血液が首筋をかけあがる。

今朝は胃の腑に赤ランプ。
ねじったスポンジにナマリの弾を埋め込んだようなけだるさ。
 
夕べの酒のせいかな。
缶酎ハイ1缶とビール1缶。

暖かく喉が渇いていたので、帰宅するなり缶酎ハイのプルタブを起こしたんだった。
飲みつつ、洗濯物を持って階段を上下数回。

昔、何かの貧乏自慢で読んだことがあったが、「屋台でコップ酒をあおってから、100メートル全力疾走したら、酒の酔いがまわって身体が温まった。」のと同じ状態になったのだろうか、必要以上に浸透したみたいだ。

私の産まれる遙か前、祖父はメチルアルコールと引き替えに命を落とした。
戦中・戦後の混乱の中、メチルでは、失明した話しも有名。

胃がよたよた地団駄を踏んでいるというのに、空っぽなせいか何も出ない。
緑の胃薬を飲んだら、胃の野郎がねじれたままよがって緑色の蛙を吐きだした。

ぁあ、これは仕事の出来る状態じゃない。
休もうか。
頭の中で有給の残数をはじくまでもなく休めるんだけど、しばらく思案の後に出勤することにした。

通勤電車のなかで倒れる程度のひどさでもないから会社に行ってから様子をみて決めよう。
どうしてもだめなら社長に事情を話して早退させてもらってもいい。

朝一番、社長に、ある部署の納入数の統計を取ることを頼まれた。

意識が頭頂に集中したせいか…、
必要以上にかばったり・甘やかしたりしなかったせいか…胃は時間が経つにつれ普段の顔を取り戻し、いつものように意地汚くガソリンを要求している。
早引けすることなく定時に仕事を終えることができた。

晩ご飯は五穀米でかゆをたく。

終えてつれづれにネットや読書を楽しむ。

わたしの一番好きな時間。

時おり遠くでカタンコトン響く線路の音…
冬の唄を鳴らしながら巡回する灯油売りの車…
どこかで散歩に出たネコが家に入れてくれろと甘え声…

部屋の中ではストーブのしゅうしゅういう規則正しい息づかいが響くだけ…。
無口な愛猫は、たまに薄目を開けて、こっそり様子をうかがう。
媚びない粘着しない適度なスタンス。

ああ、なんという贅沢な時間だろう。
思考の波に身をゆだねる心地よさ。

批判はいらない。
批評もいらない。
引き合いも。

有名作家ではない。
三文文学士でもない。
無類の民でいい。

自分だけの自分なりの思考を、掘り起こす・揺さぶる・ふるいにかける。
また、こねる。

真似ない。
媚びない。
へつらわない。

うんせうんせと考える。

静かに穏やかに思考だけが殻を脱ぐ。









2004年02月11日(水)
情婦・娼婦

STING続きで、ずっと意識に引っかかっていた曲を思い起こしていた。

あのニコール・キッドマンとユアン・マクレガー主演の映画『ムーラン・ルージュ』(2001) を観ていて、劇中で使われていた曲“Roxanne”は、タンゴ調にアレンジされていたが、スティングのソロデビュー曲、じゃなかったその前のポリス時代のデビュー曲。これは知る人ぞ知るかな…。
吼えるような歌い声が印象的。

映画では19世紀末のパリで街一番のナイトクラブ“ムーラン・ルージュ”の歌姫であり高級娼婦のニコール・キッドマンとユアン・マクレガー演じる青年作家は出会った瞬間に恋に落ちてしまう。
だが、彼女はもっとも有力者である公爵の愛人であった。

……………………

切なくも綺麗な最後だったなぁ…。

歌詞にぴったりの映画だった。
私は、ロビンソン・クルーソーで有名なイギリスの作家 デフォーのロクサーヌがベースかな?と勝手に想像しているがまだ原作を読んだことがないから定かではない。
小説のなかでは、確か一介の主婦が次々に男を取り替えて、だんだん男も自分の生活もグレードアップして行くんだよね?

わたしは、この映画や歌詞の内容は、純愛と呼べるものだと思う。
たとえ、それが一方通行のものであっても…

総てを投げ打ってでも逃げたい相手なんて、そうザラにはいないでしょう。
一生に一度も出会えないかも知れない。
ニコール・キッドマン演じる高級娼婦は幸せだったのかな?
幸せだったんだな。
ちょっと、うらやましい…。

Roxanne, you don't have to put on the red light
Those days are over
You don't have to sell your body to the night
Roxanne, you don't have to wear that dress tonight
Walk the streets for money
You don't care if it's wrong or if it's right

Roxanne, you don't have to put on the red light
Roxanne, you don't have to put on the red light
Put on the red light, put on the red light
Put on the red light, put on the red light
Put on the red light, oh

I loved you since I knew ya
I wouldn't talk down to ya
I have to tell you just how I feel
I won't share you with another boy
I know my mind is made up
So put away your make up
Told you once I won't tell you again it's a bad way

Roxanne, you don't have to put on the red light
Roxanne, you don't have to put on the red light
You don't have to put on the red light
Put on the red light, put on the red light

--------------------------
意訳するけど、怒らないでね。

--------------------------

ロクサーヌ
紅いライトをまとわないで
もう終わったことなんだ
闇にからだを売らなくて いいんだ

ロクサーヌ
今夜は そんなドレス 着なくていいよ
金のために街をさまよっていた
何が正しいか 何が間違っているのかなんて
もう考えなくていいんだ

ロクサーヌ
紅いライトはもういらない
ロクサーヌ
紅いライトはもういらない

ロクサーヌ
ロクサーヌ

初めての出会いからずっと愛してる
あなたを軽蔑したりはしない
あなたにこの心を伝えたい
他の男と共有するなんて まっぴらだよ

僕は決めたんだ
化粧をぬぐいさって よく聞いて
そんな生き方やめるんだ

ロクサーヌ
紅いライトはもういらない
ロクサーヌ
紅いライトはもういらない

ロクサーヌ
ロクサーヌ



2004年02月08日(日)
入院中…

  ( ̄ェ ̄;) エッ? って驚かないでネ。。

私のメインに使っているパソコンのことです。

にゃんだかな~ お正月を過ぎてからめっきり調子が悪くなって…

ADSLが 『ローカルエリアネットワークが接続されていません。』というエラーメッセージとともに断続的にブチブチ切れるのですわ。。(ノ_・。)

快適なネットライフがイライラのたまものにかわりましてん。

リカバリや怪しいと目星をつけたソフトを削ったり…いろいろいたしましたが、最終的に予備のノートパソコン用のLANカードを差し込んだら普通にいけましたので、きっとADSLの接続部もしくはマザーボード本体の不具合によると思われましたので、パソコンのサービスセンターに昨日、預けてきました。

今は、予備のノートパソコンです。やっぱ、ちょっとキーボードが打ちにくいなぁ…。

今日は先月から着手している屋根裏の大掃除を少しした。
禁断の屋根裏ですよ!
わたしには蒐集癖があって、わけのわからないしょうもないものを集めるのが好きですが…たまごっちの大群には驚いた。USAバージョンの他に…
ぎゃおっぴとか宇宙人のとかポケビのもあった。

驚いた。

他のおもちゃは捨てられても(ファービーとはさよならした。)これらはちょっと捨てがたい。。はふ~ん

こたつでまたーりしたい衝動をおさえつつ、屋根裏の布団を整理した。
なんでかわからないけれど掛け布団が3枚もあるのに敷き布団は1枚しかない。
布団を大きい透明の袋に入れて、防虫剤と共に封をする。

今となっては使わない板きれとか板きれとか…板きれが山盛り出てきた。

毛布とかコタツ布団とか、しっかり封をしておかないと伊藤にかじられてしまう。
( ̄- ̄メ)チッ まったくネズミみたいな猫だ。

屋根裏の整理はそこそこで止めて、寒さにかまけて枯れっぱなしになっていたベランダ菜園を再開することにする。

以前、枯れた植木鉢をひっくり返して新しく種を植えるため、土をこしていたらぶんぶんが出てきたトラウマがあるのでコッソリ、びくびくしながら植え替えを始めた。

今日は、いとうちゃんの猫草とあとは人間用にバジルとレモンハーブとルッコラを植えた。
ちょっと楽しみ♪

土だらけのベランダを掃除してから、洗濯物を干した2回分。
今日は風がめたらつよいので花粉をしこたま吸い込んだだろうな…新しい花粉症のお薬は今のところ効いている。

台所も綺麗にかたづけて、シフォンケーキを焼いた。

なんやかやしていたらもう真っ暗…

休みの日は、過ぎるのが早いねぇ…

(*´ο`*)=3 はふぅん






2004年02月06日(金)
NOTHIING LIKE THE SUN

人類最古の殺人事件犠牲者“アイスマン”の謎
「雪山で発見5300年前の遺体!!最新科学が暴く犯人と動機▽」

昨晩のアンビリーバボーでやっていた。

1991年9月19日、標高3200mのアルプスの氷河の中で発見された不可思議なミイラ。
死蝋化せず損傷もせず綺麗な形で見つかった。
私の家のミイラさんとよく似ている。(もっとも私の家のは発砲スチロール製だが…。)

ちょっとネットからも抜粋しますネ~

ミイラの周囲からは斧やひも・動物の皮・石のナイフなどが見つかったのだ。このミイラはアイスマンと名付けられ、調査された。欧州では新石器時代、日本では縄文時代中期にあたる約5300年前の人物である事が判明。さらに腸内に残っていたホップの実をDNA鑑定した所、ミイラ発見場所から5km南の町のものと一致(北イタリア)アイスマンはそこに住んでいたと考えられる。

★ 周囲から見つかった所持品を分析

①見つかった斧は先端の刃が銅を鋳造したものだった。これにより、銅の文化がそれまで定説だった年代より600年も前にこの地方に伝わっていたことが分かった。
②周囲から2種類の乾燥したキノコが見つかった。1つは着火材として使っていたと思われるツリガネダケ。もう一つはカンバタケ。これは止血・消炎剤として使われていた可能性があるのだ。
③アイスマンの腰、手首、膝に入れ墨の様な跡があったが、これは鍼治療の痕と考えられる。

5300年前の北イタリアの人が鍼治療していただなんて、親近感を覚えるなぁ…。

TV(アンビリーバボー)の分析では、持ち物や鍼治療の痕が伺えるのは、相当の身分の高さを表すようで、おそらく部族のリーダーだったのでは?と考えられるそうです。

遺体には矢尻が刺さった痕があって、それが死に繋がった。。
つまりは人類最古の殺人事件の犠牲者となるらしい…が、決めつけるには短絡的すぎると思う。
人命に関わる争いごとはもっと太古からあったんでは?

遺体の毛皮や縄で編んだ帽子などの冬の装備とその時点での季節(夏から秋にかけて)が合わないのは、なんらかの都合で雪山を越えねばならなかったから…という理由がつけられた。

その理由は『許されぬ恋の逃避行』。

BGMにスティングの曲が流されていたのが、再現フィルムのイメージにマッチしてなんとも哀愁をそそった。
曲名だけがどうしても思い出せない。
またアルバムをひっぱりだして来ねば…どこにしまったんだろう…。
「歴史は繰り返す」か「シスター・ムーン」のどちらかと思うんだがなー。。
違ったかしら。

この曲を聴くと…

「とんでもない遠くへ来てしまった…。」とか

「知らない土地で独りぽっち…。」あるいは

「空を飛ぶ鳥は自由なのになぜボクは不自由なのだろう…。」などの思い…

複雑な切なさが胸を捩る。

スティングの透明な歌声が、もの悲しくやりきれない…んだが、ますます手放せないで深く聞き入ってしまう…。


CDケースをひっくり返してみた。

出てきました。

題名はFRAGILE<フラジャイル>でしたワ…。

脆弱とかはかないとかもろいとか…そんな意味があるのですな。。

買って何年も経つのに初めてマジマジと歌詞を読んだ。ヾ(-д-;)ぉぃぉぃ

こんな内容です。↓

///////////////////////

からだに刃がつきささり 流れた血が沈みゆく陽により乾いていく

明日の雨は 血を流し去るだろう

だけど 心に残った何かは いつまでも消え去りはしない

たぶん この最後の行為は 暴力というものは何の役にも立たず

怒れる星の下に生まれてきたものには 為す術がないということを

知らせるためのものかもしれない

人が こんなに脆いものだということを 思い起こすために

いつまでも いつまでも 雨は降り続けるだろう

まるで星の涙のようだ
まるで星が泣いているようだ

いつまでも いつまでも 雨は訴えるのだろう

人というものがどんなに脆い存在か

ぼくらがどれほど はかない存在か

///////////////////////

人と人が争うことが いかに悲しくて無意味なことであるかが込められているように思う。

この歌を聞くたびに、涙が鼻のところまでせりあがってきてでも、泣けない…
でも魂がよがっている…

何がどうとか…説明がつかないほどたまらなくなってくる…。




2004年02月05日(木)
むじゃきのじゃき

大寒を過ぎ、立春を迎えたというのに…ここ数日、寒さも緩んできたから油断していた。

冬の私の寝具は ベッドマット→電気毛布→毛布→人間と猫→毛布→羽毛布団→毛布 … といった具合に、毛布がサンドイッチのメインの状態で寝ている。
(((=_=)))ブルブル…寒いとろくな夢を見ないからね…。

ここ数日、暖かくなってきたので、羽毛布団下・人間と猫上の毛布をとっぱらってみたのは、おととい…。

夕べは「電気毛布が効いてないな~。」と思うぐらい冷え込んでいたです。

案の定、いろんな夢をオムニバスに見ていて、最初の方の夢は『何か商売』をしていた私は駆け引きに疲れ果てへろへろになった。
詳しい内容をどうしても思い出せないのは、目覚める直前に見た夢が印象深かったせいかもしれない。

その夢では、私はなぜだか実家で、『    どら 焼き 』で有名な茜丸の社長似の旦那と夫婦生活を送っていた。

※ 茜丸のテレビコマーシャルでは、赤だの緑だの5色分ぜんぶ全身タイツの子供が原っぱで、社長の白いグランドピアノをバックに歌い踊るんです。最後には社長も輪に入って踊るんです。(∴◎∀◎∴)きもいです。
参考に 茜丸HP

「あ~ほんま♪あ~まんま♪一日暮れてまた日が昇る。あのでっかい夕焼けみてみいな。茜が人生応援しとる。」けっこう、インパクトが強くて寝る前にみたらうなされそう…。(笑)トラウマになります。

…で、私は茜丸の社長タイプの男性が、男性の中でもっとも苦手とするタイプなんですよ。
なんて~いうか~な~、めがねの似合うもっちゃりとした美男子。なんていうかーなー、ほんとは腹黒いクセに爽やかをウリにするような…。(そんなイメージで、実在の人物とは関係のないことです、念のため。)

苦手といいながらも、夢の中では夫婦生活を送ってるし…。(笑)
しかも、一姫二太郎の2人と夫婦2人合計4人の理想家族だ!(  )ノ_...

私の実家の作りは、細長いウナギの寝床みたいな家屋で、棟続きだけれど、離れの小部屋が2つある。

夢の中では、その離れの小部屋に愛人を囲って子供を産ませていたんだな、茜丸社長似の旦那は!(爆)

母屋に上は5歳児くらいを筆頭に下はよちよち歩きの子供が4,5人列挙してやってきた。
(」゜ロ゜)」(」゜ロ゜)」(」゜ロ゜)」オオオオオッッッ

しかも全員なぜだか「角刈りの女の子!」もう、(´-ω-`)きしょくわるいことこの上ないですよ!!

で!私は茜丸似だんなに文句を言っているのです。
私:「あんた…稼ぎが少ないのに、こないに子供ばっかりこさえて、どないしますん?!(-_-メ;) 少しは、産児制限しはったらどないですのっ?!」

実家の外壁にはツタが生い茂っていて、それがなぜだか窓の隙間から室内の壁にまで伸びてきてるんですね。
その室内に伸びたツタの葉をむしりながら、文句を言うてるわけです。

私の詰問に茜丸社長は「俺は子供がとっても好きなんや~♪キャピッ(^^*))自然に任せておきたい~♪」とのたまった。

ばっ(  ゚,_ゝ゚)バッカじゃネーのぉぉぉぉ?!本能のままに営んで、一体、この先、何人こさえる気や?!

もう、こんな計画性のないヤツとはやっとられん!( -_-)フッ

私:「それでは生活していけないので、リコンしてください。」

…というところで、夢からさめた。

ほんっとーに夢見が悪かったなあ…。

夢の中の茜丸似旦那は…

「♪(o=゜▽゜)ノ 子供だいちゅき♪」
「せっくすも、ちゅき♪」
「まったく本能のままにイタして何が悪い?自然の流れは何が悪い?」

あっけらかん!”で無邪気な印象を受け、これは本人のポリシーというか、性格というか、どんな薬も荒療治も駆け引きも通用しないもんだと、つくづくガッカリした夢だった。





2004年02月04日(水)
人間、鬼にも仏にもなれまする

なぜだか毎年2月3日の節分の日を、2月4日と勘違いすりゅんだが、今年もウッカリしていた!
昨日の帰りにスーパーに寄ったら大量の太巻き寿司が売買されていたので、思い出した。
昨年の節分の日は、完全に忘れたまま通り過ぎていったように思う。
(@'ω'@)? 何が忙しかったんでしょうね。。
その年〃によってイベントに対する気合いの入れ方は違いまするのだ。

今年は東北東に向いて、食べるんですよね。
ちょっとインターネットのお寿司屋さんサイトから抜粋してみた。↓↓

◆ 「恵方巻(えほうまき)」とは‥
江戸時代末期~明治時代初期に、大阪の中心地であった船場で発祥したと言われる風習で、商売繁盛、無病息災、家内円満を祈願して、その一年の大安方向である歳徳人(としとくじん)の位置する方位に向かって、無言で願いを込め、巻寿司を丸かぶりするというものです。
 巻寿司を食べる理由は…
1. 『福を巻き込み』
2. 鬼を追い出し、鬼の金棒に見立てた巻寿司を食べ『鬼を食べてやった』とする。
3. 昔から長いものは縁起が言いと言われ、包丁を入れると『縁が切れる』との縁起かつぎから、そのまま丸かぶりする。
4. 海苔の中に「寿司飯、玉子、おぼろ、椎茸、かんぴょう、高野豆腐、三つ葉」を巻き込み、『七つの福(七福神)』にあやかったという説があります。

…だそうです。(・0・*)ホ,(゜0゜*)ホ--ッッ!!!

実は、わたしは太巻き寿司があまり好きではありません。
かと言ってとびっきり嫌いなわけでもないのです。

ただ、家で作るには下準備が大変だし…
買うには足下を見られて高すぎる。。

…で、私なりのオリジナル太巻きを作るんです。

★ 材料は… 白ご飯・太エビの天ぷら・ゆでほうれん草・カニ缶・海苔・ゴマ・マヨネーズ です。(つまりは、天むすの太巻き版です。)

1) 固く絞ったゆでほうれん草は、だし醤油で味付けしておく
2) カニ缶も水分をとり、マヨネーズであえておく
3) 巻き簀の上に、片面を火であぶって香りを際だたせた海苔をしく
4) 白ご飯(←すし飯でないのがミソ)の上に、上記下準備したゆでほうれん草・カニ缶や太エビの天ぷら(←尻尾は落としておく)を乗せ、白ごま(炒ってあったほうがグー♪)をパラパラふりかけたら、ぐりりと巻いて終わり…♪

( ゚д゚)ハッ! 5つくらしか福がおまへん!Σ(´ι _`;) まぁ、いっかー。

今日は、先日、新年会で出された『はまぐりの潮汁』を(・∀・)ジサクジエーン!!
はまぐりの出汁がひじょうに効いていて、ばりうま!!だったのです。

でかいはまぐりが9粒で¥350でしたのよ。
すんばらすーーーーい。
わい一人で8粒くらい食うたろ。(おいおい…)

お約束のイワシは、小さ~いのが1尾 ¥400 ですやん。
小骨が多く、あまり美味しくない上に高いから買ってやんない。ヽ(`Д´)ノプンプン
値段が下がってから食べても、無病息災に間に合うですやろ。

は我が家にはあまり寄りつかないようで、隣の家のバーサン家に1回…
反対側の隣(ガレージにしている空き地を挟んでいるから正確には1軒おいての隣)に2回救急車が来てる。

特に反対側の隣は、先週とその前は、昨年の10月頃だったか…彼らが引っ越して来てから、1年以内に2回も救急車が来てるんですのよ。
伊藤と二人で出窓からかぶりつきやっちゅうねん。
もっとも伊藤は猫だから救急車にはあまり興味はわかないみたいで、じきにどっかに行っちゃうんでス。
2回も救急車が来ているということは、テンカンかなんかの持病を持っているのでは?と睨んでいます。
テンカンの人がバイト先に居たんですが、薬をサボるとてきめん泡を吹いて倒れちゃうので、そのたんびにこっちの心臓があやうかったです。
お薬はサボってはいけません。・゚・(ノД`)

実は昨夜、エビ天の太巻きを作りながら、同時進行で『すき焼き』を煮ておいたんだ。
今夜は、生卵と牛肉のデンジャラスな晩ご飯ですのよ。
牛肉はいちおう“オーストラリア産”と銘打ってあったが、脂身のところがにゃんだか黄色っぽく、奇妙な色をしていたよ。(爆)

どうか健康体でいられますように…。((((* ̄ー ̄*)†~~~