かつてアメリカに留学(遊学)してたとき、1回だけ手錠をかけられたことがあります。(しかも、後ろ手)
飲酒運転でシェリフ(ポリスのクルマ)を追い越したんです、いわゆる『覆パト』とか言うやつですな、卑怯なりよ。(/_;)
向こうのおまわりさんは、
「どの種類のアルコールを飲んだのか? 日本酒か?」と尋ねました。
「日本人は、皆、日本酒を飲むのだ。」という固定概念が、非常に屈辱でした。
私は、その頃(今も)すっかりアメリカにかぶれていましたので、日本酒は飲んでいませんでした・・・というより、飲めなかったのです。
(けれど、ほんの3,4年前から飲めるようになり、今では、コップ酒をあおるまでにもなってしまいました。自分では、適正飲酒だと思いますが、果たしてどうでしょうか。)
話しは戻りますが、とにかく
「日本人はちょんまげをして、刀をさして、そして、日本酒を飲む。」
と、いうようなアホな固定概念にすっかり、へそをまげた私は、
頑ななまでに、「ビール一缶だけっ!」と言い張りました。
(ほんとは、ワインとウイスキーとビールのちゃんぽんだ。)
両腕を水平にあげ片足立ちをして平衡感覚をみるテストとか、1から10を進み、11から20で最初の位置に戻ってくるカウントテストとか・・・
バカらしいことをさんざんさせられたあげく、
「やっぱり、お前は、匂う。(酒臭い)」そう言われ、パトカーに乗せられ、連れて行かれました。
その時に、後ろ手に手錠をされたのです。
ますますの屈辱です。
いくら性別で分けられるとは言え、年がら年中クスリと手を切れないような、ジャンキー達と一緒の檻に入れられるのは、やだな・・・。
そういった懸念はありましたが、どこも、クリスマス前で満杯でしたので、
簡易のバス留置場に拘置されました。 既に、1人のメキシカン女性が檻の中に居て、外のポリスと口げんかしてました。
すぐに、友達が迎えに来てくれたので、一夜をあかすことはなかったのですが、その時に、両の手の指紋もとられました。
ますます 『 ます!(`Д´) 』 の屈辱です。
カリフォルニアでの飲酒運転は、とても重罪です。 (州によって、法律は違うらしいのですが、その州は、飲酒運転による事故で子供を失った母が運動を起こし、法律を変えたそうです。民主主義が最も反映される国ですネ。)
日本での酒気帯び程度でも、しっかりと免取りになってしまいます。
あんのじょう、免許は取り上げられ、後日、裁判所へ向かうこととなりました。
だけれど、そこはやはり大国、「レコード(犯罪記録)が時々紛失される。」その噂通り、私の記録もどこかへ行ってしまっていたのです。
いち東洋人の、ちんけな犯罪なぞ、とるに足りないですよ。なくしときなさい・なくしときなさい。
すぐさま、日本でいうなる「陸運局」みたいなところへおもむき、「運転免許証を紛失しました。」と、ウソを言い、再発行してもらいました。(おいおい)
それからしばらくして帰国しましたが、再発行してからの期間が短かったため、運転記録が認められず、国際免許の切り替えができませんでした。
仕方なし、日本で初めて教習所へ通いました。(無免のまま渡米し、向こうで免許を取得した。)
いよいよ、クルマを初スタートさせたとき、緊張の面もちだった教官が開口一番言いました。
「あ!意外に(運転)上手いやん。」(彼は、私の運転歴を知らない。)
当たり前やん、しっけいな。
免許は順調に取得しましたが、なんだか、右車線を走ってしまいそうなので、日本で公道を走ったのは、奄美大島へ旅行へ行った時、1回限りです。
その時も、実は、対向車線を少し走ってしまい、遙か遠くからパッシングされたので気がつきました。(奄美の皆さんゴメンナサイ)
こんどは(機会があれば)、フリーウエイから落っこちて、クルマをお釈迦に した話しをしたいと思います。(-∧-)ナムー
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