初日 最新 目次 MAIL


HELEN&HEAVEN
Helen
MAIL

2002年03月05日(火)
手錠をかけられた日 < arrest  >

かつてアメリカに留学(遊学)してたとき、1回だけ手錠をかけられたことがあります。(しかも、後ろ手)

飲酒運転でシェリフ(ポリスのクルマ)を追い越したんです、いわゆる『覆パト』とか言うやつですな、卑怯なりよ。(/_;)


向こうのおまわりさんは、

「どの種類のアルコールを飲んだのか? 日本酒か?」と尋ねました。

「日本人は、皆、日本酒を飲むのだ。」という固定概念が、非常に屈辱でした。

私は、その頃(今も)すっかりアメリカにかぶれていましたので、日本酒は飲んでいませんでした・・・というより、飲めなかったのです。

(けれど、ほんの3,4年前から飲めるようになり、今では、コップ酒をあおるまでにもなってしまいました。自分では、適正飲酒だと思いますが、果たしてどうでしょうか。)


話しは戻りますが、とにかく

「日本人はちょんまげをして、刀をさして、そして、日本酒を飲む。」

と、いうようなアホな固定概念にすっかり、へそをまげた私は、

頑ななまでに、「ビール一缶だけっ!」と言い張りました。

(ほんとは、ワインとウイスキーとビールのちゃんぽんだ。)

両腕を水平にあげ片足立ちをして平衡感覚をみるテストとか、1から10を進み、11から20で最初の位置に戻ってくるカウントテストとか・・・

バカらしいことをさんざんさせられたあげく、

「やっぱり、お前は、匂う。(酒臭い)」そう言われ、パトカーに乗せられ、連れて行かれました。

その時に、後ろ手に手錠をされたのです。

ますますの屈辱です。

いくら性別で分けられるとは言え、年がら年中クスリと手を切れないような、ジャンキー達と一緒の檻に入れられるのは、やだな・・・。

そういった懸念はありましたが、どこも、クリスマス前で満杯でしたので、

簡易のバス留置場に拘置されました。
既に、1人のメキシカン女性が檻の中に居て、外のポリスと口げんかしてました。

すぐに、友達が迎えに来てくれたので、一夜をあかすことはなかったのですが、その時に、両の手の指紋もとられました。

ますます 『 ます!(`Д´)  』 の屈辱です。



カリフォルニアでの飲酒運転は、とても重罪です。
(州によって、法律は違うらしいのですが、その州は、飲酒運転による事故で子供を失った母が運動を起こし、法律を変えたそうです。民主主義が最も反映される国ですネ。)

日本での酒気帯び程度でも、しっかりと免取りになってしまいます。

あんのじょう、免許は取り上げられ、後日、裁判所へ向かうこととなりました。

だけれど、そこはやはり大国、「レコード(犯罪記録)が時々紛失される。」その噂通り、私の記録もどこかへ行ってしまっていたのです。

いち東洋人の、ちんけな犯罪なぞ、とるに足りないですよ。なくしときなさい・なくしときなさい。

すぐさま、日本でいうなる「陸運局」みたいなところへおもむき、「運転免許証を紛失しました。」と、ウソを言い、再発行してもらいました。(おいおい)

それからしばらくして帰国しましたが、再発行してからの期間が短かったため、運転記録が認められず、国際免許の切り替えができませんでした。

仕方なし、日本で初めて教習所へ通いました。(無免のまま渡米し、向こうで免許を取得した。)

いよいよ、クルマを初スタートさせたとき、緊張の面もちだった教官が開口一番言いました。

「あ!意外に(運転)上手いやん。」(彼は、私の運転歴を知らない。)

当たり前やん、しっけいな。

免許は順調に取得しましたが、なんだか、右車線を走ってしまいそうなので、日本で公道を走ったのは、奄美大島へ旅行へ行った時、1回限りです。

その時も、実は、対向車線を少し走ってしまい、遙か遠くからパッシングされたので気がつきました。(奄美の皆さんゴメンナサイ)

こんどは(機会があれば)、フリーウエイから落っこちて、クルマをお釈迦に
した話しをしたいと思います。(-∧-)ナムー



2002年03月18日(月)
夢であるか?幻か? <Eternal happiness>

『 しあわせ 』の定義って何だろう。

それは、人それぞれで、

私の “幸せ” イコール、あの人の “幸せ” に、なったりはしない。

≒ ほとんど等しい になっても、

= 完全に 等しいには なり得ないでしょう。


例えば、

“美味しいモノを食べた” としましょう。

“素敵なアクセサリーを貰った” り、

“高級外車をがんばって買った”としても、

物質はいづれ滅びてゆくのでしょう。

『金製品』は、時が経過しても、同じ『金製品』であるけれど、
精錬されたてのままの『金製品』ではありえないのです。

専門的には、ご説明しにくいのですが、分子の結びつきがゆるくなるというか、
構造が違ってくるみたいですね。

手にした瞬間の感動も、時の経過とともに、損なわれていく。

これらは、わたくしの本来の幸せでないと認識するのでしょう。

幼い頃のアイスの当たり棒は、それはそれは幸せだった。

成人しても、とても嬉しいものだけれど、幼い頃のその感動とは、性質を異にするような気がします。

アイスの当たり棒よりも、お使いのお駄賃よりも、もっと沢山の幸せを経験してしまっているから。






あの人に好きと言った。

あの人も好きと言ってくれた。

互いに幸せの絶頂のその瞬間から、

時の経過とともに、意識のズレが生じないとも限らない。

特に相手への依存度が高かったりしたほうは、自分の存在意義を取り戻すのに、
時間と努力を要するでしょう?


瞬間の幸せ を繰り返しても、 永遠の幸せ には、なり得ない。

『永遠』の定義も不可思議だ。

私は、一つの魂が、生死を繰り返すとなんとなく信じているけれど、

ある人は、「人が死ねばそれっきりだよ、“空(くう)”になる」、

そう言った。

また、ある説では、数名の人格が複合されて一つの人間に生まれ変わるらしい。

最近は、この説も、面白いと思う。


『永遠』は、どこに行けば、見られるのかな?

『永遠』の横顔というものは、そっと盗み見したそのときに、

『瞬間』という顔になりかわってしまうから、 ずっこいや。





2002年03月22日(金)
成人の頃 < Coming-of-age ceremony >

成人の頃、私は何をしていただろうか...。

あまり、憶えてないのは、思い出したくない証拠だ。





心情的には、成人の頃、わたくしはまだ、おしめをしていた。

蒙古斑がやっと取れたのは、つい、こないだ。

小学校を卒業しました、この春。

肉体年齢だけは、時間の法則により、容赦なく加算されていく。

単なる『おませさん♪』か、それとも、前世の記憶の片鱗を握りしめて生まれてきたのか、幼少の頃からおそろしく分別のついているお子さまがいる。

......残念ながら、わたくしは、それほど『おくて』ではなかったように記憶するが、前世のことなど、カケラも掴みきれずに、この世に放り出された感はいなめない。

“ココロの準備のないままに!” 右往左往していた。

“確固たるお手本も見あたらず!” 暗中模索の繰り返し。

“何が一体楽しいのか!”幸せさがしは、結局は自分の内で。

今やっと、「今生もあながち悪くないネ?」と、思えるようになってきた。




1日1回は、顔を見ることができたあなたが明日、巣立っていく。

1日1回は、失敗をしていたあなたは、今日も、指を詰めていた。

それでも、「今夜、ビリヤードに行く。」と、血豆のできた指先を見せながらにっこりほほえんでいた。

その、笑顔が、まぶしいな。

実感もないままに、可能性の福袋を握りしめていた二十歳。

時間が無尽蔵にあるように思えた二十歳。

自分だけは、『永遠に二十歳代のままでいられる』。

漠然と、根拠のない自信があった二十歳。

あなたは、これから、どんな人生を送っていくんだろう。

また、可愛い笑顔を見せてくださいな。






2002年03月27日(水)
孤独な狙撃手 < A solitary sniper >


『ボロ雑巾』と形容してもよいほどの、素晴らしく薄汚れた模様の野良ネコが居る。

駅前のボスだ。

駅前には、焼き肉屋さんがあって、羽振りの良い頃は、もうけの比率と同じくらいのネコがたむろしていた。

狂牛病のあおりをくらい、今は、ボス猫しかいない。

ボスはこの頃、空腹のあまりか節操がなく誰彼構わずエサをねだるようになった。

ねだる鳴き声は、「ぐぎゃーっ!ぐぎゃー!!」チビゴジラだ。

「エサをあげる前に、さぁ、まず、なでなでさせてくれないか。」いかがわしいヲッサンのように迫ると、

「(▼▼) シャーッ!!」

あえなく、反撃を食らう。

ちょうど、鮭のおにぎりを持っていたんだ。

「さぁ、お食べ。」鼻先につきだすも、(−。。−) クンクンしただけ。

そうか、やはりそそりませぬか。。。

同じく駅前にあるデパートの残飯で、グルメっちになったかな?

そいえば、どこぞの バさまが、以前ちくわをあげていた。

今度は、ちくわを所持しなければ!そんなことをぼんやり考えながら、改札に向かうと、ボスがついてきた。

歩き方がいびつだ。
みると、後ろ片足を引きずっている。

つい最近まで、普通の歩き方だった。。。

野良猫も生きにくいご時世になった。






2002年03月29日(金)
死際同盟 < Funeral >

『この先、誰かと暮らしはしても結婚は無いと思うし、死後は葬式もお墓も要らない。』

そう、おしゃべりの合間に意志を伝えると、

「......そういうわけには、いかへん。」

喜怒哀楽のうち、 『怒哀』 の入り交じった表情で母は、反駁した。

冗談と受け止めるかと思ったけれど、真面目な様子を汲み取ったのは、母たるゆえんですね。

このじゃじゃ馬ムスメのこと、よく理解してくだすっています。(笑)

たまに自分が『生まれてきた理由』を考えたりする、すぐに日常に引き戻されるけれども。

よくはわからないけど、きっと理由なんかはどこにも無いのかも知れないね。


「生まれてきてゴメンナサイ。」とも、たま〜に思うことがあるのです。(太宰さんの本の表題だ。)

なにかの拍子で、(そもそもささいなことではあるけれど、)どうも生まれてきたことに関していくばくかの“やましさ”があるような気がする。

なんでかわからない、そんな感情が深層心理の奥の奥、タマネギの芯の部分に居てそうだ。

平素は、物理的に私よりかは寿命が長いであろうと思われる弟に頼んで、死に水取ってもらお!と目論んでマス。

骨は、大好きなアメリカの海に流してくんな。

財産は何も残せないけど、私の火葬代と彼の往復の旅費飛行機代を貯蓄して置かねば・・・。

人生の終焉はそんなふうな用意を周到にしてから迎えたいと、常日頃思っております。




そんな死後の処置を望んでいらっしゃる方は意外と多いようなのです。

だけれど遺族は、それを許さないでしょうね。

儒教の影響も色濃いし、うちの母なんぞも、「お墓が無いと魂が成仏できずにさまよってしまう。」と堅く信じております。

世間体といふモノもありますし。。。

遺言をしっかりしたためて置くことにしよう。

「言った通りにしてくんなきゃ、化けて出る。」

それでも、葬式を強行されそうになったときのために、今から≪同盟≫なぞをくんで、皆で順にジャマしに行きましょうよ。

≪同盟≫の理念は簡単ですよ。

「式無し、墓なし、財産なし。」

せめて死に際くらいは、スマートに決めたいな。




2002年04月01日(月)
昔好きだった人 <The person who loved once>

土曜日、いつも行く大型スーパーへ出かけた。

電化店や種々のテナント、(ユニ○ロなんぞもある。)が入ってる。

中央の通路で、ある人とすれ違った。

一瞬だけ、視線が絡む。

私の記憶に間違いなければ、昔好きだった彼だ。

疎遠になって久しい。

昔とは、ヘアスタイルも服の趣味も変わってるけれど、彼だと思う。

好きだったとは言え、コクハクしたこともつきあったことも無い。

ただ、ほんのりと想いを寄せていた、互いに、ウマがあっていた関係。

私がフリーターをしてた頃、彼は同じ派遣会社の社員でした。

彼の結婚披露宴にも出席しました。奥様の顔かたちは忘れてしまったけれど、いっしょにいらっしゃった女性はきっとそうでしょう。



京都は、ほんとうに狭いなぁ。

食材を買った同じレジに彼も来る。

互いに連れが居ますもので、会話はありません。

手持ちぶさたに、ただ、たこ焼き粉の説明書きを眺めていた。

直近のたこ焼き大会は、粉と水の配分を間違ってしまい、少し失敗作であった。

「この1袋にタコ100gって書いてあるよ。」と、同居人に話しかけてみる。

「今日買った茹で蛸のグラム数は、300gだねぇ。多すぎるんかなぁ。」との、返答。

なんとも、しまりの無い会話だね、こんなのは昔好きだった人に聞かれたくはないな。

懐かしさも薄れてきて、だんだん気恥ずかしくなってきた。

そんな時に限って、同居人が食材を詰めたビニール袋を閉じるためのセロテープをからめて、

「んも〜ぅ。゛(`ヘ´#) 」と、一人テンパチャーをあげている。

「相変わらず、鈍くさいんだな!恥ずかしいから、早くしてよ!」 心の中で文句を言う。

投げ入れるように食材を詰め込み、そそくさとその場を後にする…。

「もしかして、ガレージでふたたびあえるかも。」 下心は空しく我々の車は帰路へ。

彼が近隣に住んでいるとなると、また会えるかもしれない−そんな望みを運命に託すのもまた、楽し。


完結しない恋情はあとあとまで尾をひいて、ひょんなことで再燃したりするのかな。

自分のなかで決着はなるべくつけた方がよろしいんでしょうけど、

「まだ好きなのか?好きなのは幻影か?昔の彼と今の彼は、どう違うのか?」

ぐずぐず思い巡らす時間も捨てがたい…。




2002年04月11日(木)
よぉ、かわいこちゃん♪

アメリカで、学校の無い時間は、日本人街のとあるジャパニーズレストランで、ウエイトレスをしていた。

なかなか、忙しかったです。

出来上がった注文の料理を受け取るとき、あるいは片づけの食器を置くとき、厨房のステンレスの台の上に手を伸ばすと、

メキシコ人の皿洗い君が、私の手をサスサスさすりながら、

「ママ・シータ♪?」 と、必ず声をかけてくれた。

さすが、中南米の人間は明るくて、愛想が良いな。

私の頭の中の図式は、いつの間にか、

“ママ・シータ” = “ Are you fine? ”→ “元気かい?”に、なっていった。



ある日、クラスでコロンビア人と目が合った。
さぁ、お国の言葉で話しかけるチャンスよっ♪

『ハァ〜ィイ♪ ママ・シータ♪?』(ノ*゜▽゜*) 思い切り愛想良く!ネ?

にやにや リアクションを想像する私。

『(ノ°ο°)ノ オオオオ よく、ボクの国の言葉を知ってるねぇ?
どこで、おぼえたの?』

 ↓

ヾ(^ ) ナデナデ してくれる彼。

 ↓

( ^ ≧^) 鼻ターカダカーっ!の私。

・・・・になるはずが、予想に反して、彼は、真っ赤な顔で、抗議してくる。

『ノーッッ!!ノオオオオオっ!』

なんやねん、うるさいやっちゃな。

だいたいやな、わざわざ君のお国の言葉で、ご機嫌を伺っているのにやな、なんで、怒るン?“ノー!”は、ないやろ?ちっと、がっくりやわ。。。

しかし、よくよ〜く彼の言い分を聞いていると、

『ママ・シータ』って、

『よぉ、かわいこちゃん♪(¬ー¬) にやぁ』というニュアンスに使われるらしいですやん。

あらまぁ、ごめんなさい。(笑)

ちなみに、男性に声かけるときには、『パパ・シートゥ』。

それからのクラスでは、目と目が合うたんびに、

これらの言葉がささやかれました・・・とさ。

勿論、性別やご趣味に注意だぁす。



よくよく、思い起こせば、

そのバイト先のメキシコ人に 「ママ・シータ♪?」と声かけられた時には、

胸をはり元気に、「 \(σ_σ)イエーッス♪!!」と応えていましたよ、

意味のわからぬうちは、毎回。

ご覧になられましたか、無知の知の力強さを?!

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ