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HELEN&HEAVEN
Helen
MAIL

2002年07月19日(金)
レイザービィイイイムっ!

今日は、恒例の経営コンサルタントが会社にやってきた。

各部署をまわり、やれ、あっこが汚い・ここがなってないなどと、蘊蓄をおたれになられ、お金を貰える良い仕事・・・。

前日から、部署内はもとより机の中を念入りに掃除し、紙袋を何個もかかえ更衣室の空きロッカーにしまいに行く。

このオヤジの言うことは化石時代ぐらい古く、矛盾点は現在の構造改革のように多々ある。

例えば、常に整理整頓をうたう彼は、ゴミ箱のなかにゴミがあるだけで怒り出す。
ゴミ箱のなかにゴミがあるのは当たり前だと思うけど、どうもゴミが溜まってるのがダメらしい・・・。彼が来るときはゴミ箱でさえ、隠す・・・。
まったく、仕事になんないくたびれる1日である。

・・・そんな中ではあるけれど、今日こそは行こう!と固く決意していた所がある。
もう、2年くらいサボっているのだが、お肌のために通っていた皮膚科である。

目の下のそばかすというか、こまかなシミはレーザーではとれない。

コウジ酸の塗り薬を綿棒の先にとり、患部にちょちょっと塗る。 >邪魔くさい。
コウジ酸は熱に弱い生き物なので、冷蔵庫に保管せねばならない。>邪魔くさい。
内服薬はビタミンCとEを毎食後。>邪魔くさい。
医院は遠くて混んでいる。>邪魔くさい。

そんなこんなで足が遠のいていたが、この春から急に目の下のそばかすというかシミが濃くなって来た。

いかんいかん、私はネット(逆)アイドルなのよ!!
シミなんか作ってる場合とちゃうで。
基本給以下のなけなしの雀の涙のボーナスをすべて美肌につぎ込む決意をした私は、その前に通い慣れた皮膚科に相談することにした。

久々に訪れた皮膚科では、すこしぽっちゃりめだった受付兼看護婦さんが、痩せてべっぺんさんになっていた。

若くてハンサムな先生は、すこし、老けておっさん顔になっていた。

事情を説明していると「最近出てきたシミならレーザーでとれます。」とおっしゃるの。

「え?(@O@)?! ほんま?そうか!取ってくれ!ならスグ取ってくれ!今すぐ!!
 さぁさぁ、 >^*)ばぅばぅ!!」

とりあえずは、右っかわだけ・・・。

十円玉を楕円形にしたみたいなアイガードを目の上に置かれる。

実は、この医院でレーザー施術を受けるのは、2度目で、1度目は、ほっぺにあった直径5mm程度のホクロを取って貰った。

右の頬の真ん中にあるホクロはファンデーションの邪魔をし、「良妻賢母だけれども好事魔が多し・・・うんぬんかんぬん・・・」と人相学の本に書いてあったホクロ・・・。最初は単なるそばかすだったのが年々成長して、しまめには毛までも生えて来た。
悪性か良性かもわからない・・・。
えぃっ!とっちゃえ。。。

施術はレーザーより麻酔の注射のほうが痛かった。
2,3本打ったんだろうか、つねられているみたい・・・。^^;
施術が始まると、髪の毛が焦げるような臭いが鼻腔をついた。
「さよなら、ほくろチャン。」
多少は、愛着があったから寂しかった。

施術そのものは、5分くらいですみ終わったあと鏡で見せてくださったが、
すでに薬が塗られていて良くわからなかった。

入浴後とか洗顔後は自分で塗布しなければならない。
その晩、入浴後に鏡にむかうと、正露丸を1個詰められそうなくらい陥没した穴を見て、驚いて少し泣いた。今は、フラットになっていて、ほぼわからないです。

さて、今回のシミ治療レーザーは、ほくろのとは違うレーザーのようです。
以前、別の皮膚科医院でむだ毛のレーザー脱毛をしたのですが、どちらかというとそっちの方に近いかな?

診察台に仰向けに寝て、患部にジェルを塗りレーザーをあてる。

しっかり目をつぶっていたにもかかわらず、アイガードを通して、
赤い光りが炸裂する。(まぶたの裏の血管がうつってたんでしょうね。)

5,6発打ったのかな?
そのたんびに、体がびくんびくんとするのです。
優しい先生は、「はいー、ちょっとびっくりしたねぇえ。大丈夫ですからねぇえ。」となだめつつやってくださるが、あまり実のないしゃべり方だ。(笑)

施術は、やはり5分以内で終わり、お薬を貰い1週間後に診断が入る。
ファンデーションを塗って帰ることが可能なので、見ると擦り傷みたくなっている。
このかさぶたがしばらくしたらはがれてくるんだ。
今回は、右側だけ・・。左側のコウジ酸用の夜・朝用クリーム、レーザー跡用のクリーム、ビタミンCとEでしめて、1万1千600円なり。(レーザーは1回1万円)
美容外科よりかは、良心的な値段だろう。

・・・とにかく、レーザー照射自体はちょっとぴりっとする感じで、痛くはないんですが、心の準備が無いままに行ったもので、精神的にダメージをくらう。(笑)
おまけに、昨日からレディスデーだ。肉体的にもしんどいものがある。

少しひりつく頬を気にしながら、河原町にある化粧品・化粧道具専門店に行く。
バネの利いたまつげビューラーを発見、少し、ご機嫌になる。
他にも、かかとケアクリームを買う。パープル系のアイシャドーパレット、むだ毛抑制クリーム、パールの入った下地クリーム・・・。親の敵のように買う。しめて5千円なり。少し気が晴れる。

帰路、何度もため息が出る、くたびれているのと安堵とで。

昔、派遣で一緒だった大奥のようなお局のおばはんに、「ため息ばっかりついてたら、ため息ばっかりの人生になる。」と注意されたことがある。仕事がきつかったんだな、その時。
当たり前といや、当たり前の理屈やが、ため息ぐらいつかんとカタルシスになるかいや。

そのもっともっと昔、ジュースを一気のみしたあと、「ぷはーっ!」とため息というか吐息を出したら、「子供のクセにため息つくな!」と父親に理不尽な怒られ方をされたことがある。
「いつか、オトナになったらしばいたる!」(おいおい)そう思ってる間に、先に亡くなってしまった。

ため息を漫画の吹き出しのように、ぽんぽこだしながら、帰宅すると郵便ポストに、エアポストメールが!!

遠い異国のその絵はがきは、私をアッという間に有頂天にしてくれた。

食欲がうせるくらい疲れ果てていたはずだったのに、お腹がいきなり「ぐぅ」と鳴いた。

ありがとう。

そして、SZIA!!



2002年07月18日(木)
土曜の丑

土曜の丑の日をうたったのは、貝原益軒でしたか?

今日、会社のM下ヲジに鰻をもらった。

以前にも1度、いただいたことがある。
滋賀県の鰻で、さっぱりしていて身が引き締まっていて美味しかった。
スーパーの輸入物と違い、全く泥臭くない。

大きな紙袋から、ごろんごろんと鰻を5包装分。

「1匹は、ファ○マさんに。」
「1匹は、○理ちゃんに。」

「そして、この3つは、Helenに。」

私:「(ーー ) ええ〜っ?こんなようけいらん。」(3匹も食ったら鼻血がでちゃうよ。)

M下ヲジ:「ぬぁあにおおおおおおーーーーっ!!」

事務所前の給湯室で力いっぱい怒鳴る。

私:「しっ!大きな声出すなっ!ヾ(ーー ) 」


このM下ヲジは、耳が遠いわけでもないのに地声が大きく、怒鳴るように喋るので、1日に3度ほどは、

 「そんな大きな声出すな!」と注意せねばならない、可愛いやろうです。(笑)

そんな大きな声を給湯室で出したら、事務所に居る経理兄に筒抜けやんかいさ。

経理兄は、けっこう気前が悪く(ケチとも言う)、人様におすそわけしたりちょっとしたものをプレゼントしたりする習慣がないので、彼の元には品物はまわっていかない。

M下ヲジ:「実家のおかんに食べさせてやれぇ。」

私:「そやな、喜ぶわ!おおきに♪」

M下ヲジは5月に一旦定年退職した。

だけど、部下が出社拒否するような情けない男子二人なので、辞めきれないでいる。
部署には、ナ○ちゃんとインドネシア人のファ○マさんがいる。

M下ヲジの夢は、ろ国に「女を買いに行くこと。」らしい。
口癖のように語っている。

「そんなもん、ジーパンとか革ジャンもってったら、一発やんけ。」

時代錯誤も甚だしい寝言を真顔で言うので、腹を抱えてわらうはめになる。

以前、¥ショップT富士の放火殺人事件があったとき、テレビニュースでうつされた犯人のモンタージュをみて、会社の皆が「あっ!」と驚いた。

M下ヲジに、そっくりだったのだ。

翌日、会社でそのことを皆にからかわれると、

「そやねん!!昨日、帰るとき道行くみんなが俺の顔ジロジロ見よるねん!
 なんでかな〜っ?て、ずーっと不思議に思っててん。」

T富士の犯人はつかまったが、モンタージュは圧倒的に実物よりもM下ヲジの方が似ていた。

いまでも、その当時、道で貰ったポケットテッシュの裏をみると思い出す。

さて、うなちゃん。実家に持っていくついでに、そうだ、実家の近隣にある歯医者のじぃちゃんに1匹もってってやろ・・・。

ほかほかの鰻をクチに入れるとき、もう一人、食べさせてあげたいネット上のお友達を思いだした。




2002年07月15日(月)
缶ピース

先週の週末、久しぶりに歯医者のジィちゃんから会社に電話があった。

たいてい私が電話を取るのだが、運悪く(?)経理兄がとった。

「え?へ?あの、えっと、Helenですか?」不審そうな応答をしている。

経理兄:「歯医者の○田さんから。」

いつもかかってくる相手やから、すぐわかるやろ?勿体つけてないで、早よ電話まわしたらんかいっ!内心、舌打ちしつつ電話をかわる。

じぃちゃんの話しは、「缶ピースが欲しい。」そうだ。
今まで購入していた医院の近くのタバコ屋がこのたび区画整理で、道幅を広げるために立ち退きになった。
缶ピースなんてレアもの今では百貨店ぐらいにしか置いてないだろう。
百貨店まで行くのはちょっと遠いな。

「どこぞ、売ってるところを知らないか?」ということだが、

禁煙して久しい私はわかりかねる。
ネットで検索してみようか・・・。

とりあえず、会社の喫煙者に聞いてみた。
会社の近くのタバコ屋で取り寄せて貰えるらしい。。

2缶で1,400円。高いのか安いのか・・・。1缶50本入りなので、妥当なところか。。。

缶ピースを持ってひさしぶりに歯科医院によった。

「まぁ、ちょっと休んでいき。」

途中でチョコレイトをよばれつつ(歯医者のわなか。(笑))話し込むこと1時間。
実は、このあと接骨整体院に寄って肩こりの治療をして貰わねばならない。
実家にも寄ることになっている。

歯医者のジィちゃんに尋ねる。

私:「先生、次の患者さんは何時に来はるの?」

ジ:「あぁ、わしはもうすぐ帰る。」

先生はもう歳なので、予約少数の患者しかみない。

患者さんの来院をきっかけにおいとまする計画は頓挫した。

それから、また1時間。

政治のこと、経済のこと、哲学のこと、食べ物のこと・・・お話しは続く・・・。

(−−; 楽しいけれど、早よ、帰してくれ〜。

合間に、2度ほど「わし、タバコのお金はらったか〜?」

2度ほど、「最初に貰ったよ、だいじょうぶ。」応える。

涼しくなったら、車で美味しいモンをどこか遠方に食べに行く約束をした。
通院歴は長いがプライベートで食事に行くような、そんな約束は初めてだな。
先生の奥さんは、胃ガンを何度も切ったので、もうそんなに持たないだろう。

私には、私が産まれる遙か前に亡くなっていたため両方の祖父の思い出が無い。
きわどく片方の祖母の思い出があるだけだ。

子供の全員が東京にいて、いづれ東京に引き取られて行ってしまう歯医者のジィちゃんには、今のうちに出来うる限りのすべてのことをしてあげたい!と常々考えております。




さて、その日の夕方、経理兄が語ったところにより、電話応対時の不審そうな応答の謎がとけた。

経理兄はさも、オオゴトのように「あのな〜、歯医者の先生なー、Helenの名字が出てきぃひんで、“あの〜あの〜、いつもの女のヒト!”と言わはってん。」囁いてくれた。(笑)

名前のど忘れぐらい誰だってあるわいや。

そんな些細なことをさも老人ボケのようにたいそうに言いやがって!と内心腹が立った。
まぁ、多少呆けはあるが、そんなことで馬鹿にしたクチを聞いて欲しくはないな。

でもま、この人の(経理兄)人間性の底の浅さは、わずか3cmくらいなので、勘弁しといたろ。

歯医者のジィちゃんのは、古井戸ぐらい深いので所詮、勝負になりませぬわ。
Ψ(-◇−)Ψオッ〜〜ホッホッホッ〜

この頃の経理兄、仕事中にネットオークションを閲覧し、「よっしゃ♪よっしゃ♪」と非常にうるさい。

そして、3日とあけず、落札されたフィギュアが代引きで送られてくる。

36歳、性格がとても幼稚で女性的なのでフラれること数十回。持てないクン歴を更新していたが、数年前、バツ一の今のお嫁ちゃんを、気合いを入れてスポーツジムでゲットしてきた。

嫁ちゃんは、4つ年上で、小さくて丸い。
身長が160cmそこそこの経理兄と並ぶと雛祭りみたいでかわいい。
容姿はアンパンマンに似ているのだけれど、妙にエロい。
エロエロあんぱんまんと密かに名付けている。(こらこら)

仲良きことは、善いことかな。
たで食う虫も好きずき・・・。




次の日、また、歯医者のジィちゃんから電話が入った。

「わし、タバコのお金払ったかー?」

払ったよ、だいじょうぶ♪

じぃちゃんのためなら、100万回でも応答してあげたい。



2002年07月08日(月)
三重県〜滋賀県へ

さて、7/7のお墓参りデー。

帰りにもうひとつ寄り道したところがありましたのよ。

それはね、滋賀県は信楽・・・。

今回は三重県から信楽に入ったんですが、以前、京都を南下して城陽の方から信楽の陶芸の里の奥のおく・・・MIHOミュージアムへ仏像を見に行ったことがある。

http://www.miho.or.jp/

うねうねと続く山道で、車酔いし、死にそうになった。

今回、信楽へ行った目的は、実は、ここ数ヶ月 “傘立てが欲しい病”に取り憑かれていたためだ。

実家にもそうだけど、記憶に有る限りは傘立てのある生活をしたことがない。ほとんどが、下駄箱とワンセットだしね。

傘なんてもの、塀のそのへんちょにかけとけば良い。

ずっとそう思ってきた。

ところがある日、家に“傘立てがあったら、映えるかも?”(何に映えるかは別として)それからすっかり“傘立て”にとりつかれ、家具屋さんへ行ってもホームセンターへ行っても、“傘立て”しか目に映らなくなってしまった。重傷である。


信楽についた頃、もう、5pm過ぎでほとんどの店々がすでに閉店しているか、閉店準備をしていた。

きわどく開店しているところを探し出し、廻ること4軒。

狸の置物じゃないんだ、河童のでもない!

「傘立て!」傘立てだけが欲しいのよ。

でも、思うような傘立てが無い。

どの店のも、同じ窯元を利用するせいか、無個性だし。

たまに個性的なNiceなのを見つけても、数万円の値札を見れば躊躇する。

そんななか最後の最後の5軒目で、これを見つけました。









最初、これには値札がついてなかった。

しかも、あきらかに野ざらしにされ、おまけに太陽のマークにはカビが生えていた。

そして値段交渉。

四角いタイプのって手間がかかるから、丸いタイプよか高価なんだって!

1万円ぐらいふっかけられるかと思ってたけど、

「1万5千円するところだけれど、すこし、傷もあるし、5千円」

と店のお兄ちゃんがゆったときは、即決。

お兄ちゃんはレジのところでカタログを見、ちょっと後悔していた。

「見たらあかん!」とひきとめたのに。。。

「信楽焼のなかでも骨董かも。」と兄ちゃんは言うてたけど、うそつけ、こんなイタリアンな信楽焼きなんてありまっかいな。。。

でも「絶対に信楽焼!!」と言い張るので、信じてあげるけれども、このデザインが気に入ったので、別に産地はどこでもイイ。

ある朝、この傘立てが盗まれでもしていたらショックのあまり私は、欠勤するだろうけれど、毎日、玄関で送迎してくれるのは、それはそれは嬉しいものです。





2002年07月07日(日)
墓参り...。

伊勢湾を見下ろす小高い丘に、その集合墓地はあります。

お墓を移転して、まだ、一度しか訪れたことがありませんでした。

私が中学生の時に亡くなった父の墓です。
正確には父と父の母が入っていますが、私はその祖母と対面したことがありません。

「すべての我がままを受け入れてくれ、とてもできた姑だった。」と、わがままな母が言いますので、それはそれはできた人間だったに違いない・・・。(笑)生きている内に対面できなかったのが残念です。

集合墓地はいくつかのブロックに分けられ、そのなかでも列と番号と・・・。同じデザインの墓石なので、番号を控えて置かないときっと迷子になるでしょう。

綺麗に整地され、芝をひかれ・・・、さてHelen家の墓前まで来ますと、黒い点・テン・てん...。

それは、鹿のふん・・・。ё゜)プッ

しかも人ん家の墓の前だけ!!<( ̄> ̄||)>!!!オーノー!!!<(|| ̄< ̄)>

こんなんいややー。

「いはやは、動物好きの父だった。。。」とかなんとか言い訳をしつつ、お供えを広げる。

ショートホープに火をつけて、墓石にのせる。
ビール缶をあけて、墓石にかける。
ワンカップをあけて、墓石にかける。

広げたお供えをしまい(一応規則で供えっぱなしにできないようになっている。)、タバコもけし、墓石を綺麗に水で洗い清める。

一連の動作は淡々と、だけど、遠くてなかなか来られなかったことを心中でわび、墓参りは無事におわった。

鹿のふんが土に早く帰ることを願って。ё゜)プッ



  帰りは鳥羽まで足を延ばし、
  二見シーサイドパラダイスへ。
  このモノクロのスナップは、夫婦岩をバックに。
  少し、まぶしかったのですが、おでこは天然です。
  ё゜)プッ








             水族館の中にて。
             壁紙になりそうなエンゼル・フィッシュ画像。
      駐車場のタイムスタンプにて、今日が七夕であることを知る。







  魚君にそっくり♪(動物奇想天外とかに出演してる。)







蒼い水槽でゆらゆら揺らめくクラゲは神秘的で、いつまでも見飽きません。
クラゲ大好き♪刺されなかったらもっと好き。



さて、墓参してなんぼのもん!のお墓をあないな遠方に作った母の心理が理解しがたい。

「なんで、あそこにしたの?!モォ (`ヘ´)」と問う娘に母は、言い放った。

「だって、まだ、遠いとこにお墓作った人、他に居るもん!兵庫県とか!!(に墓があるそうな)」

兵庫県と三重県・・・。

京都からは、どちらも微妙に遠い。(´・`) ふっ



2002年07月04日(木)
袖ふれあうも他生の(多少の)縁

数年前、親しいお友達からメールで心理テストをいただいた。

たぶん残っているはずだから、さがしてみましょう。
(無かったらあきらめましょう。)

心理テストを順当にこなしていくと、「今、とぉても気になる異性」があらわにされる。(*/∇\*) キャ

その時、なぜだか、会社のN田君だった。
一番無難なこたえだと思った。

N田君は、高齢の夫婦に生まれた一人息子である。

我が儘ではないが、競争心というものがない。

のんびりおっとりとしていて、福助人形に似ている。

全体的にむちむちしていて、可愛い。

ある日、N田君のパンツ姿を見てしまった。

弊社の更衣室は食堂に隣接してい、オープンなのだ。
(近年女子更衣室だけ、カーテンがついた。)

青地がベースの柄パンだ。(得した。)

N田君は、今年の正月明け、出社拒否をした。

出社拒否というか、なんとなく来づらくなって、連休を重ねたんだな。

(詳しくは、この表日記の正月明け部分2002/01/09で。)

2週間近くなってきて、退職の手続きを始めようとしていたときに、社長が連れ戻して来た。

今、そのN田君の部署をお手伝いする機会が多いのだが、たまに、
対面で仕事をするときがある。

「N田君、今日、ひげ、そり忘れたやろ?」

「お正月明け、なんで会社に来やへんだん?」

「休んでる間、どないしてたん?」

ぽそぽそと興味のおもむくままに尋ねるので、煙たがられている。

休んでいる間の苦悩と焦燥はいかばかりか?!

涙ながらにせつせつと訴えて欲しいのに、(←テレビの見過ぎ。)

「はぁ、別に何も考えてませんでした。」

N田君のお返事はつれない。




そんなN田君家の飼い猫がある日脱走し、ご懐妊のち戻ってきて、7匹の子猫が生まれた。
うち2匹は死亡。

残り5匹のうち、女の子は、たったの1匹。

1/5 の確率のその子は、今月末か来月に親しい友人に貰われていく予定だ。

今日、使わなくなった家のポラロイドをN田君にプレゼントした。

「しっかり撮影(子猫)をしてね。」(半ば脅し。笑)

友に、早く見せてあげたい。



2002年07月01日(月)
至上の愛 < Amazing Grace >

先日、『十戒』という映画をビデオでやっと見終わった。

長いので、幾日間にわけてコマ切れにみた、モーゼの十戒。

人が人の上に立つことも下になることも、不条理だということを改めて認識した。

十戒

1.神は一つである。

2.偶像を崇拝してはならない。

3.神の名をみだりに唱えてはならない。

4.安息日を守る。

5.父母を敬愛せよ。

6.人を殺すなかれ。

7.姦淫するなかれ。

8.盗むなかれ。

9.偽証するなかれ。

10.貪欲になるな。

耳に痛いことばかり・・。(笑)
儒教の教えにも通じるものがありますね。

7番目の『姦淫』についてですが、旧約聖書では、性を決して蔑視していないのです。性を尊重し、大切であるからこそ、旧約の厳しい性倫理があります。性が“聖”であり、重要であるからこそ、不正な性交(不倫、近親姦、神殿娼婦、獣姦など)を姦淫と呼び、性/聖を汚す不義行為として、厳しく罪としたのです。

夫婦愛の関係が人間関係の出発点であり、しかも神と人との関係の原点としています。旧約聖書では、神と人との関係がしばしば夫婦愛の関係に譬えられています。エロスはアガペの原形として尊重されているのです。

キリスト教ではエロスとアガペに分けて、エロスは男女間の愛で、アガペが神への愛でありより高級だとしていますが、プラトニック(プラトン的な)ラブというように、そもそもアガペという観念もギリシャ哲学からのもので、旧約思想にはもともとありません。夫婦の愛も神の愛も同じなのが、霊肉一元論のヘレニズムの思想なのです。性への偏見は全くないのです。
     
   ↑ − ここまでは、引用させていただきました。

   ↓ − ここからは、貴蔵さんに教えていただきました。(新聞の切り抜きより)

本来の「エロス」とはセックスなどの狭い意味ではなく「自分の足りないところを補い合う愛」という意味であり、「求める愛」である。

対してアガペは自分の持てるものを他者と分かち合いたいとする「与える愛」であり云々...

・最近は相手に要求することの多いエロス的な愛が氾濫している
・無償で他人に尽くすアガペ的な愛は敬遠されがちである
・そのため、現代の人間関係はギスギスしているのかもしれない。
・どんなに愚かしく見えても同じ地球上の今を生きる人間同士、もっとアガペ的な 愛を送ろう

切り抜きの筆者は上智大学教授のアルフォンス・デーケン氏。




最近、今更ながらに思うことは 「愛」ってなんやろう?

例えば、私は私自身を愛するみたく隣人を愛したいとは思うけれど、腹の立つこともままある。
この頃思うことは、彼も彼女も私を映す鏡なのではないか。−ということです。

例えば、あの人の“こすっからい”点が妙に気になるのは、それは自分の中にもそのような点を包括してい、まざまざと見せつけられるから、腹が立つのでは?と思う。
可愛い自分には甘く過大評価したい、汚い部分なんて観たくないよ。


20歳前後で運命が変わるような関わりをした人が居て、それは良くない方へで、私は長い間その人を恨んでいた。

アメリカで英語を学んでいたとき、在住の日本人の年長者にそのことをチラリと話すと、彼は仏教徒であったが「許しなさい。」と即答したね。

「許せるわけないやないの、ずいぶん苦しんだで。」反発心しか湧いてこなかったけど、未だに“許せる”ような境地に居るとは言い難いけれど、憎しみからは解き放たれたような気がする。

しかし、“許す”という行為が出来ないで居ると、ずいぶん、精神衛生上良くないというか、自分自身がシンドイね。

それに捕らえられて後退こそすれ、一歩も前へ進めないからです。
一歩も前へ進めないということは、これは人生に於いては損失だと思う。

そんなこと理屈ではわかってはいても、なかなか、感情が『yes』と言うてくれなかった。
些細な感情の行き違いから他人を傷つけた、友を失ったりもした。
それはそれで、『縁』の物という言い方もできるし、本当にそれだけの関係やったかもしれぬ。

今、身近で他人の過去の失態を許せない人が居る。
傷をおったまま、ともすれば、その傷を押し広げては味わっている様子でもある。

じくじくじくじく、執拗に過去と相手を責め立てる。

若かりし頃の自分を観ているようで、とても、辛い。「堪忍して。堪忍して。」と何度も思う。

今仮に、その人に「許せ。」と言ってもそれはできない道理で、とてもじゃないけれど口に出すことはできない。

『日にち薬』− 時間の経過がその人のささくれた感情をおしなべてくれるのを待つのみなんです。

せめて、「仲違いはやめようぜ!アガペの愛を持ちましょう。」
ちょっと幼稚な方法かもしれないが、心の中で念力よ発生せよと、一生懸命祈ってます。