マスメディアは情報を操作するから、あまり信用してない。 それでも、あまたの情報の中に、キラリと光るモノを見つけると嬉しい。
先日、久々のヒットだな…と思う「天○人語」があった。 エビジョンイル(元N○K会長)を、あてこすったような内容だったか、批判したような内容だったか(全文切り抜いていないので、忘れちゃった。) 「これは!」と思う内容だったので、忘れないうちに記しておこう。
人生大病只是一傲字【人生の大病はただこれ一の傲の字なり】 『伝習録』−王 陽明
「傲」 自分の能力や才能を鼻にかけて人を見下すこと。おごる。あなどる。『謙虚』の反対語。 「謙虚」 素直に他から学ぶ気持ちがあること。
王陽明は人生の最大の病気は、「傲」の一時に尽きると言う。
さらに、「子となって傲なれば必ず不幸。臣となって傲なれば必ず不忠。 父となって傲なれば必ず不慈。友となって傲なれば必ず不信。」
つまり「傲」には善ことは何一つもないということを述べている。 厳しいですね。
さて「傲」の予防法は… 「無我」になることだそう。
「無我になれば自ずから能く(よく)謙なり。謙は衆善の基(もと)にして、 傲は衆悪の魁(さきがけ)なり。」
「無我」 1) 自分の利益を考える心が無いこと。無私。没我。 2) 我を忘れること。
無我とは、胸中になにものもとどめない境地であり、生まれながらの心を表す。無我の境地とは、単純に「我を忘れて無心なこと。」のように考えていましたね。 もっと突っ込んで「欲をなくする。」行為も同時進行しないと、いけないのかな。 「欲」を無くするということは、(大西良慶元清水寺貫首の言葉を借りると)
例えば人間「食欲」をなくすると、死んじゃいます。 そこでアイロニーが発生するのですが、大西良慶は「良い欲」と「悪い欲」に分けていらして、 「人類欲」(人類のために、何か研究開発を行う)のような欲は良い欲。 「あいつを騙して儲けてやろう。」というような欲は悪い欲。
…というような具合。
確かに「傲慢」な人には人類欲なんてもの、感じられませんね。
逆に無欲で何かなされようとされる方からは、「傲慢」な雰囲気は漂ってきません。
私が思うに「親の恩」を認識するまでの(自分を含めて)若年層が、一人で木の股か何かから生まれ落ちて、一人でオシメを変えて、一人で離乳食を整え、一人で義務教育を終了したかのように、勘違いしていることは、世の習いだけれど…
そうではないこと(一人で生まれ育ったのではないこと)を認知する歳が、この頃は遅くなって来ているような気がします。
その大西良慶の本のなかで「恩」という章があります。
「人は、あらゆる人の恩恵なしに生きていけない。」
For example:生み、育ててくれた親の恩。自分を支えてくれている社会の恩。
すべて、恩恵によって、いま自分たちは生きている。
…と、こないなことを抜粋すると、
「誰も生んでくれと頼んだ憶えはない!」と、返って来るのやろう。
まぁ、若かりし頃の自分も言うた憶えがあるような、ないような。(笑)
若かりし頃の自分も含めて、「頼んだ憶えはない!」と減らず口をたたく奴は、「ほな、今すぐ死ね!」と、思います。(笑)
ただし、人に迷惑になるような死に方はイカンと思うので、どっか、遠いところで、うーん…願わくば、死体の上がらないところで死んで来い…と思う。 それにしても、それも親や周囲に不実だな。
ちょっと、論点がずれて来ましたが、つまり私の真意は… 一切衆生の恩を実感すれば、「傲」の気持ちも、失せてくるのではないかな?と、いうことです。
「傲」って、なかなか難病ですね。
---------------------------------------------------------- ★ 予備知識 ★ おう‐ようめい 【王陽明】 (一四七二〜一五二八)中国、明代の思想家。余姚(よよう)(浙江省)の人。名は守仁。字(あざな)は伯安。陽明は号。諡(おくりな)は文成。宸濠(しんごう)の乱を平定した功により、新建伯に封ぜられた。陸九淵の学をうけ継ぎ、知行合一説・致良知説を主張して一派を成し、王学・陽明学と呼ばれる。 あざな 0 【▽字】
(1)中国で、男子が成人後、実名のほかにつけた名。実名を知られることを忌(い)む風習により生じ、字(あざな)がつくと実名は諱(いみな)といってあまり使わなかった。日本でも漢学者などが用いた。
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