私が生まれた時は、生家の一番はぶりの良かった頃だ。
私のすぐ下、末っ子の弟が生まれた時は、すでに家計は火の車だったらしい…。
成長した今は、牛1頭くらいへいちゃらで平らげちゃう私だが(うそですよ)、幼少の頃は食が細く神経質で、ガリガリのゴボウみたいな子だった。(これは、ほんとです)
園への送迎バスでは、ほぼ毎日、車酔いしてもどしてたし… 何よりも給食の時間が苦痛で苦痛で… 給食全部完食したことないし、時間内に食べ終わらないと、こっぴどく叱られたので、いつも職員の目を盗んでは、窓の下に捨てていた。
そんな幼稚園生活がイヤでいやで… 行きたくない!と駄々をこねては母を困らせていたらしい。
その頃、まだ家計に余裕のあった母は、1枚の板チョコを交換条件に、わたしをのせた。
それは、ロッ○のガーナチョコレイト♪ 毎朝、黄色い幼稚園カバンに入れては登園してたな。
…毎日、食べた憶えがないのは、幾日分かは母や兄の胃袋におさまっていたのだろう。
ある日、幼稚園で事件は起こった。
他の園児がチクッたか、何かのはずみでバレたか、とりあえず、副園長先生に見つかっちゃったのだ。
その園は、家族で経営してらして、園長先生がオット、副園長先生がヨメ、先生陣はヨメの姉妹…(と、幼心にもわかるのは、すべて副園長先生に似ていたからだ)という家内産業だ。
なかでも一番恐かったのは、副園長先生。
体躯の堂々とした、中年のおっかないオバサンだった。
顔は、鬼瓦に似ている。
いつも怒ってばっかりいたから恐かったのか、それとも鬼瓦に似ていたから恐かったのか… ニワトリとタマゴ論になってしまうが、とにかく、鬼瓦副園長先生に見つかっちゃった! (@Д@; アセアセ・・・
鬼瓦副園長先生は、間髪をいれず、わたくしの可愛いほっぺたこに平手打ちを食らわした。 モミジのような手形は、夜までもジンジン私の顔で自己主張していたもんだった。
今も、ご存命だろうか… 風光明媚な観光地のその園に、今は、わたしの甥っ子が通っている。
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