先日、ファ○マさんの家を訪ねた折、またもや本棚から亡き旦那様の書籍を頂戴した。
綺麗好きのファ○マさんは、ほっておくと貴重な書籍まで処分してしまう。
私:「ファテちゃん、(本類は)捨てる前に、私に教えてネ〜。拾いに来るから。(笑)」
ファ:「まだ、あるヨー。どれか、持ってきマスカ?」
二人で本棚を眺めていたら、
(゜O゜;アッ! 私が読みたいと思っていた本があった。
西田幾多郎 『善の研究』 レビュー 内容(「BOOK」データベースより) 西田(1870‐1945)は、主観と客観、精神と物質などをいかに統一するかという哲学上の根本問題の解決を、直接に与えられた純粋経験に求め、そこから出発して知識・道徳・宗教の一切を基礎づけようとした。のちの西田哲学の出発点ともなった本書は、明治以後、日本人の手になる最初の哲学書といわれ、多くの人に迎えられて今日に及ぶ。
日本の哲学の草分けらしいが、これだけを読んで西田哲学を理解したような気にはなってはいけないと、カスタマーレビューに書いてあった。
石川県に生まれ、のちに京都帝大の助教授になられた。 妻子に縁の薄い方だなぁ…という印象がある。
とても素敵な歌を遺しておられるので、ご周知かと思うけれど紹介させていただこう。
『人は人 吾は吾なり とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり』 独立独歩の潔さが好き。
『あさに思ひ 夕に思ひ 夜におもふ 思ひに思ふ 我が心かな』 実は、この歌が、一番好き。
渾身を込めて思索を練っている姿が浮かぶ。 パスカルの言葉を彷彿させる姿だ。
「いくら考えても、せんのないこと」− そうは開き直りかけるが、やはり、人間は生きている限り、思考していくことが努めかな…とも思う。
とても難しい本なので、まだ数ページしか読めていない。 もしかしたら(いや、たぶん)内容を理解するには、まだ、成熟しきっていないのかもしれない。
何かの拍子でブックカバーが外れた。 そこにファ○マさんの亡き旦那様のサインが(旦那様は本やお薬の箱など、なんでもかんでも購入日と自分のサインを入れるクセがある)入っていた。
今回は、サインと共にセンテンスが記入されている。 「02年 11月○○日 cancerと告げられ○日め。」
結局は、この月の後半に逝去されたのだが、どんな気持ちで、この本を購入されたのだろう…少し、胸が痛くなった。
ファ○マさんのご主人が亡くなって、もう、2年経つのか…。 日本にインドネシアの親族が居ない彼女のため、亡くなった日に泊まりに行って、ウロウロおろおろしていたのが昨日のようだ。
夫妻の親族は双方とも「誰も来ない。」と聞いていたのだが、急遽、ご主人の弟さんが隣の県から来て下さることとなった。
そのご主人の弟さま、私の顔を見るなり開口一番こう言った。
「…で、あなたはいつ、日本に来たの?」
(;´▽`A``「日本生まれですけど…。」 日本人やっちゅーねん。
次の日の朝ごはんを皆で食べながら、ご主人の弟さまはまた言った。
「…で、あなたはいつ、日本人になったの?」
最初っからやっ!ちゅーねん。
どうも、インドネシアのファ○マさんの親族だと思っていたようだ。
他にも…
日本語が書けないファ○マさんのため、『香典返し』の手配をしに、ファ○マさんの団地の隣の高○屋の分店に行った折り、 店〃人が、ことごとく私の顔を見て言った。
「(ファ○マさんの)妹さんですか?」
オイっ・・ (;´д`)ノ それにしても、日本語が堪能だし、送り状の字もスラスラ書けんべ?!
しかし、私の日本語もアヤシイしな…。(笑)
冷静に、ファ○マさんの映った写真と、私の映った写真を並べて見ると、似ていることは似ている。
そーいや、今は退職した経理の兄ちゃんが、ある時、雑誌の写真を指して言った。
「ここに、Helenちゃんが居るデ!」 インドネシアはバリ島の踊り子の写真。
その時は、(´ι _` ) あっそ!という感じだったが、今となっては的を射ていたのだろうか…。
これだけファ○マさんと仲良しなのは、案外、『袖振れ合うも多生の縁』があったのかも知れない。
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