少し、年上の先達に聞くと京都で大西良慶を知らない人間は、モグリなんだそうである。(爆)
ちっとも知らなかった。(エセ京都人?)
本の表題の「ゆっくりしいや」が、なんとなく「ぼちぼちいこか〜」のジィ様先生の口癖に似ていて、気持ちが和んだ。
パラパラと内容をめくると16章おおまかにわかれていて、口述筆記のような形になっている。 口述筆記は、現代では作家のマスターベーション垂れ流し風情がして、なんとなく抵抗があったのだが、最近はそうでもない。
大西良慶貫首が逝去されてから5,6年経つそうな…。
母曰く「あのぼんさん(お坊さんの意)は、来る人・来る人にお灸を据えまくって(真の意味での鍼灸)はってん。ぼんさん自身も26歳の時、病を患ってあやうかったんやでぇ。鍼灸で寿命を延ばさはってん。」…と、お灸マニア(笑)の彼女は言う。
書籍はPHP研究所員がインタビューを文書に起こされたもの。 巻末の研究所員の所見では「貫首の大意とずれているかも知れない。」と危惧されていたが、そのへんはこれから貫首の書籍を探し出して、体感してみようかと思っている。
さて… 明治から平成の100年を生きてきた人の言葉は、やはり違う。
皆さん、年寄り年寄りとバカにするけれど、若い人間になくて年寄りにないもの…決して追いつけないものがある。
それは、何か?
『経験』 … 経験に基づく智恵である。
その経験が曲がっていようが真っ直ぐであろうが、我々には逆立ちしたって真似できない、各個人独自の経験に基づく智恵を持っている。
だから、先達の仰ることは素直に耳を傾けてみましょうネ♪(笑)
最初、この書籍自体を先に見つかった『ジィちゃま先生が一番欲しかった本』と併せて、東京へ送るつもりだった。
しかし… ふと、ある考えが浮かんだ。
「年取るとな〜、目がつらいねん。」しょっちゅう、拡大コピーやテープへの吹き込みを頼まれていたことを思い出した。
「そうだ、録音もつけて送ろう。」
幸いに、私には声楽の先生関係のプロデューサーの知人が居る。
彼の自宅の一部を改装したスタジオで、朗読録音の試みは始まった。
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