昨日、所用で出かけた際、往復の電車の中で読み終えた薄い冊子の読後感想文を記しておこうと思う。
オンディーヌの原作は『水妖記−ウンディーネ』
作者フーケーは、ドイツ後期ロマン派の中に数えられる作家であるが、元来北フランスのノルマンディ地方に何百年も続いた古い貴族の出である。軍人となったフーケーは退籍後当時の文学者と交わり、のち多産な作家となった。作家であり英雄でもあった彼は、一時の名声のまま過去の夢を描き続けがために時流に乗りきれず、その名声は生前すでに地に落ちた。
ただ一つこの「オンディーヌ」だけは、今日まで愛読され、バレー音楽にもオペラにもなり広く上演されている。 −あとがきより抜粋
大昔、人間は自然と深く関わりを持ち、自然に畏敬の念を抱き接してきた。 地水風火の中にはそれぞれの精が住んでいると考えていた。 古代ギリシャ人の考えたニンフに対する信仰は人間の中にずっと生きてきた。
とりわけ、水の精は様々な形で大地にみなぎり、海原を満たし、草木や魚介を育て、人間にうるおいをもたらす反面、時には災いを起こす、もっとも親密なエレメントである。
知る人ぞ知る、この物語は元来『魂』というものを持たない“水の精オンディーヌ”が騎士である人間と結ばれることによって、『魂』を得る。
夫である人間に裏切られ、元の水の世界に帰らざる時が来る。故郷に戻り涙にあけくれるオンディーヌ。 それでも、「魂を持つことによって涙にくれることのできる私は幸せ。」と言い切る。
水の精の掟では、人間の夫が他に(元の水の精の妻以外の者を)娶ると「命数がつきる」ことになっている。(例えば再婚などをしてはいけない。) しかも、妻であった水の精自らが夫の命をたたねばならない…。
物語の終焉は愛する夫の命を奪わねばならない水精オンディーヌの悲嘆にくれる涙が夫の眼から入り、最後には夫の心臓の動きを止める。
戯曲の方では、オンディーヌの父である水界の王が哀れに思い、騎士の夫の死とともに娘オンディーヌの記憶を消してしまう。
オンディーヌ オンディーヌは人間の男と結ばれることによって「魂」を得た。
どんなにみじめな目にあっても、魂のない物(水)であるよりも、魂のある女(人間)になるほうが幸せ… たとえどんなに悲しみをなめようとも、愛を知らずに自然の塵芥となるよりも一度は愛される方が幸せだと考えた。
人間の身体の約60〜70%は水である。 哀しい時、涙という成分に変わり瞳から出て行く。 物語中、何度か出てくるフレーズに「あなたを失うことになれば、きっと目がつぶれてしまうほど泣きくずれるでしょう。」とある。
涙は、齢を重ねるにつれ流す機会が増え、間隔は短くなっていくのだろうか…。 それとも泣かなくなる? 時には疎ましいと思う魂。 とうてい重すぎるけれど、人間である以上担っていかねばならない。
オンディーヌは今も地中海の底で泣いているのだろうか…。
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