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HELEN&HEAVEN
Helen
MAIL

2003年08月11日(月)
100年経てば…

「あと100年経ったら、今、存在している我々は皆死んでしまっていない。電車の中の面々を見ながら、ふと思うの…。」とG藤さんが時々おっしゃられます。

時間というモノは無尽蔵にあるように錯覚してしまいがちな毎日ですが、お正月が来たらゴールデンウィークが過ぎればお盆休みで、そうして「師走は、ほんませわしのぅおすなぁ〜」と、年の瀬に嘆いてみたりします。

肉体は万有引力の法則に忠実に従い、老いは確実に我と我が身にもやってきます。
脱線しますが以前、SFに少しはまっていた時があって眉村卓(時をかける少女の作者ね♪)や小松左京、星新一は今でも時々読みます。

小松左京の作品の中に関西人のオッサンは自分のヨメのことをほぼ例外なく「うちとこのオバハン」とオバハン呼ばわりするという描写があっていたく感心したことがあります。

例:「うちとこのオバハン今、買い物行ってまんにゃわ。」

そして関西のオバハンは自分の旦那のことをほぼ例外なく「うちとこのオッサン」と呼びます。

例:「うちとこのオッサン、休みになると“トド”みたいにゴロゴロ寝てテレビ見くさってるか、パチンコ行きくさっとんね!」てな感じです。

私はこの「オッサン」「オバハン」呼ばわりに愛情と照れくささとが入り交じったシャイな関西人の魂を感じてしまうのです。
脱線しました。もとに戻ります。

さぁ、「我こそは100と幾つまで生きてやるぞ。」という意気込みのお持ちの方ならともなく、

今現在、小学校に上がりたてのボクちゃんだって、二十歳のピチピチギャル(死語)だって、40歳代の“美味しい女性”だって、60歳代の“老いてなお盛ん”なジィさまだって、

100年後には存在しない不思議を時々考えています。

歯医者のジィちゃま先生は80歳過ぎ…

「僕はどう長生きしたって、あと10年も生きられないから。」が口癖です。

長生きして欲しいんですが、それを言うと個人差はあるが「ある年齢を超えると社会性が失われる。」らしいです。
そうかもしれない。
今だって、わけのわからん電話をくれるときがあるもんな。

そんなことをツラツラ考えるに、人の一生って言うのは案外短い。

短いなかにいろんな見聞と知識と経験を詰め込みたいものだと最近思っています。

あれもこれもしたいです。