知り合いの癌が再発しました。
昨日は、病院の面会時間が済んでも話をひきずってしまいました。
彼は、平成3年から7年間かけて、兄・父・弟・妹・いとこ 合計7名を亡くしました。老衰・癌・自殺・白血病…。毎年、お葬式を出していた計算です。
平成14年の去年、自分自身の腫瘍を切除しました。 現代医学では、取り切れていなかったガン細胞が活発化してきたようです。
「僕のカウントダウンは始まっている。だけど、年老いた母より先に死ねない。毎年〃、羽をもがれるように肉親を失っていった母をこれ以上苦しめるわけにはいかないんだ!」
(彼の渾身の力を振り絞る魂の叫びは病状さえも悪化させかねない止めてください…。)
私は、母の知人の“メシマコブ”での末期肺ガンからの生還談を話しました。
「なんでも試す。なんでもする。」 彼の意向を受けて、今日は書店でメシマこぶの本を選別しました。
メシマコブはこぶという名称ですが、今、アガリクスよりも免疫力の増加・抗ガン効果がうたわれている菌類です。
日本での培養が上手く行かず、韓国人の博士が母国へ持ち帰ってチャレンジしたところ実を結んだそうです。
インターネットで資料も揃えました。
1)西洋医学のみの治療 2)メシマコブのみの治療
3)西洋医学とメシマコブ併用治療
3番が一番効果があるようです。
勿論、万能ではなく、効果の得られない人もいます。
明日、病室に届ける予定ですが、初のエアーカーテンを施しての癌治療副作用がどれほどのものか、彼は予測ができないと言っていました。
「一分一秒でも長生きしたい!」生への希求が感じられたので、ありとあらゆる神仏に祈りを捧げ、我々でできる限りの治療法を試しましょうネと約束ししてきたんです。
こんな時、繰り返し鳴り響く音楽はカール・オルフの『カルミナ・ブラーナ』。
運命の女神は微笑んだり冷たくしたり、翻弄する・愚弄する、どれだけ罪を犯してきたのでしょう?どれだけ贖罪すれば済むのでしょう?
私は時々『運命』というものがわからない…どうしてもわからない、ますますわからない…。
空の容器から別の空の容器に内容物を移すように、一見無為におもえるようなつまらなそうな人生を送っている人もいるというのに… なんのために『運命』は、あるのでしょうか。
私が当人になり得ない限り、当人の痛みを感ずることはできません。 当人になり得たとしても、感じ方はまた違ってくるでしょう。 慰めや同調は、返って苦しみやいらだちをもたらすだけ…。
他人の不幸を「嘆き悲しんでみる」としましょう。 反対にその他人の目を借りて「嘆き悲しんでいる自分」を見てみませんか?
自分の目から見たら「不幸」に思えていた事も他人にしたら『珠玉の経験』かもしれない。
そうなると… 他人の目を借りてみた「嘆き悲しんでいる自分」という存在は、ピエロではないですか? あるいは「嘆き悲しんでいることを楽しんでいる(自分の経験でないことイイことにを余裕をもって接している)」自分という存在も見えてきませんか?
無意識に…綺麗事やおためごかしで粉飾してしまわないうちに、自分の直感の声に耳を澄ませたいと思っています。
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