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HELEN&HEAVEN
Helen
MAIL

2002年11月23日(土)
てんやわんや。

夕べは終業後5時過ぎに、M下オジと近所のタクシー会社で待ち合わせて、ファ○マさんの公団へ向かった。

その公団は京都でも有名なマンモス公団で、同じような建物が幾重にも林立している。
酔っぱらって帰宅すると、余所の部屋に間違えて入ってしまうという逸話もめづらしくない。

タクシー運転手もぐるぐる・・・

一旦降りて、ファ○さんに電話をしたが、やはり説明があやしくて、「あっち」とか「こっち」とか彼女だけが解る日本語で説明をしてくれる。。。
キツネかたぬきにバカされたみたいに同じような棟のなかをぐるぐる探し回り、やっと目的の12棟を見つける。

エレベーターで上がるが、ヘンな作りだね、1F,4F,7Fしか止まらない。最上階8Fのファ○マさんの部屋までは、7Fから階段であります。

扉を開けると、顔色を失って眼窩のくぼんだファ○マさんが心細げに出迎えてくれた。

初めて見る噂の『超・偏屈』の旦那さんの死に顔は想像以上に、安らかでつるつるで美しかった。ファ○マさん曰く、「一番上等なビタミン点滴をずーっとして貰っていた。」鼻筋の通った男前であります。

M下オジはしばらくして帰ったが、枕元には葬儀屋が用意した簡素な線香と水、白ご飯、シキミのセットしかない・・・。

私の亡父が亡くなった時は、えーとえーと、私が中学生の頃だからあまり憶えていない・・・確か、蚊取り線香みたいにまん丸の長いお線香を一晩たやさずに、枕元か胸元には守り刀なんかがあったはず・・。

おかん!(私の)おかんに聞こう。
しかし、何度電話しても通じず・・・。

私:「うちとこの母親は出たら鉄砲玉みたいなもので戻ってきません。」

ファ○マさん:「そしたら、私と一緒やね。」

私:「そう、顔も似てる。」(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!

もうすぐ、隣の県から亡くなった旦那さんの弟さんが来てくれるらしい・・・

“仕出し”でも取りましょうということになったけど、なにせ、出前すら取ったことがないからわからないらしい・・。(総て夫婦二人でまかなってきた。)

たまたま、私の携帯に登録していた以前アルバイトに来ていた同じ団地の男の子がつかまって、弁当専門店を教えて貰う。

さて、そうこうしているうちに、やっと私の母に電話がつながった。

小刀が無かったら、カミソリと、あと三途の川を渡るための“小銭”を用意して、そして、個人の好物(お酒やタバコ)果物、高野豆腐と椎茸を炊いたものとか・・・
仏壇の扉は閉めておくこと・・・。

私:「後は何が要るやろう?韓国の風習はわからん。」と、電話口で言っていると、ファ○マさんが、「韓国ちかうデ、ニオン(日本)やデ。」

私:「え?ほんま?そりゃ失礼いたしました。」

実は、M下オジを始め私や会社の人間は、あやしいファ○マさんの説明により、旦那さんは韓国人だと思っていた。

よくよく、聞いてみると、終戦まで(旦那さん中学生の頃)韓国で育った、れっきとした日本人(しかも会津磐梯山は白虎隊の末裔)らしい。

だけど、亡き旦那さんはとても楽しい幼少時を過ごしたようで、ハングル語を勉強しては、韓国を訪れていたらしい・・・。

さて、ファ○マさんが電話での応答を元に、必要な物を用意しているのをふとみたら、手に“T字カミソリ”を持っている。v(≧д≦)vヒェ〜

「ファ○マさん、そりゃなんぼなんでもアカンでぇ。小刀か、さらぴんの小さな包丁ありますか?」

ごそごそ探していたら、やっと普通のカミソリが出てきた。

小銭や仕出しの弁当、そして酒もタバコもやらない故人が最後までねぶりたいと駄々をこねていたあめ玉を供えた。

そのうち、やっと故人の弟さんが到着。
故人76歳・・・、弟さん71歳。

私の顔を見て、びっくりしていた。

後で、「あなたは、どこで生まれたの?」と聞かれた。σ(⌒▽⌒;)

私:「ええと、京都市内ですけど・・・。(._.?) ン?」

故人弟:「そう、それでもう、日本人になったの?」

どうやら、ファ○マさんの親族と思っていたらしい・・・。
ヾ(ーー ) オイオイ

次の日の朝、(つまり今朝)も、「あなたもインドネシアなの?」と聞かれましたから。(爆)

中国人に間違われることは多けれど、インドネシア人に間違われたことは初めてだ。

さて、夕べは、最初、故人の部屋で私とファ○マさんが・・・、
別の部屋で故人の弟夫妻が寝る手はずになっていたが、故人の弟しかこなかったため、結局、仏様と弟さんが隣同士で寝て、

私とファ○マさんが別の部屋で寝ることになった。

最初に、「お父さん(亡き旦那さん)の側で寝ることになりますが、良いですか?」とファ○マさんに尋ねられた時は、別に断る理由もなかった。

老人臭だか、死臭だか多少は匂うが寝てしまったら、関係ないでしょう。
いづれは、自分も死ぬんだし。
だけど、死体が傷むため暖房がきかせられない凍えそうな部屋は辛かったな。
お尻やお腹が痛くなってくるねん。(/_;)

故人の弟さんは、大酒のみだが乱れることなく面白いお話しを沢山聞かせてくださった。同じ話しを3度はされるので、
半分居眠りしながら、夜中の2時まで話しを聞いた。

ファ○マさんの亡き旦那さんが飲み残したデバス(あまり常用が過ぎると、痴呆の原因になると最近話題になった睡眠剤)が台所にあったので、「ファ○マさん、貰うで。」と断って飲んで、がーっと寝た。
余所ではあまり寝られないたちです。

それでも、朝、6時過ぎに目が覚めた。

ファ○マさんは、早くからコマねずみみたいに働いている。

彼女は、じっとしていられない性分で、なんだか落ち着かないが、動くと邪魔なるので、ぼーっと見ている。

そのうち、故人の弟さんが起き出して、午前中には、故人の姪っ子さんが九州から到着・・・。

そして、午後からは、タクシーを呼んで貰って私は出社した。
もっとも私の仕事は休日出勤の伝票発行だけなので、問題は無い。

今夜のお通夜は人手が足りているそうなので、私は、明日のお葬式を手伝うことにする。

ちびっと疲れましたが、ファ○マさんには通訳が要りますσ(⌒▽⌒;)ので、それはそれで役にたったのだろうと思っています。