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HELEN&HEAVEN
Helen
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2002年11月25日(月)
お葬式


京都駅南側にある葬祭センターに着いたのは、午後12時過ぎ。

前の晩に、M下ヲジから「明日の葬儀は、1PMからです!」と留守電が入っていた。

かなり混乱していたファ○マさんは、

お通夜を 「2〜3PM」× → 「7PM」○

葬儀も  「2〜3PM」× → 「1〜2PM」○

と、ウソばっかり伝えていた。びゃははは (≧ω≦)b

まったく急だったため、前日、とりだした喪服はシワシワだった。

丁寧にアイロンをあて、シワを伸ばして満足し、いざ、出発の段になってコートを用意していなかったことに気づく。ミチミチに詰まったコート類のハンガーから取り出した黒コートは、やはり、シワシワだった。(>y<) ぶっ!?

もう、ええわい。今日は、暖かいからコート無しで行こう。

現地に到着して、エスカレーターで4Fまで上がると、受付の前に、前出の故人弟さんが居た。
葬儀の担当者に「親族です。」と紹介してくれたため、すんなり、控え室まで辿りつけた。

扉を開けると、ファ○マさんと、病院で無くなった旦那さんに付き添って家まで一緒に来てくれていた故人の姪っ子さんと、故人弟の奥さんと、あと、おばあちゃんがもう一人・・・。

葬儀に列席する身内はそれだけであります。
故人は、兄弟でさえも神経を使う人で、日本にはお友達は殆ど居なかったらしい。

故人が名義を貸していた会社の社長と、私たち会社の人間(退職者2名、現職者2名)の十数人の葬儀は、とても閑散としていた。

そろそろ、お坊さんの読経が始まると言うときに、

見たことのあるMハゲが『ざーます夫人のような黒縁メガネ』をかけて息せき切ってやってきた。

(゜▽゜;) ツネヒコだ!!

そう言えば、今朝、やっと連絡のついたO戸ちゃんに、「ファ○マさんの意向やで、我々の会社関連の人には内緒にしたってや。」と念押ししたら、

O戸ちゃんは、「え?いやぁ、それは、もう、 (’▽‘;;)はにゃふにゃ。」と、

わけのわからん返答をしていた。

M下ヲジも言ってたけど、「会社から香典でもむしったろうかと思ったけれど、それもムナシイしな。」そう、実の無いお焼香に来て貰ったってしかたない。

幾度と無く訴えても、ファ○マさんの窮地を無視していたくせに、若いから好きなんだか、おだてが上手だから好きなんだか、とにかくナ○ちゃんのウソ八百を信じて、ファ○マさんをいびり退職に追い込んだナ○ちゃんの方向にしか向かない社長に何をして貰っても、ファ○マさんが嬉しいはずがない。

ただ、ツネヒコが来てくれたのは、嬉しくて、「涙がポロりんと出た。」とファ○マさんは、あとでこっそり言っていたので、それはそれで良かったんでしょう。
ツネヒコは、イヤミのない表裏の無い人ですから。

受付で、ツネヒコに

私:「あんた!誰に(葬儀のこと)聞いたん?」と詰問すると、

つ:「え?( ̄ェ ̄;) O戸さんですけど。。。」

私:「他の誰にも口外してないやろうなぁ。ウラっ! (ー_ー#)」

つ:「はい!誰にも言うてません!!」

隣で、聞いていた故人の姪っ子さんは、笑っていた。

いかん・いかん!!つい、いつもの巻き舌が出ちゃったよ。ヾ(´▽`;)ゝ エヘヘ

姪っ子さんは「できるだけ、ファ○マさんにお金を残したいのよ。だから、香典返ししないで、今、半額返して行こうと思ってるんだけど・・・。」

受付を始める前、仰いましたが、

私は「ファ○マさんが退職される時、実は、送別会もしてあげられなかったし、お餞別も渡して無いんです。お父さん(亡き旦那さん)のご病気が落ち着かれてから、何かしようと思っていたから、半額返しは要らないです!」と応えました。

送別会をしようとしたら、ファ○マさんが、「自分で費用を持ちたい。」と駄々をこねたこと。「日本の風習に反する。」と説明したことも付け加えておきました。

さて、故人の前妻の子のうち、アフリカのタンザニアに嫁に行った娘は仕方無しとして、大阪に居る息子がなかなか来ない。

前日の夜に連絡に取るのも深夜になってからやっと電話が通じた。(フリーターをしている。)

この息子は、ファ○マさん曰く、“ぐずん坊”らしく、話しがロジックで堂々巡りをして、辛気くさいことこの上ないらしい。

前日の夜も、電話での会話を聞くとも無しに聞いていると、やれ、「お父さんの対応に傷ついている。」だの「行けたら行きます。」だの、女々しいことこの上ない。

業を煮やした故人弟が「男やったらしゃきっとせんかい!!」と何度も電話口で怒鳴った。故人の口癖でもあったらしい。。。

獅子が千尋の谷に我が子を突き落とすが如くの親の愛を、後妻(ファ○マさん)に奪われたとひがんでいたためらしいが・・・。
半分は当たっていると私は秘かに思う。

さて、葬儀では「できるだけお金をかけずにファ○マさんに残してやりたい。」という故人姪っ子さんの意向により、受付や写真撮影等のサービス等を断ったため、

M下ヲジが「しまったなぁ!やっぱ、カメラ持ってくるんだった!」としきりに後悔していた。

亡くなった当日、駆けつけるタクシーの中で、Mヲジが「写真撮影とかどうするんやろう?俺の持って行こうか?」とか言っていたが、私が、「いやぁ、葬祭場で全部してくれるんでない?」と言って断ったため責任を感じるなぁ。

きわどく、親族のばあちゃんの持っていたバカちょんを借りて、バシャバシャ撮りまくった。前日、「明日は婚礼でスピーチせんならんのよ!」と帰って行った九州の姪っ子さんや来ることの出来なかった親族に送りたいらしい。

献花の時の故人のお口には立派な入れ歯がにょっきりと出て、笑っているようだった。
ファ○マさんが、「おとうさんの好きな、飴チャンやで〜。沢山持って行き〜。」と飴を数個、バラバラと顔の周りにかけていたのが涙を誘った。

式が終わり、お山へお骨を焼いて貰って戻ってくるまで、違う部屋での荷物の見張り番を頼まれた。

そこは、骨が帰ってきて読経するための部屋らしかったが、空調がドライと冷房しか効かない。
少しの間、一緒に残ってくれたM下ヲジとつねちゃんが色々触ってくれたが、寒いままだ。死体が腐るといけないから暖房を入れられないようにしてるのかなぁ。

やってきた会館の女性にも尋ねたが、要領を得ずに、「下で聞いてきます。」と30分ほど、そのまま、放置された。

部屋を暖めておけとまでは言わないが、こんな真冬に極寒のサービスをすることはなかろう?だんだんと、腹が立ってきた。

その次に、「衣類の忘れ物です。」と控え室から持ってきてくれた女の子に、

「あのねぇ、暖房が入らなくてねぇ、“ちょっと、聞いてきます”って言って出ていったきりなのよ!風邪引くよ!いつになったら治してくれるのよ?アンケートに文句書くよ?!」そう、訴えると、

下ぶくれのどちらかというと結婚式場に向いているお多福顔の女の子は、私の責任と違います!と言いたげな顔で、「ムッ!」と出ていってしまった。

早速、違う黒服がやってきて、速攻で直してくれた。

それでも20〜30名ぐらい収容できそうなリノリウムの床の部屋は、温度を最強の30℃にしてもなかなか暖まらない。

そのうち、M下ヲジが「会社の現場の槽の電源を入れないといけないから。」と、子供を迎えに行かないといけないツネヒコと帰っていってしまった。

疲れと少し効いてきた暖房とで、うとうとしていたがラップ音が煩いのでそうそう居眠りもしていられない。

ドアが控えめにノックされ、「失礼します。」とぶっちょう面の先ほどのお多福がお供えのごはんを持ってやってきて、むっつりしたままでていった。

またしばらくすると、少し斜視がかかった笑顔のオバハンがお茶を3つ持ってやってきたが、2人は帰ってしまったし、

「おトイレが近くなるから要りません。」と、お断りした。オバチャン悪いねぇ、お金の管理もせねばならなかったものですから。

4時を少しまわったところで、お骨が帰ってきた。
ファ○マさんに断って帰宅の途についた。
1週間ほど、親戚のバアサンを借りるそうだ。
あとの1週間はぼちぼち泊まりに行かないとしゃあないな。σ(⌒▽⌒;)

義理の息子は、2時の出棺後に到着して慌ててタクシーで、焼き場まで来てくれたらしい。
お棺がすでに、釜に入った後なので、死に顔を見ることは出来なかったが、お骨は一緒に拾ってくれたらしい。
だいじょうぶ、献花の時の写真は2枚ほど撮ってある。あとは、現像の無事を祈るだけです。


未だ誰も出社して来ぬ、今朝早く、会社に着いて、M下ヲジ挨拶しあった。

私がM下ヲジに「しかし、何ねぇ。あそこの○益社の葬祭センターってサービス悪いねぇ。女の子は、ブサイクで愛想悪いし、黒服も横着やし。(`_′)ブッブー」と文句を言うと、

M下ヲジは言った。「袖の下渡してへんやろう?ちょっと包んでやらんと!態度がゴロっと変わるのに!」

\(°o°;)/ あちゃー、忘れてた!!

日本の風習をしらないファ○マさんはもとより、正真正銘の『ケチ』の姪っ子さんは、確実に渡してないだろう。(≧∇≦)/ ハハハ

何か一つしたら何か忘れる。

実は、昨日も、お数珠を忘れてサ、慌てて一番最初に焼香を済ませた元会社に居たおばちゃんに借りたサー。

とにもかくにも無事、お葬式は済みました。