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HELEN&HEAVEN
Helen
MAIL

2002年03月18日(月)
夢であるか?幻か? <Eternal happiness>

『 しあわせ 』の定義って何だろう。

それは、人それぞれで、

私の “幸せ” イコール、あの人の “幸せ” に、なったりはしない。

≒ ほとんど等しい になっても、

= 完全に 等しいには なり得ないでしょう。


例えば、

“美味しいモノを食べた” としましょう。

“素敵なアクセサリーを貰った” り、

“高級外車をがんばって買った”としても、

物質はいづれ滅びてゆくのでしょう。

『金製品』は、時が経過しても、同じ『金製品』であるけれど、
精錬されたてのままの『金製品』ではありえないのです。

専門的には、ご説明しにくいのですが、分子の結びつきがゆるくなるというか、
構造が違ってくるみたいですね。

手にした瞬間の感動も、時の経過とともに、損なわれていく。

これらは、わたくしの本来の幸せでないと認識するのでしょう。

幼い頃のアイスの当たり棒は、それはそれは幸せだった。

成人しても、とても嬉しいものだけれど、幼い頃のその感動とは、性質を異にするような気がします。

アイスの当たり棒よりも、お使いのお駄賃よりも、もっと沢山の幸せを経験してしまっているから。






あの人に好きと言った。

あの人も好きと言ってくれた。

互いに幸せの絶頂のその瞬間から、

時の経過とともに、意識のズレが生じないとも限らない。

特に相手への依存度が高かったりしたほうは、自分の存在意義を取り戻すのに、
時間と努力を要するでしょう?


瞬間の幸せ を繰り返しても、 永遠の幸せ には、なり得ない。

『永遠』の定義も不可思議だ。

私は、一つの魂が、生死を繰り返すとなんとなく信じているけれど、

ある人は、「人が死ねばそれっきりだよ、“空(くう)”になる」、

そう言った。

また、ある説では、数名の人格が複合されて一つの人間に生まれ変わるらしい。

最近は、この説も、面白いと思う。


『永遠』は、どこに行けば、見られるのかな?

『永遠』の横顔というものは、そっと盗み見したそのときに、

『瞬間』という顔になりかわってしまうから、 ずっこいや。