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遠子(桜井都)

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 相似形のものは引き合う性質があるという。








 今日も空は青い。
 東京の秋空は毎年同じだ。青より淡く、水色より濃い。深さを感じさせるというのに暗さがない。何色なのかと問われれば、やはり空色としか言いようがないというのに英語のスカイブルーとはどこか違う気がする。
 そんなことをつらつら思った挙げ句、三上亮はどちらでもいいかと最終的にそう結論づけた。
 ともかく今日はよく晴れ、青色が天一面に広がっている。それだけで充分だと、入学以来すっかり馴染みになった屋上の給水搭の上で、頭の後ろに回した腕を枕に空を仰ぐ。
 秋らしい空気の冷たさが長袖のシャツ越しに伝わって来た。
 九月も終盤となり、衣替えとなる十月一日前後一週間は制服を自分の都合で夏冬どちらでも好きに着用出来る。中間期としてブレザーの着脱が自由になるのもこの時期のみだ。十月八日を過ぎれば学内は完全に冬服着用が義務となる。


「三上」


 不意に凛とした声が彼を呼んだ。
 三上が顔を持ち上げると、給水搭に昇るための梯子のほうから隣のクラスの委員長が顔を出した。

「ここにいたのね」
「…なんだよ」
「五時間目始まってるわよ」
「…………」

 違うクラスのくせにわざわざ呼びに来たのかと、三上は相手の親切というよりお節介にわざと顔をしかめた。
 梯子の途中で脚を止めていた彼女は、三上のその様子に黙ってさらに昇り、三上の近くに膝を崩して座った。
 彼女はどちらかというと規則を遵守するタイプだと思っていた三上は、教師に見つかれば叱責確実のこの場所に彼女が自分から昇ったことに驚いたが、本人はすました顔で上からの景色を眺めている。

「初めて昇ったけど、ここって思ったより高い位置なのね」
「……おい」
「なに?」
「…何してんだよ。授業行けよ」
「あなたに言われる筋合いないでしょう?」

 もっともな言葉に、三上は再度腕の上に頭を落とす。
 わずかな風に彼と彼女の髪が揺れる。沈黙は少しの間続いたが、気まずさはなかった。

「…今日はイライラしてねーじゃん」
「おかげさまでね。でも人をいつも苛ついてるみたいに言わないで」
「してんじゃねーか」
「してません」

 言ってろ、と三上は呟き鼻で笑った。
 彼女はそれ以上そのことには触れず、ゆっくりと話題を変えた。

「…さっき、職員室にいたのね」
「いた、じゃなくて、行かされた、だろ。わかってて言うんじゃねぇよ。見てりゃわかるだろ、あんなの」
「…今日、ネクタイは?」
「寮に忘れた。朝時間なくてガッコ来てからしようと思ってたんだよ。くっそ、抜き打ちで服装検査なんてしやがって」

 苦々しい思いを空へ向かって吐いた三上の近くで、彼女が若干痛ましそうな目を向けた。
 私立である以上、風紀問題として服装頭髪あるいは所持品検査は時折実施される。そこで過剰に校則違反をしている者には本人に注意し保護者に通達する。
 何かと派手な印象を持たれがちのサッカー部だが、運動部らしくそのあたりは徹底しているので部長を筆頭として服装検査で注意を受ける者はほとんどいない。
 今回の三上は運が悪いだけだ。彼の涼しい襟元を見ながら、彼女はそう思っていた。

「…やってらんねーよ」

 昼休み丸々を職員室で過ごす羽目になった三上は腹が立ちすぎてもう諦め気味だ。

「たかがネクタイ一つで、なんで日頃の態度まで言われなきゃなんねーんだよ。ふざけんな」
「…そうね」

 別の用事で職員室を訪れていたせいで、計らずも三上のあの場面を見ることになった彼女が静かな声で同意した。
 三上はとても教諭陣の受けが良いとは言えない。学業面や部活動の功績よりも、とかく人格面での扱い辛さが大人には不評なのだろう。決して万人に好かれる性格でないことを本人も自覚しているだろうが、不利な立場でそれを思い知るのは酷というものだった。

「挙げ句に渋沢を見習えとか言ってきやがって。出来るかクソ」
「三上には難しいでしょうね」
「………」
「先生方がわかってないだけよ。三上は三上なんだから、渋沢にはなれない。そんなの当たり前でしょう?」

 慰められているのだろうかと、三上は視線を青い空に向けたまま思った。
 彼女の声はあまりに落ち着き過ぎていると、何を考えているのかわからない。相手の気持ちを読み取るのが億劫で、三上は軽く息を吐いた。

「お前みたいな優等生にはわかんねーよ。わかったようなこと言ってんじゃねえ」

 成績優秀で教師の覚えも良く、真面目で大人びた物腰の優等生。
 まるで誰かのようだと三上は心で失笑する。
 そんな人間に慰められるのは、まるで見下されている気がした。卑屈だとわかっていたが、自分が貶められるのは我慢出来ない。

「…気に障ったなら、ごめんなさい」

 ややあってひかえめな声が三上の耳に届いた。
 いつも丁寧な言葉遣いをする彼女は、自分とはまさに正反対だと三上は下唇を噛む。

「でも、三上に馬鹿にされたくもない」

 一転して強い口調が攻めて来た。思わず三上は身を起こしながら相手を見る。

「私だって人間だから、自分のこと否定されたら腹も立つわよ。三上のことわかったつもりであんなこと言ったわけでもない。私は、私の思ったことを言ったの。勘違いしないで」

 挑むように苛烈なまなざしが三上を見据えていた。
 言われた内容によって三上の胸に羞恥の思いがよぎり、彼はごまかすように口端を吊り上げた。

「…ハ、逆切れかよ」
「そうやって逃げる人に非難される謂れなんてない。見くびらないで」

 逃げ道を断とうとする彼女から視線を逸らすのも口惜しく、三上はどうにかこの拮抗を保とうと苦し紛れに口を開いた。

「可愛くねぇ女」
「ほかに言うことないの?」
「…ムカつく」
「奇遇ね、私も三上のことそう思ってるわよ」

 さらりとそう言われ、三上はとうとう疲れたようにためいきを洩らした。

「…何なんだよ、お前」
「…………」
「すげ…、俺バカみてぇじゃねえか」

 段々わけがわからなくなってきた。顔を半分隠すように三上は額に手を当てる。
 彼女はもうあの苛烈さを双眸から消していた。

「…三上は、悪ぶるのが好きよね」
「………」
「同じよ。私は、優等生ぶるのが好きなの」

 嗜好の違いね、と彼女は食べ物の好き嫌いを言うような何気なさでそう付け加えた。

「ときどき嫌になることもあるし、いい評価を貰えないこともあるけど仕方ないでしょう? そういう風にしてきたのは私なんだもの」
「………」
「先生方に不真面目でいい加減な生徒って思われたくないなら、悪ぶるのやめればいいじゃない。出来ないなら受け入れるしかない。私はそう思う。…三上がどう考えてるかは知らないけど」

 澄んだ秋空の下、三上とは同じ歳であるはずの少女の声が空気に染み入る。
 その誠実な声はなぜか信じられる気がした。同時に彼女のその考え方が大人のそれのように思え、八つ当たりをした自分の幼さを思い知る。
 強い奴だと、あらゆる角度から言われ続けて来た。三上自身、そう言われ否定したことはない。
 けれど本当はわかっている。自分を強いと思ったことは一度もない。ただ強がるのが好きなだけだ。
 それだけにとどまらず、いつも周囲に本質とは違った姿を見せ、錯覚させてきた。そのくせそれを逆手に取られると、本当のことは誰もわかってくれないと勝手に傷つく。何度繰り返しても懲りない自分が、きっと世界で一番愚かだ。
 それでも三上は、そんな自分をどうしても捨てられない。

「選んだ自分でいたいなら、多少のことは我慢するしかないじゃない」

 彼女の声が、自分だけに向けられていないことに三上も気付いた。
 仕方ないのだと言う彼女も、三上と同じような葛藤を持っているのかもしれない。系統こそ違うが内包するジレンマは似ている気がした。
 逸らさずに見つめてくる瞳は、三上の持て余しがちな気持ちを理解してくれるものだった。

「…かもな」

 うつむきそうになりながら言う。それでも必死で出来るだけ強い声を装った。
 納得したようで、寂しい気持ちになるのはどうしてか。
 結局自分はわがままで勝手なのだと三上は思うが、心の在り方は簡単に変えられない。

「…それにしてもいい天気ね」

 ややあて彼女はそっと三上から目を離し、周囲を見渡しながら、最初と同じように穏やかな口調で話題を変えた。

「いつもここで昼寝してるの?」
「…まあな」
「三上の秘密基地ね」

 自分の言ったことに小さく笑っている彼女は、先ほど三上の言い様に怒った素振りをまるで見せない。余裕を見せつけられているようで面白くなかったが、激しく不快にもならなかった。
 緊迫した空気はもうこりごりだと三上はまた腕を後頭部に回すと寝転がる。

「…っつーかお前、授業いいのかよ」
「保健室で寝てることになってるの。保健室行って在室証明書さえ貰えば、この時間いつ行っても同じでしょう? こういうときのために日頃の行いがあるのよ」
「…お前、最強」
「ありがとう」
「褒めてねっつーの」

 そう言いつつも吹き出しては、厭味の意味はないと三上本人ですら思う。
 そうして、気まずさを引きずらない関係になれたことを改めて感じた。いつからか少しづつ縮まっていった彼女との距離は、気付けば居心地の良さを適正に保てるところまで近くなっている。
 ありがとうなどと面と向かって言うのは絶対に嫌だったが、心がささくれたっていたこの時間そばにいてくれたことはただ嬉しかった。

 空が青く、空気は適温で、隣に彼女がいる。
 何気ない心地よさを感じ、彼は快晴の空を仰いだ。

2005年01月18日(火)

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