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■ もしも三上。
もしも君と僕が電車通学の見知らぬ他人だったなら。
ガタン、とレールの上を激しく電車が揺れ、三上は目を覚ました。 車内アナウンスが耳の中を通過していくが、車掌の発声法が良くないためと揺れによる音が激しく聞こえない。三上は半分うとうとしていた目を軽く指先で押さえ、外の風景から目的地を乗り過ごしていないことを悟って安堵した。 午後二時半の車内は曖昧な時間に相応しく、妙にぼんやりとした空気だ。車両内に人気がほとんどないこともそれを増長する。長いベンチシートに座っているのは三上と数人の中年女性のグループ、そしてあと斜め向かいの一人だ。 彼女は今日も同じ制服で静かに文庫本を読んでいた。 高校に入ってからの電車通学も最初の半年で慣れた。そのうちにごく当たり前の習慣の一部となり、今では少しでも移動距離を短くするため最寄り駅のホームの階段に一番近い車両に乗ることにしていた。 そうしているうちに、自分と同じことをしている人間がいることにも気付く。 少しだけ、三上は視線を斜め前で背筋を伸ばして座っている女子高生に向ける。 最初に記憶に残ったきっかけは、姉と同じ高校の制服だったからだ。私立校だが華美な印象が一切ないシンプルな黒のブレザー。同色の膝丈スカートに、校章の入った靴下。淡い水色の指定シャツに濃いグレーのネクタイ。 彼女はこの近郊では有名な私立の女子高の制服を正しく着こなしている。それを見て、三上は最初姉が高校生だった時分を思い出していた。けれど今では、この曜日この時間では必ず彼女と同じ電車、同じ車両のこの場所に座を占める。 何がしたいわけでもない。ただ一週間のうち少しだけ、斜めからの視線であの姿を見るのが癖のようなものになった。そうなってからもう一年近い。 会話を交わしたことは一度もなく、目が合ったことすらない。降りる駅も知らない。けれどうつむく双眸と、凛とした横顔、髪を掻き上げる仕草、そんなものを意味もわからず気にする自分を三上は知っていた。 声だけは、一度聞いたことがあった。
『あの…!』
たまたま乗り合わせた親子連れが、席に小さな買い物袋を置いたまま駅のホームへ降りてしまったときだった。 それに気付いた彼女は忘れ物を手にして閉まり掛けていたドアをすり抜けた。まとめられていない髪が動きになびき、軽い足音が三上の前を通りすぎた。 三上がそちらを見たときにはドアがもう閉まり、ガラス越しにお礼を言う母親と安堵したように笑う彼女の姿だけが見えた。その、自分が乗り過ごしたことは全く気にしていないように笑う顔が印象的だった。 そのときはまだ夏だった。 そして一度だけ、彼女が本を読んでいない日もあった。 軽く唇を噛み、膝の上で手を握っていた。その手を時折ほどき、また組み直す。ためいきのような吐息を落としながら、何度も目を閉じては開き、何かを堪えている顔をしていた。 辛いこと、あるいは悲しいことがあったのだと、斜め前の三上からもよくわかった。 電車の中という公衆の場でも動揺を隠し切れないほどの何か。訪れたそれに、綺麗な横顔を歪ませた一瞬の切なさがこちらにも伝わってくる気がして、三上はそのときわざと彼女から目を逸らした。 泣けばいいのに、と逸らした視線で流れ行く私鉄の車窓の風景を見ながら思った。 繰り返される瞬きの多さ。目が潤むたび、瞼を閉じてそれを消す。場所など考えず泣いてくれればいいと思った。そうしてくれたなら、きっとあのとき自分は話しかけるために立ち上がっていた自信が三上にはあった。 けれど彼女は一粒たりとも涙を見せなかったがため、今の三上がある。 それが秋の話だ。今では季節はまもなく春を迎える。
(…そろそろいいよなぁ)
友人たちにすら電車で一方的に会っている彼女の話をしたことはない。 話せば笑われるだけという憶測もあるせいだが、なぜか彼女のことを気軽に言うのは憚られた。自分だけが知っていればいい秘密のように、この時間いつも見られればそれでよかった。 それでもタイムリミットというものはある。高校卒業まであと三ヶ月を切った。高校時代が終われば、この電車に乗ることもなくなる。 会えるのはあと少し。
(最後の足掻きってヤツだろうけど)
自宅最寄駅に近づいていることを告げるアナウンスを聞きながら、三上は鞄の中から携帯電話を出した。 適当にいじる素振りをしたあと、電車の速度がかなり落ち始めたタイミングを見計らって座席のシートの上に置き、空いた手で定期入れをポケットから取り出す。そしてその中に入っていた時刻表を見ながら席を立った。 電車が止まり、ドアが開く。 携帯電話はそのままだ。
(…アホな賭けだぜマジで)
それでも彼女が渡しに来てくるのを待つ。 内心で自分に呆れ、それでも何食わぬ顔で三上はホームに降りた。振り返らない。ただ二番煎じの賭けの結果を期待して待った。
『ドアが閉まります。ご注意下さい』
(……負けかよ)
個性のない録音声に、残念半分でためいきをつきそうになった。 仕方なく置き去りにした携帯を見届けようと振り返る。
「あの…っ」
閉まり掛けたドアの隙間から、あの声が三上に届いた。 ドアが閉まる。ガラス越しの双眸。髪が揺れていた。白い右手に持っているのは三上の携帯だ。初めて視線を合わせた彼女は、三上だけを見ている。 焦った表情がいっそ奇妙なほど綺麗だと思った。
(勝った…!)
拳を握る前に、三上は動く寸前の嵌めガラスに手をついた。 動悸を抑え、嬉しさに顔が笑わないよう注意する。次に繋げるために。
「次の駅で待っててくんない?」
電車のドア一枚隔てた向こうに届くよう、声を張り上げた。 彼女は一瞬戸惑い、しかしすぐに生真面目な表情でうなずいた。
…はい。
小さな声は三上に届かなかった。けれど唇の動きで三上は了承されたことを知る。 三上がガラスから手を離したと同時に、電車が動き出す。少しずつ速度を上げて去り行く電車の中で彼女は三上を、三上は彼女を見ていた。 涼しげな瞳、やや大人びた顔つき、三上の携帯を胸の前で握っている。 彼女は三上を見つけた。三上が、一年彼女を見ていたように。 やがて電車は見えないところまで行ってしまう。 そこで初めて、三上は心底からの息を吐いた。
「…よっしゃ」
持ったままだった時刻表で次の電車を確認する。八分後だ。 初戦は辛くも勝てた。次がどうなるかわからないが、勝ちは勝ちだ。
「…思ったよか美人じゃん」
万歳俺の見る目、とにやけた口許を手で隠しながら、それでも笑いは込み上げる。 どうなるかわからない八分後に期待して、彼は白線の内側で電車を待ち始めた。
*************************** 三上亮と電車通学と片思い。 パラレルです。三上が寮生ではない、というところが。 ヒロインイメージはいつものヒロインと同じです。電車で見かけた他校生。ずっと前から知ってるんだけど隙がないから声掛けられないで、恋だとも自覚しないで結構長い間うだうだやってる三上ってどうよー! と、随分前どっかの飲み屋で喋ってるときに出たネタです。 一歩間違えたらストーカーですけど(いきなり冷静)。
2005年01月17日(月)
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