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遠子(桜井都)

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 頭文字K(ホイッスル!)(渋沢と三上)。

 人生最速ですっ飛ばせ。







 渋沢克朗が自動四輪免許を取得したのは制服時代に終わりを告げた直後の時期だった。
 学校が自由登校に切り替わった頃の隙を利用して取ったのである。これは友人たちのなかでも最速記録だった。
 そんな元キャプテンの運転する助手席に最初に座る栄誉には、見事その親友に白羽の矢が立った結果となったのだが。

「…イヤだ」

 当の親友氏は、最初の人間になることをごく真っ当に有り難く思っていないようだった。

「いいだろうが、三上」
「ぜってえイヤだ! いくらお前でも若葉マークの人間の助手席なんざ死んでも御免だ!!」
「安心しろ。俺だってこれから先お前に慰謝料払う羽目になるのも一緒に心中するのも絶対に嫌だ」
「他の奴がいるだろ。お前の幼なじみどうしたよ」
「女の子隣に乗せるのに若葉マークじゃ格好つかないだろ。まずはお前で練習」

 …しかしまた、言い出した渋沢を三上が止められないのも事実だった。
 かくして武蔵野森の元司令塔は、元部長の隣でナビゲーターの役目を仰せつかったのである。





 ある意味やはりというか、自然というか、渋沢の運転はごく穏やかな安全運転だった。かすかな振動から三上はそれを察し、動き出して数分の車内で緊張をわずかに解いた。

「…三上、その意地でもこちらを見ない様子は何だ」
「実際どんな風に運転してんのか見たら後悔しそうだからだよ」
「失礼な」

 言葉ほどに渋沢は不快そうではなく、むしろ笑みすら浮かべていた。
 空気でそう感じつつ、三上はじっと右半分に入る彼の姿から意図的に目を逸らし、過ぎ去っていく景色ばかり見ていた。当然シートベルトは必須である。
 怠るな安全確認命が大事。
 ほぼ無意識のうちに左手でシートベルトを握りしめながら、警視庁標語コンクールに応募したくなるような言葉が浮かんだ。実際あるかどうかは知らないが。
 三上とてこの親友がそう無鉄砲な運転をするとは思えない。渋沢は他人はもちろん自分の命を一時の好奇心で危険に晒すほど阿呆ではない。しかしどんな人間にも初心者の時期は存在するのである。

「マジ、頼むから安全運転な」
「わかってるさ。俺は武蔵野森の高橋涼介になる男だぞ」

 にやり、と筆舌し難い笑みを渋沢が浮かべるのをうっかり三上は見てしまった。
 やべえ、こいつそういや新しモノ好きだった。
 渋沢は普段は落ち着きのある様子を崩さないわりに、自分が興味を持ったものには子供のように執着する面もあった。F1観戦を趣味とし車の運転には以前から並々ならぬ興味を示していたがために免許取得もフルスピードだったのだ。

「い、いや渋沢ここ赤城山じゃないからな! コップに水入れてこぼさないように運転する程度にしとけ! な?」

 っていうか俺のいないところでやってくれマジで。
 本気でそう思いながら、しかし武蔵野森の高木虎之介になると言われなくてよかったと三上は別の視点で安堵する。F1レーサーより峠の走り屋のほうがまだ速度は遅い。

「俺はトレノよりFCのほうが好きだな」
「…もういっそお前喋んな。黙って運転しとけ」
「そんなの面白くないだろう。ああ酔っても吐くなよ、この車借り物だから」
「お前の辞書には気遣いとかそういう言葉は」
「自分の運転だけに手一杯なのに他人まで構ってられん」

 だから練習だって言っただろう?
 そう続けた渋沢の顔は、口調の軽快さとは裏腹に確かにかなり真剣な面構えだった。

「もう就職も何もかも決まってるのにここで事故って台無しにする気はない」
「そりゃ俺も同じだっつーの!」

 裏拳でつっこみを入れたい衝動を、三上は何とか言葉だけに留めた。ここは些細な行動が運命を左右するような場面である。

 心臓に悪いドライブコース。
 神様でも何でもいいから無事に帰らせてくれと、三上亮はひたすら祈っていた。




******************************
 森の司令塔さんと守護神様。
 彼女乗せる前にまず親友で実験台。
 ところでキャプテンは就職ではなく進学です。これ書いたときまだ最終巻出てなかったのね。

2003年04月16日(水)



 猫と雨と少年と(ホイッスル!)(渋沢と三上)

 長い人生のささやかな一日。






 しのつく雨の夕暮れだった。
 童実野町行、と書かれたバスの停留所で、渋沢は傘を手にしたまま一向に泣きやまない空を見上げる。ためいきが零れたのはきっとこの鬱陶しい天気と、秋の始まりという季節柄の肌寒さからだろう。
 さっきからバスどころか人も通らないアスファルトの上に、雨が小さな波紋を絶え間なく生み出しては消える。その繰り返しを、渋沢はぼんやりと見ていた。
 小さな停留所だ。雨露を防げるような屋根はついていない。ささやかな雨と風のせいで、制服のズボンにわずかな撥ね水が付いた。学校指定のローファーもきっと寮に着く頃には泥に汚れるだろう。
 次のバスが来るまであと十五分。雨のなか暇をつぶせるような物は持っていない。
 今度のためいきは、さっきよりさらに重かった。
 ふと、雨音に混じって鳴き声がした。
 他に何もすることがなかったのと、気になったので渋沢はその持ち主を探す。まだバスが来るまでに時間はある。多少停留所から離れても大丈夫だろう。
 ほどなくして、渋沢はその出所を発見した。

「猫、か」

 停留所からわずか十歩も離れていない場所に、渋沢の手のひらに収まるほどの小さな猫がいた。
 すぐ横にある住宅の垣根の茂みに隠れるようにして、子猫は身を震わせていた。親猫は近くに見あたらないが、人懐こくしゃがみ込んだ渋沢の膝あたりにすり寄ってくる。

「…参ったな」

 どう見ても迷い猫か捨て猫。どちらにしても飼い主はいなさげだった。
 この雨ではすぐに弱って死んでしまいそうなほど頼りない細さと小ささだ。放っておくのはどうにも薄情な気がした。
 かといって渋沢は寮暮らしだ。飼えるわけがない。
 半端な同情をしても仕方ないと割り切りたかったが、そうもなれない少年の甘さが渋沢の表情に色濃く浮き出る。指先で猫をあやしながら、ううむと眉を寄せた。
 指や手にすりよってくる子猫の濡れた毛の感触と、それでも尚伝わってくる体温。生きているのだとダイレクトに教えてくれるぬくもりだ。

「ごめんな」

 俺じゃ飼えないから。
 言い訳のように呟いて、渋沢は曲げていた脚を伸ばし、中腰になる。これ以上甘えるようにすり寄られたら、同室の親友にお人好しと笑われても構わない覚悟を決めて持って帰ってしまいそうだった。

「いい人に拾われろよ」

 そうっと猫を茂みの深いところに押しやって、渋沢はその上に自分の傘を置いた。
 こうしておけば、この猫がいることを他の誰かも気づきやすいだろう。見つかるまで濡れずにも済む。無駄なことかもしれないが、自分に出来るのはこのぐらいだ。
 猫に微笑んだ渋沢の髪に、止まない雨の滴が落ちた。







「…で、そのまま猫に傘やってきたのかよ」
「ああ」

 予想通り、三上はお人好し、と口のなかで呟いていた。
 濡れて寮に戻ってきた渋沢を着替えさせたあと、三上はその髪にふわりとタオルをかけた。椅子に座った同室者の髪をそのまま乱暴にぐしゃぐしゃと拭く。

「お前なあ、猫に同情して自分が風邪引いたらどうすんだよ」
「あの場合仕方ないだろ」
「しかもあの傘、こないだ買ったばっかだろ? 百円傘でもないのに」
「別にいいさ」

 鷹揚に笑っている親友に、三上はまったくと思いながら髪を拭いてやる。
 渋沢のしたことは人間の優越感による偽善だと思わないでもなかったが、本人が良かれと思ったしたのならそれでもいいのだろう。その後ずぶぬれになっても、渋沢本人は猫に傘をあげたことを悔いた様子はなかった。
 そういう奴なのだ、この渋沢克朗という人間は。
 決断に迷いがない。自分がいいと思えるのならそれでいい。時折羨ましくなるほど意志の強い人間だと三上は思う。

「だいたいあのままじゃ俺の後味が悪い」
「…自分のためかよ」
「三上だって俺の立場だったらそうしたと思うけどな」

 笑みを含んだ声で言われ、三上はややむっとする。

「お前のその何でもわかってるみたいな口調、ときどき本気でムカつく」
「俺も三上のその図星をつかれると喧嘩腰になるあたり、ときどきまどろっこしいな」

 平行線のやりとりに、三上は憮然となったが渋沢は楽しげに笑っただけだった。









************************
 神咲あきこさんとこにあげたやつ。
 こんな挑戦されたから
 手袋を 投げつけられたら 決闘だ
 桜井、心の川柳。
 次はスナイパー三上でっす!

2003年04月17日(木)



 読書週間(ホイッスル!)(アンダートリオ)

 10月27日から11月9日まで。







 郭英士というのは本を読むことが好きな少年である。
 とりあえず特技であるところのサッカー、趣味であるところの釣りに次いで彼のなかでの『好きなこと』になっている。前者二つよりも場所を選ばずにやることが出来るという点でメリットがあるのだろう。

「やろうと思えばどこでも読めるしね、本さえあれば」

 規則正しい振動を繰り返す電車のなかで、英士はそう言った。
 きちんと背筋を伸ばして4つドアの車内ベンチに腰を下ろしている。手にしているのは話題の元となった文庫本だ。指を入れて顔を上げ、隣二つにいる親友たちに向かって口を開く。

「知識は武器とも言うでしょ」
「……ごめ、英士。俺それよくわからん」
「知らないより知っていたほうがいいってこと」

 さらりと言って英士は地の厚いカバーをかけた文庫本を閉じる。栞を挟むことも忘れない。ついでにその栞はなぜだか某出版社のパンダの柄だった。
 英士とパンダってなんかビミョー。
 親友のうちの一人は内心でそう思った。けれど黒白のコントラストが似合うところはいいのかもしれないと思い直す。英士は白皙黒髪の美人だ。

「でも似合うよなー、英士と本」

 うだうだ考えていた結人の内心を知らないだろうに、一馬がそんな声を上げた。

「…似合うって?」
「黙って本読んでるカオが様になる。俺とか結人じゃそうはならないし」
「黙ってりゃなー」

 あははははと結人が揶揄すると、英士が細い眉をしかめる。その様子に不服であることを知った結人は笑いを収めず理由を明かす。

「だって英士ってアレじゃん」
「……………結人もうちょっと国語力つけなね」

 むしろ結人のほうに本を読むことをすすめたい。
 アレそれコレで会話を成り立たせようとしている親友に英士は心底そう思った。

「いいんだよ俺はサッカー出来るから」
「そりゃ俺らも一緒だっての」
「ああ、結人はサッカーだけしか出来ないんだよね」

 ごく当たり前のことを言うような口調で「それじゃ仕方ないよね」と続けた。

「なんだよ! 俺だって本ぐらい読むっての!」
「へえ? じゃあ最近読んだ本は?」
「走れメロス!」
「言っておくけど国語の授業でやったって言うのを自発的に本を読んだなんて認めないからね」

 鋭い指摘に結人がぐっと言葉を詰まらせた。図星だったらしい。
 そもそもその性格で太宰治なんて言うほうが違和感がありすぎて逆に疑わしいものだ。

「とりあえず話題作でも読んでみたら」
「話題作ねえ」

 興味なさそうな結人に、英士はふっと笑った。

「わかってないね結人。本から仕入れた適当な知識をときどきさりげなく言ってみるんだよ。知ったかぶりにならないようになるべく自然にね。そしたら周囲から『へー郭っていろいろ知ってるよなー』『英士ってすごーい』とか言われるんだよ? 気分いいよ、賢いって思われてるのは」
「…………………………」
「しかも結人みたいな性格だったら尚更すごいって言われるよ? 『若菜くんってサッカーだけじゃなくていろんなことも知ってるんだー』ってクラス内で一目置かれたらどうする?」

 カッコよくない?
 端正な顔で言う英士の言葉は外見だけで信憑性があった。結人は引き込まれるように聞き入っている。
 半呆れの入った気持ちでその二人を見ながら、一馬は英士はどうして結人をそうやってからかうのが好きなのだろうと思う。友達なのに。

「うんいいなそれ!」
「でしょ?」

 若菜結人あっさり陥落。
 彼は人に注目されるのも女の子に騒がれるのも大好きだった。

「いいこと教えてくれてサンキュ英士!」
「どういたしまして。手始めにハリー・ポッターから入ってみたら?」

 親切にも英士は手軽に読めるファンタジーを推薦した。
 なるほどあれなら結人も楽に読めるだろうと一馬は思う。しかも話題作なのであまりマイナー過ぎるものより初心者向けかもしれない。しかし気になるのは英士の浮かべた微笑だ。
 電車がそこで次の駅に到着する。結人の降りる駅だ。

「よっしじゃあ帰ったら読んでみるな! 確かうちのかーさん持ってたし!」
「次会ったらどこまで読んだか教えて」
「おうよ! んじゃなー」
「じゃあな」
「またね」

 ひらひらと手を振って降りていく結人を二人は見送る。

「……やなんだよね、俺。自分の親友が物知らないの」

 唐突にぼそりと聞こえた声に、一馬はびくりとした。

「ええええええええええ英士?」
「…冗談だよ。いくらなんでも友人にそこまで自分の意見押しつけるわけないでしょ」
「ほ、ほんとかよ」
「本当。ただこう、あまりにも乗せやすいもんだから面白くて」

 結人って楽しい性格してるよね。
 まるで自分はそうでもないような言い草に、一馬は二人の会話は漫才のようだったとは言えなかった。たぶん言わないほうがいい。
 そしてそこの間に入る自分は一体なんだろうとちょっと思った。


 …話に夢中だった三人組は気付いていなかった。
 うっかり少年たちの会話を聞く羽目になったその車両内の大人たちが、ひそかに笑いを噛み殺していたことを。

 気付かないのもまた幸せ。





******************************
 トリオと読書週間。
 元ネタは姉さんとこの読書週間英士くん
 だったのですが、アレ実はバス待ちとかそういうイメージだったらしく。
 あらら若菜くんと真田くんがいるわなぜかしら(趣味!)

 …というか神咲さん、このリンクの貼り方はレッドカードですか? だったらごめん。

2003年04月18日(金)



 夏嵐(ホイッスル!)(渋沢と三上)

 台風が過ぎたら空は青くなるものだと思っていた。






「……おお、三上、ちょっと来てみろよ」

 台風が過ぎ去った夕方、部屋で宿題を片付けていた三上に渋沢の声が掛かった。
 昼間とは思えないほど暗かった台風通過中に比べ、雲が薄くなり出した今の時間帯から差し込む窓の光はもう黄昏の色をしている。
 渋沢は、そんな窓辺に立って親友を呼んだのだ。

「あ?」
「いいから、ちょっと来てみろって」

 すごいから、と窓の外を見たまま渋沢はそう付け足した。
 彼が嘘をつくことは、こういった場面でまずない。主観がどうであれ、きっとそこまで言うからには確かに『すごい』のだろう。何かはわからなくても、その言葉に惹かれて三上は椅子を立った。
 何だよ、と視線を向けると渋沢は無言で開け放した窓の外を指す。

 世界を埋め尽くす、淡い朱色がそこに広がっていた。

 空の天蓋を覆い尽くしている、薄い雲。そこに反射する、一日の終わりを告げる太陽最後の一閃。晴れていたのならきっと西から東に、紺から緋色へのグラデーションだろうに、広がる薄雲はそうさせなかった。
 雲すべてに、広がり映る淡い緋の色。それはさらに下に落ち、雨で浄化された人の世界を染めている。木々も街並みも人影も、すべてが同じ色に照らされていた。
 昼と夜の境目、一瞬の隙間がそこにあった。

 圧倒的な自然の一端が、垣間見えた気がした。


「な、すごいだろ?」


 そして三上の隣で、親友が楽しそうに言った。
 誰よりも先に新しい発見をした子供のような、少し自慢げな声。三上はうなずいた。

「すげえな」
「だろ?」

 珍しいよな、と渋沢はやはり楽しそうな声で付け加える。滅多に拝められないものを見た興奮が、その横顔に滲んでいる。
 ガキじゃあるまいし、と三上はやや呆れたが、この光景は確かにそんなある種の感慨を呼び覚ますことは確かだった。
 夏の風物詩の台風、それが去ったあとの稀に見る薔薇色の世界。けれど二人はそれが夕暮れの一瞬だけだと知っている。刹那しか見られないからこそ、人はさらに美しいと感じるのだと。
 人間の手には届かない、圧倒的な世界の存在を思い知らされるのはこんなときだ。
 これから先、どれだけ人類が進歩しようともこの光景は作り出せない。もし作り出せたとしても、この偶然の刹那に到達することはない。奇跡のような一瞬だからこそ美しいのだ。
 自然とはそういうものだと、三上は思った。
 人知の及ばないことに、恐怖を覚えるほどの美しさ。見惚れたあと、背筋を這い登る暗然とした気持ちがアンバランスで気色悪い。

 そう思うことは、何かを羨むことにも似ていた。

 脅威を感じるほどの美しさ。それは自分がそこに届かないと、わかっているから怖いと思うのだろう。
 たとえばあまりに美しいものを見たとき。そして、圧倒的な天賦の才を見つけてしまったとき。
 それが、これまで平然と隣にいた自分の友であったとき。
 敵わないと、思い知った瞬間の気持ちと、この夕暮れに出会った気持ちはよく似ていた。


「三上?」


 不思議そうに、純粋に疑問の響きを上げる親友。
 彼がきっと、いずれは高みに駆け登るだろう予感は三上にもあった。三上だけではない。サッカーに携わり渋沢のプレーを知る人間なら、少なからずその予感はあるだろう。
 それは、三上には与えられなかった才能とも言うべきかもしれない。

「…何でも」

 わずかに目を伏せて、三上は窓辺から離れた。
 羨みを越えてしまいそうな、嫉妬めいた感情は生涯渋沢には言うまいと三上は誓う。
 それが三上に残された最後のプライドだった。

 緋色に彩られた二人の中に、凪いだ嵐があることを渋沢はまだ知らない。




******************************
 なんかどっかで書いたような話。
 身近なのほほん太郎が実は結構スゴイ奴だということに焦ったり嫉妬したりしつつ、決して憎めないことに苛立つ演技派みかみん。
 …冗談ですよ。

2003年04月19日(土)



 アイズインザスナイパー(ホイッスル!パラレル)(三上亮)

 漆黒の闇の中をただ独り。










 暗い路地裏を、影が一つ走り抜けて行った。
 足下で鳴る水音は夕暮れ時に降った雨の名残だ。蹴散らし、水の雫を服の裾に跳ね上げながら行くその影の持ち主はちっと短く舌打ちした。

「あっちだ!!」

 背中から聞こえる声。さらにそれに応える複数の声。
 確実に追ってきている。
 青年はそれを嫌でも悟らずにはいられず、走る速度は緩めないまま顔をしかめた。

「しつけえってんだよ…!!」

 己が招いたミスとはいえ、思わず悪態が飛び出た。
 今夜の標的は想像より随分と権力も財力もある人物だったらしく、追跡者の数は一向に減る様子を見せない。それどころか時間を経るごとに増えていく。彼らにしても、警護する対象をああ易々と殺害されたのだから、せめて加害者だけでも確保しなければ面子が立たないのだろう。
 しかしまた、スナイパーの彼にボディガードたちの面子を守る義務も義理もない。

「いたぞ!」

 すぐ手前の角を曲がりかけたとき、正面にカンテラの明かりが見えた。

「やべ…ッ」

 即座に身を引き、それまでの路地に戻ろうとしたが半歩の差で間に合わなかった。
 パシュッ、と風を切り裂く音と同時に、短い矢尻が目の真横をかすめていくのをかろうじて眼球だけを手のひらで守りながら見る。
 こめかみのあたりに熱くぬめる血液が流れる感触がしたが、拭っている余裕はなかった。
 顎をしたたり落ちる血が、足下の水に溶けた。

「ちきしょ…ッ!」

 こんなはずじゃなかった。
 手負いとなっても尚走るのを止めず、三上はただ己の迂闊な失態を呪った。
 掴まるわけにはいかない。殺人は死罪に近い刑罰が与えられるのがこの街の刑法だ。しかし自身の命にも限らず、彼が捕らえられることで余波を被る存在がいる。
 守らなければならない人がいる。
 殺人を犯して、罪を重ねて、他人を傷つけても、守りたい人がいる。
 路地裏を飛び出し、雨の夜だというのに人混みの多い酒場通りに紛れ込む。
 幾人かの酔っ払いとぶつかったが、謝罪する暇などない。追っ手を撒くためにもわざと人の多い方向に向かい、ようやく大丈夫だと判断出来た頃には雨はもう止んでいた。
 足を止め、人目につかないよう家々の隙間に入りながら、壁に背を預けた。

(…みっともねえの…)

 何という様だ。
 濡れた前髪を手で掻き上げたとき、ちりりと傷が痛んだ。雨だけではない液体に手のひらがベタつく感触がある。
 ここに来て急激な披露が三上を襲った。
 冷たい雨は体力を必要以上に奪う。いつまでもここにいるのは危険だと思いつつ、その場に腰を下ろすと動けなくなった。
 右足を楽なかたちに伸ばし、ふと思って空を見上げる。
 曇った真夜中の空。今日は満月のはずだったが、厚い雲に阻まれてその光はここまで届いていない。星も見えない暗い夜。
 あいつは元気だろうかと、不意に思った。
 こんな冷たい夜に、寂しさや辛さに泣いていなければいいと思った。
 目を閉じ、息を吐いたそのときだった。


「…誰かいるのか?」


 一声と共に、カンテラの光が三上を照らし出した。
 まずいと三上は咄嗟に身を引き、顔の前に腕を翳す。

「……………」

 相手は三上とそう歳の変わらない青年だった。今の三上の視線の高さの影響だけではなく、一見して長身だということが知れる。
 追っ手だろうかと一瞬のうちに考えたが、こんな間抜けな聞き方をする奴があの面子の中にいたとは考えにくい。

「…怪我してるのか?」

 炎に照らされた三上の頬を見、相手は表情に険しさを増した。
 よろけないよう注意して、壁に手を当てながら三上は立ち上がる。

「別に。ほっとけよ」
「ほっとけない」

 言葉と同時に、横をすり抜けようとした腕を掴まれる。
 強い力だった。振り解くことを諦め、三上は昂然と顎を上げて相手を睨む。

「離せ」
「医者がいる」
「は?」
「知り合いに医者がいるんだ。…どんな患者でも、相手のプライバシーを厳守する腕のいい医者だ」
「…別に、この程度何てことねえよ」
「でも放っておいたら俺の後味が悪い」

 人が良いようで手前勝手な言い草を三上は鼻で笑った。

「てめえの自己満足に付き合ってられるかよ。離せ」
「素直じゃないな」

 不意に笑われて、三上は少なからず鼻白んだ。何なんだこいつ。

「…お前、誰だよ」
「渋沢克朗。偶然ここを通りかかった善良な一般市民だ」
「ああ、ただの酔っ払いか」
「失礼な」

 それで、とその渋沢は三上に問い掛けた。

「そっちの名前は? 俺は名乗ったんだ。そっちも言わなきゃフェアじゃない」
「悪ィけど、俺は公平さを重んじるほどイイ奴じゃねえよ」

 ようやく掴まれた腕を解放させることに成功した三上は、相手を無視して歩き出した。帰らなければならない。
 背中の向こうから声がした。

「…じゃあ、次に会えたら名前を教えてくれるか?」
「は?」
「賭をしよう。会えたら俺の勝ちだ。そしたら話をしてくれ」
「…何の」
「真夜中に出歩く理由だ」
「……!!」

 ばっと勢いよく振り返る。渋沢は先ほどの場から一歩も動かず三上を見ていた。

「じゃあ、またな」

 夜の闇の中でもはっきりわかるほど、にっこりと笑って渋沢は踵を返した。
 三上は呆然とそれを見送り、足音が消えてから気の抜けた呟きを漏らした。

「何だ…あいつ」



 それが二人の出会いだった。







****************************
 意味不明。
 でもいいの。これで私は勝ったから!(判定として微妙)

 きっかけは某Kザキさん(さっぱり某じゃない)から。

>童実野町の某ビルを毎日磨きまくってる清掃員。
>裏の顔は「掃除屋」という異名を持つスナイパーなんだって。内緒だよ?

 という注釈つきの三上コスプレイラストが提示されたから。
 ああ元ネタはポップンさ。
 全然違うものになったけどね!(上参照)(清掃員…?)
 でもとりあえず第一関門「三上でスナイパー」は貫徹されたと思います。ハイ私の勝ち!
 ツッコミどころはお前は三上を美化しすぎだだと思います。自覚あるよ。
 あとなんで渋沢がいるんだ、とかね。イエス趣味。そして続きを書く気は当たり前のようにない。

2003年04月20日(日)



 真夏の果実(ホイッスル!)(アンダートリオ)

 間抜けの意味を文字通り噛み締めていた。






「…バッカみてえ…」

 とほほとでも付け加えたい気分で、布団のなかの一馬はそう呟いた。
 額に当てた濡れタオルが、一馬の体温を吸収しきってもう生温い。手足もだるく、動かすのが億劫だった。ふわふわと安定しない思考回路と常より高い体温は何だか泣きたくなる。

「何言ってんの、バカでしょ」
「だよな。だってフツー夏風邪ってバカが引くもんだろ」

 見舞いと称して遊びに来た親友たちは容赦がなかった。
 確かに、スポーツを生業として生きていくのなら、ベストの健康を維持することは当然の義務だ。それを怠るなかれ、と親友たちから嘲笑されるのも仕方ないのかもしれない。
 体温38度。咳、頭痛、鼻水、手足のだるさと全体的な不快感。今一馬の身体を支配しているのはまぎれもない風邪の諸症状だった。

「…わかってるけどさあ」

 ああ、何だか本気で泣きそうだ。
 外で鳴く蝉の声がやけにうるさい。七日しか生きられないのだから、彼らもきっと必死に鳴いているのだろうなあ、と一馬は全然違うことで自分の気だるさを逸らそうとしたがうまくいかない。
 誰だって、病気のときは優しくされたい。
 ごろりと寝返りを打って、一馬は親友たちとは逆の壁のほうを向いた。

「あーあ、スネてやんの。ガキじゃねーの、お前」
「結人、言い過ぎだよ。ほんっと言葉選ばないんだから」

 そういう自分だってひどいときにひどい台詞を言うくせに、と一馬は二人の会話を聞きながら英士に突っ込んだ。どっちもどっちだと。
 お調子者で分別に欠けるところはあるけれどおおらかな結人。
 意外に短気ですぐ手を上げたりするけれど聡明で真面目なところのある英士。
 実は一馬も含めて似通った部分はかなり少ないのだが、どちらも、一馬にとってはこの上ない大事な友だった。
 たとえば、誕生日には何も約束していなくても家までやって来てくれるような。
 ちら、と身体は反対を向けたまま首だけ二人を見ると、「お」と結人が気付いた顔をした。

「ほーら、いつまでもスネんなって。今日誕生日だろー」
「一馬、リンゴ食べるなら剥いてあげるから」

 英士の言葉に、ぴくりと一馬が反応した。

「…リンゴ?」
「そう。好きでしょ」
「真夏のリンゴも悪くないだろ」

 高いけど買ってきてやったんだぞ、と恩着せがましく言う結人を無視して、英士は実は先ほどからずっとそこに置いてあった皿と包丁、洗ったリンゴそのほかを見せる。

「さっきおばさんから借りてきた。一馬がどうしても食べたいって言うなら、剥いてあげるよ」

 包丁を手にした、英士の深い黒色の瞳がきらりと輝く。

「英士、出来るのか?」

 そうっと尋ねた一馬に、英士は心外だとばかりに細眉を跳ね上げた。

「出来ないことを言い出すほどバカじゃないよ。…で、そこの結人もやりなね」
「えっ? なんで俺も!?」
「ついでに自分も食べようだとか思ってるなら、自分で剥きなよ。今日は一馬が病人なんだから一馬が優先」
「…いいけどさー」

 ぶちぶち尚も文句を言っている結人を無視して、英士はリンゴと包丁を持ち、皿を使って器用に四等分した。そこからさらに皮を剥こうとしたとき、一馬がふと思いついたように声を張り上げた。

「あ、俺ウサギがいい!!」

「………は?」

 ウサギ? と英士が視線で確認すると、一馬は熱で潤んだまなざしのままこっくりうなずいた。子供かと思われる、やや幼稚な仕草だった。

「…ウサギ、ね。はいはいわかったよ」

 熱のせいで退行化現象でも起こっているのだろうか、と思いつつ英士は素直に了承した。ウサギりんごなんて、確かに風邪のときぐらいしかねだれない。

「英士ー、俺もウサギがいい」
「だから結人は自分でやれって言ったでしょ」

 手を切らないよう注意しながらりんごを剥く英士。一馬より遥かに手先の器用な彼の指は、見事に可愛らしいウサギりんごを生み出していた。

「だって俺ウサギなんて出来ねえもん。いいから俺にもウサギ! ハイ決定!」
「…わがまま」

 不平を鳴らしつつ、結人に言い切られると英士は弱い。まだ残っているりんごに手を伸ばし、さらに剥き続けた。うさぎのかたちに。
 かなり真剣な顔になっている英士に、結人と一馬は何となく顔を見合わせて笑う。
 それに気付いた英士が、やや眉をひそめながら顔を上げた。

「…何、二人とも」
「べっつにー、なー一馬ー?」
「ん、何でも」

 ならいいけど、と英士は再びりんごに戻る。今度もまた残る二人はこっそり顔を見合わせたが、英士は何も言わなかった。
 親友の手から生み出されるウサギのりんご。
 また別の親友とそれを見て笑う、奇妙なおかしさ。
 まだ風邪の症状は辛いけれど、二人がいるならこんな誕生日も、悪くない気がしていた。





「…いや、英士もういいから」
「だって一度始めたら全部やるまで終わりたくないんだよね」
「だからって誰が食うんだよ、この大量のりんごを!!」

 英士によって増殖されたウサギりんごは、翌日の昼食まで持ち越された。
 真田一馬、8月20日。
 リンゴは塩水につけておけば変色しないということを知った、夏の誕生日。




******************************
 今、4月です。
 絶賛使い回し中。要するに書いたのはずっと前。今風邪引いてるので、そういえば前に風邪引き一馬を書いたなあと思い出したのです。

 おとといは椎名くんと桐原パパの誕生日でした。

2003年04月21日(月)



 桜の詩(ホイッスル!)(渋沢と三上)

 初恋はどんな人でしたか?








「年上の綺麗な人だったな」

 あまりにも穏やかに彼がそう言ったので、三上は驚いた顔を隠さなかった。

「マジ? 年上?」
「…何だ、その面白そうな顔は」

 昼食時の昼休み。牛乳パックを右手で握り潰さんばかりに意気込んだ三上に、渋沢は目許をしかめてみせた。

「なあ、いくつぐらい年上だったんだ?」
「俺が小学校に上がったぐらいのとき、二十三か四ぐらいだったから…十六か十七ぐらいか?」
「幼稚園の先生とかか?」
「いや違う」

 三上としては妥当な線を狙ったつもりだったが、教本のような箸の持ち方をしている渋沢にあっさり首を振られた。

「んじゃどういう人だったんだよ。なあ?」
「…だからお前は、どうして人の話にはそんなに目を輝かせるんだ」
「細けえこと気にすんな大将!」
「俺はキャプテンだ」

 さらりと言い返した渋沢はそれ以上言う気がないようだった。
 しかしここで終わられては半端に聞いてしまった三上の気が済まない。

「なー、それで、どんな人だったんだ?」
「だから、十七ぐらい年上の綺麗な人だ」
「そんなんでわかるか。だいたい6つや7つのときなんてな、大抵の年上は『キレイなお姉さん』になるだろうが」
「何言ってるんだ、美人はいくつになっても美人だぞ」

 したり顔で言われても全然楽しくない。ずずずと音を立ててストローから牛乳を吸い上げながら、三上はこの友人をどうつついたら本音を言わせられるか考えた。

「…どんぐらい好きだった?」

 ふと、そんな疑問が沸いた途端口から出た。
 渋沢は聞いた意味がわからないように不思議そうな顔をした。

「どのぐらい…って、小学校に上がるかどうかの頃だぞ?」
「でも程度ぐらいわかるだろ」
「そう言われてもな…。憧れてはいたけど、もう結婚してたし」

 最初からかなうはずないってわかってたからな。
 渋沢はそう言って、過去の憧憬を秘めた笑みを見せた。
 その言葉は、想いが叶わないことと、相手の想う人に敵わないという二つの意味を持って三上の耳には届いた。

「…ってか、人妻!?」
「響きとして微妙だが、知り合ったときにはもう既婚者だったな」

 相変わらず何のためらいもなく淡々と言う渋沢を、三上は何となく「負けた」と思った。渋沢らしいと言えばらしいのかもしれないが、その歳で人の奥さんに懸想していたというのは何気なく驚嘆に値した。
 こいつってほんと計り知れねえ。
 すでに空になりかけた牛乳パックを右手に持ち直しながら、三上はほのぼのとした表情で弁当を食べている友人のことをそう思った。

「何かな、桜みたいな人だったな」
「は?」

 不意に渋沢が言い出し、三上は顔を上げた。

「その人のことだ。最初に会ったのが春っていうせいもあるんだろうが、第一印象が桜の花みたいな人だって思った」
「桜?」
「ああ。白いっていうか、少し透けた薄いピンクというか、ああいう感じだな」

 その説明で三上が思い出したのは、よくあるソメイヨシノの花だった。
 一重咲きの薄紅。はらはらと舞い落ちる光景は、日本の春を一番よく表している。あの可憐さに喩えられるのだとしたら、儚げな美人だということなのだろうか。

「お前、夢見がち」
「うるさい」

 三上がにやりと笑って揶揄すると、渋沢は眉間のあたりに皺を寄せた。照れくさいのだろう。その顔はいつもの彼より幼く、三上はきっとその人に対するときの渋沢はいつもそんな顔をしているのだろうと思った。
 淡い恋心を抱いた人を、花に比喩するとは随分ロマンチストだ。渋沢は現実主義者のタイプに属するほうと思っていたが、やはり初恋の人というのは特別なのかもしれない。

「いいだろ、人の趣味だ」

 口端でとはいえ、笑い続けている三上に、渋沢がむきになった声を上げた。
 普段すまして大人びた顔をしているだけに、その様子が可笑しい。すっかり空になった牛乳パックを机に戻し、三上は空いた右手で頬杖を突いた。

「ベツに? 悪くないんじゃね? すっげ楽しいこと聞いた気はするけど」
「…誰にも言うなよ」
「なんか言ったかー?」
「誰にも言うなよ!」
「い、言わねえよ! ってかいきなり胸ぐら掴んで脅すなボケ!」

 机の向かいから腕を伸ばして脅しつけたその剣幕に三上は心臓を跳ねさせたが、赤い顔でそうされでも全く怖くないことにも気付いた。
 ただ、この友人にもそういった子供じみた部分があることに親近感を抱いた。
 そっとシャツを掴む手を解かせ、まあ落ち着けと嫌味のない笑みを浮かべた。ぶすくれた渋沢の顔など滅多に見られるものではなかった。

「…言うんじゃなかった」
「そう言うなっつーの」

 呟いた渋沢に三上は苦笑で応える。
 つい先ほどまでは当分このネタで遊んでやろうと考えていたが、予想以上に相手の深い部分に触れている情報らしいので、仕方なくその考えを棄却した。

「誰にも言わねえから、今度続き聞かせろよ」
「…………今度な」

 かろうじて渋沢がひきつった笑いを見せた。
 対する三上は可笑しそうに、口許で笑っただけにしておいた。








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 幼稚園ぐらいの克朗少年が、桜の下で年上のお姉さんに憧れる図、というイメージが浮かんだのです。いやそれだけ。

2003年05月06日(火)

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